< meta http-equiv="X-UA-Compatible" content="IE=Edge,chrome=1" /> 十戒シリーズ 愛の応答ぁ崛歓誉斗棔 牧師 友納靖史(2017/07/16) - 日本バプテスト連盟に所属するプロテスタント教会です
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週報巻頭言
週報巻頭言 : 十戒シリーズ 愛の応答ぁ崛歓誉斗棔 牧師 友納靖史(2017/07/16)
投稿者 : admin 投稿日時: 2017-07-18 14:15:26 (187 ヒット)

出エジプト記20章8〜11節          
「第七の日に、神は御自分の仕事を完成され、…この日に神はすべての創造の仕事を離れ、安息なさったので、第七の日を神は祝福し、聖別された」(創世2:2-3)。全知全能なる「神が休息された」との記事を読むと驚きを覚えます。なぜなら主なる神は「まどろむことなく、眠ることもないお方(詩121:4)」だからです。しかし神が天地を創造された中で人間だけは「神にかたどって<似せて>創造され(創1:27)」、愛する者を思い、率先して神ご自身が「安息する」重要性を示されたと知った時、戸惑いは感謝へと変えられました。
 神がモーセを通し与えられたこの戒めは、「六日の間働いて、何であれあなたの仕事をし、七日目は、あなたの神、主の安息日であるから、いかなる仕事もしてはならない(出エ20:9-10)」と、人のためではなく、神ご自身の為にこの日を「心に留め、聖別(他の日と区別)せよ(20:8)」と命令されたのです。人間は法規によって拘束される以上に、本来は法により自由とされることを、歴史を振り返る時(特に人権問題や労働時間等)、私たちは実感することがあります。イスラエルの民が荒れ野にて神からマナを授かった時、安息日の前日、二日分を採取しても腐ることなく、ただ礼拝と休息に徹することが出来ました(出エ16:29-30)。この時以来、安息日を聖なる日として人間自らも身体を休め、歴史の中でイスラエルの民は厳密に守り続けたのです。ところがイエスの時代になると、「人のためにあるはずの安息日が、安息日のために人がある」かのように、神の真意が歪曲されていました。そこで主イエスは「人の子は安息日の主でもある(マルコ2:28)」と宣言され、「人生で何を選び取るべきか」をご自身の愛に基づく生き方によって示されたのです。
今、私たちにとって“安息日”とはどのような意味があるのでしょう。まず、第一に安息日とは主なる神を礼拝する日です。かつて土曜がユダヤの安息日でしたが、イエスが十字架の死より復活なされた日を礼拝の日として初代教会から今日に至るまで守り続けています。しかし礼拝は日曜日と限らず、6日精一杯働き、その人にとって週のどこか一日、礼拝の日として聖別すべき意味を心に留めましょう。
第二に安息日とは、神に与えられた「私自身」を全人的に休ませる日です。つまり身体と心の休息だけでなく、神に与えられた魂や霊を休ませる日です。魂と霊を休ませるとは、身体を休ませる以上の意味があります。なぜなら、どんなに身心が疲れていても、神と出会い真理を知る礼拝によって、魂が自由とされ(救われ)、身心も回復するからです。礼拝には、日々のディボーション(聖書を読み、神のために時間を割いて祈る静思の時)や賛美も含まれます。主イエスが示してくださった愛に基づき、どのような状況においても対処する秘訣を授かり(フィリ4:11-13)、神と自らのために「安息日」を守り、生かされている喜びを深めて参りましょう。


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