< meta http-equiv="X-UA-Compatible" content="IE=Edge,chrome=1" /> 「新生改革ぁ悒リストのみ』」牧師 友納靖史(2017/10/15) - 日本バプテスト連盟に所属するプロテスタント教会です
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週報巻頭言
週報巻頭言 : 「新生改革ぁ悒リストのみ』」牧師 友納靖史(2017/10/15)
投稿者 : admin 投稿日時: 2017-10-16 13:45:10 (99 ヒット)

コリントの信徒への手紙一1章18〜25節 
五百年前、宗教改革の烽火が上り、後に続くキリストの教会に与えられた信仰の結実(「5つのソラ」)の一つが、「キリストのみ」(ソルス・クリストゥス:Solus Christus)です。それまでの教会は、いつの間にか、聖書に基づかない風習や言い伝えが、福音と同等に扱われるようになっていました。その中に「マリア崇拝」「聖人崇拝」があります。主イエスの母マリアの信仰は尊敬に値することを私たちも同意します。しかし、神に祈りが届くためには、まず聖人や母マリアに祈って(ロザリオの祈祷)、イエスに取り次いでもらい、それからやっと父なる神に届くと教えられていた当時(今もなお)、このカトリックの教えに改革者たちは大きな疑問を投げかけました。旧約まで、聖なる神と罪ある人間の間には大きな溝がありましたが、主イエスによって、恐れずに神を「父」と呼び、祈れ、と教えられたことが宗教改革の原点とも言えます。こうして、主イエスが神と人との仲保者(間に立たれるお方)となってくださった喜びと感謝が、新約各書で証しされます(テモテ一2:5他)。今、私たちが祈る時に呼びかけるお方とは、「父と御子イエスと聖霊(マタイ28:19他)」なる神、唯一の主に祈りが届いている平安が与えられています。何よりも、私たちと同じ人となってこの地上を歩まれた主イエスが教えて下さったように、「父なる神さま」と祈る時、三位一体なる主なる神に願いと執り成しの祈りが届いているからです。
 これまでカトリックを含め、歴史の中で尊敬すべき多くの信仰の先達者が主に用いられてきました。しかし、私たちプロテスタントの教会はその方々を「聖人」として崇めたり、死者に祈り、その像を刻み拝するなどの行為は決して行わないと、聖書(十戒)に基づき、宗教改革以来、声を大にして語り続けています。なぜなら、「キリストのみ」が、人間に赦しを与え、救いを与え、永遠の命を与える力と権威を持っておられるお方だからです。主が十字架につけられた理由、それは、イエスが人々の病を癒すだけでなく、罪の赦しを宣言し、「自らを神と等しいものとされた(ヨハネ5:18)」からでした。又、十字架の苦難と死とを目前にされても、主イエスが父に与えられた業を担っていかれたのは、神の御子であるイエスご自身「のみ(だけ)」にしか成し得ない働きであることを知っておられたからです(イザヤ53章)。こうしてパウロは感謝をこめて告白します。「十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、わたしたち救われる者には神の力です(コリント一1:18)」と。
 この救いに先に預かった者として、ただキリストにより救われたことに満足するのではなく、「この私(たち)にのみ(だけ)に、託されている宣教の働きと使命とは何でしょうか」と 祈り求めて歩むとき、日々、新たにされる(新生する)喜びと恵みに預かるのです。


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