< meta http-equiv="X-UA-Compatible" content="IE=Edge,chrome=1" /> 新生改革『恵み(恩寵)のみ』」牧師 友納靖史(2017/10/01) - 日本バプテスト連盟に所属するプロテスタント教会です
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週報巻頭言
週報巻頭言 : 新生改革『恵み(恩寵)のみ』」牧師 友納靖史(2017/10/01)
投稿者 : admin 投稿日時: 2017-10-02 13:42:31 (128 ヒット)

ガラテヤの信徒への手紙2章19〜21節
使徒パウロの書簡を読むと、彼の宣教活動最大の願いは、全ての人々に、父なる神と主イエスによって与えられる「恵み」と「平和」を伝えることでした。十字架につけられたイエスによって注がれた神の恵み(恩寵)を知ったパウロ。かつてパリサイ派として熱心にキリスト者を迫害し、ステファノを殺害し(殉教させ)た過ちさえも赦し、今は伝道者として用いて下さる驚くばかりの主の愛と恵みへの応答として、苦難を受け入れ、喜んで福音を宣べ伝えていったのです(ローマ8:18-39)。
旧約を通して語られた神の「恵み」とは、神の民・イスラエルの人々と、更にその中でも神に従う信仰深い者にだけ救いは与えられるのだと、多くの人々は考えていました。ところが、イエス・キリストによってもたらされた神の恵みとは、アブラハムの子孫かどうかという血肉によらず、また人間の努力や善行によらず、ただイエスを救い主と信じる者すべてに与えられると、聖霊の働きによって示されていったのです(ローマ5章6章、他)。更にパウロはガラテヤの手紙において、「わたしは、キリストと共に十字架につけられています。生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に住んでおられるのです(ガラ2:19−20)」と証しします。ここでは、イエスをキリスト・救い主と信じる者は、神の目から見ると、罪ある身体は既に死んでおり、キリスト・イエスによる救いが与えられ、キリストご自身が私たちの中に生きておられるのだと、驚くべきことを告げました。つまり、人間に与えられる救いとは、人間の努力や行いは一切関わりなく、神から一方的に与えられる恵み(恩寵)以外の何ものでもないことを宣言し続けたのです。マルチン・ルターは、絶大な権力によって当時のカトリック教会の聖書解釈以外を認めようとしない姿勢にも、恐れず立ち向かっていけた力の源は、「わたしは、神の恵みを無にはしません(2:23)」と告白した、パウロの信仰姿勢に励まされたからです。
かつて、過酷な迫害を受けた日本人の切支丹たちと自分の命を救うため棄教した司祭(ロドリゴ)ジュゼッペ・キアラたちに対する評価は、遠藤周作「沈黙」が発表された50年前から賛否が分かれます。しかし、聖書が語る神の「恵み」とは、私たちが神を信じ続け、最後まで信仰を手放さないという人間の行為によるのではなく、救いに入れられた<キリストのものとなった>私たちを、決して神が手放されないという驚くべき神の愛なのです。
「すると主は、『わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ』と言われました。だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。それゆえ、わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足しています。なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです(コリ二12:9-10)」。


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