< meta http-equiv="X-UA-Compatible" content="IE=Edge,chrome=1" /> 十戒シリーズ 愛の応答Α嵬燭海淑」 牧師 友納靖史(2017/08/06) - 日本バプテスト連盟に所属するプロテスタント教会です
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週報巻頭言
週報巻頭言 : 十戒シリーズ 愛の応答Α嵬燭海淑」 牧師 友納靖史(2017/08/06)
投稿者 : admin 投稿日時: 2017-08-07 13:30:33 (129 ヒット)

出エジプト記20章13節            
 沖縄に「命どぅ宝(ぬちどぅたから)」、人の生命こそ何よりも大切な宝物という意味の言葉があります。第六戒の「殺してはならない」との命令には、人間の生命を奪ってはならない。なぜなら、神が人間に、動植物全てにも命を与えられた前提があるからです。ここで呼びかけられる「殺すな」は、人類最初の殺人、カインの弟アベルへの行為に始まる、罪ある人間同士に対して向けられた戒めです。しかしA.シュバイツァーの提唱した「生命への畏敬」、動植物に至るまで被造物全ての命を“治める”務めが託されたことをも忘れてはなりません。更に「人を殺すな」は、故意の殺人が対象で、不作為殺人や戦争への防御、刑罰による死刑などの死は含まれないとの立場に立つ人もいます。しかし、その許される範囲、境界線を誰が引き、判断するのでしょうか。今日、科学技術の進歩により、様々な生命倫理観の解釈の違いによって引き起こされる医療や司法の現場での混乱に、バプテストのキリスト者はどのように応答し生きることが求められているのでしょうか。
 旧約に記された殺戮や、復讐を正当化する当時の社会通念に対し、イエス・キリストは神の御子としてこう語りかけられました。「あなたがたも聞いているとおり、『目には目を、歯には歯を』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。悪人に手向かってはならない。だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい (マタイ5:38-39)」。何度読んでも主イエスの倫理観に従うことは難しく、その通りに生きるなら自らの身が持たないと感じてしまいます。多くの弟子たちにとって、この主の教えの意味を受けとめることが出来たのは、主の十字架の死と復活の後となりました。主はこの“地上の命”を尊び、地上の病や苦悩を解放し癒す働きに多くの時を用いられました。しかし何よりも、愛する人間一人一人が“永遠の命”を神によって与えられるため、ご自分の命を惜しまず献げられた姿に弟子達も、そして今、私たちも神の御心を悟るに至ったのです。初代教会のキリスト者は、ローマ帝国に国教と定められ、世の政治権力と信仰が取り込まれるまで非戦・非暴力を貫いてきました。主の御心に従って命を生かすことを優先する決断には難しい課題が投げかけられますが、個々の決断に聖霊が働くことを信じましょう。
 命の誕生の危機(人工妊娠中絶など)に始まり、命の終わりの危機(安楽死など)まで生涯、神から与えられた命を生かす働きへと教会は招かれています。けれども決して忘れてはならないこと、それは、主が大切にされた “<生>命(いのち)”とは、身体だけではなく、心も、魂も含まれているからです。なぜなら、命を助けられず、様々な事情で失わざるをえなかった全人的<霊的>苦痛の只中に置かれている人々に、主イエスの十字架の上より流された血潮にある赦し、そして永遠の命に至る救いの泉は、全ての人々に慰めと希望となって流れ出ているのですから。昔も、今も、永久に(ヘブ13:8)。アーメン。
 


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