< meta http-equiv="X-UA-Compatible" content="IE=Edge,chrome=1" /> 十戒シリーズ 愛の応答─崋由に生きるために」 牧師 山下 真実(2017/08/27) - 日本バプテスト連盟に所属するプロテスタント教会です
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週報巻頭言
週報巻頭言 : 十戒シリーズ 愛の応答─崋由に生きるために」 牧師 山下 真実(2017/08/27)
投稿者 : admin 投稿日時: 2017-08-28 13:49:22 (98 ヒット)

出エジプト記20章15節
「盗む」という行為は、「所有」があってはじめて成立します。「盗む」ということを考える時、私たちは「所有する」ということについても考えることになります。
「盗んではならない」(出エジプト20:15)という十戒の第8の戒めは、具体的には人身売買を禁止する戒め(出エジプト21:16, 申命24:7)として語られています。そこに込められているのは、「人の尊厳を否定する」ということに対する、神さまからの強い反対の声です。相手の「所有」しているもの(お金、物、人間関係、時間、生活、言葉、自由意思など)を奪うことによって、相手の尊厳を否定してしまうこと。それは、私たち一人ひとりが持っている、目に見えない「境界線」を越えてしまうことによって生じます。これらによって引き起こされる具体的な問題が、最近では、パワー(あるいはモラル)ハラスメント、DV(ドメスティック・バイオレンス/家庭内暴力)、虐待などの言葉で表現されるようになってきています。そして、この「尊厳の否定」の最たるが、相手の命を奪ってしまう殺人です。
 聖書には、部下を殺してその妻を奪い取ってしまった、ひとりの人間、ダビデ王の姿が生々しく描かれています(サムエル下11章)。この行為は、明らかに十戒の第6戒「殺してはならない」(出エジプト20:13)と第7戒「姦淫してはならない」(同14節)をやぶる行為でした。ただ神さまはその時、預言者を通して、裁きの言葉とともに次のような不思議な言葉を語られました。「不足なら、何であれ加えたであろう」(サムエル下12:8) すでに沢山の妻や側室のいたダビデに、「不足」などということはあり得ない、と思ってしまいます。しかしここで重要なことは、「それを加える(与える)のは神さまである」ということです。ダビデの最大の罪は、すべてを与えてくださる神さまの、権威という「境界線」を越えてしまったということだったのです。
 彼と対照的なのが、新約に登場するカナンの女性です(マタ15:21-28)。彼女は、キリストに娘の病気を治してほしいという切実な願いがあったにも関わらず、その願いを強引に押し通すことなく、謙虚に願い続けました。それは彼女が、彼女の願いを実現するのが自分の力ではなく、神さまのあわれみ(22節)であるということを知っていたからです。そんな彼女にキリストは、「あなたの信仰は立派だ。あなたの願いどおりになるように」(マタイ15:28)と言われました。
 すべての「所有」が神さまにあるということを知っていること。その神さまの「所有」を盗まないこと。神さまとの「境界線」を越えないことが、私たちが互いの「境界線」を越えないために必要なことであり、私たちがあらゆる「所有」から自由になって、幸せに生きるために大切なことなのです。そしてまた、イエス・キリストを与えるほどに私を愛してくださった神さま(ヨハネ3:16)は、私に次のように語ってくださる神さまです。
「子よ、お前はいつもわたしと一緒にいる。わたし(神)のものは全部お前のものだ」
(「放蕩息子のたとえ」父から兄息子への言葉 ルカ15:31)


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