< meta http-equiv="X-UA-Compatible" content="IE=Edge,chrome=1" /> 新生改革 「礼拝のみ(二つの礼典)」 牧師: 友納靖史(2017/11/05) - 日本バプテスト連盟に所属するプロテスタント教会です
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週報巻頭言
週報巻頭言 : 新生改革 「礼拝のみ(二つの礼典)」 牧師: 友納靖史(2017/11/05)
投稿者 : admin 投稿日時: 2017-11-07 14:22:34 (53 ヒット)

マタイによる福音書3章13〜17節、ネヘミヤ記8章10節 カトリックは7つの礼典(サクラメント)、結婚・〈司祭の〉叙階・終油・堅信・告解(俊海)・ミサ(聖体拝領)・洗礼を定めていました。しかしルターたち改革者は、キリストによって「行うように」と聖書に記されれたもの以外、最初の5つを廃止し、バプテストも「バプテスマと主の晩餐の『二つの礼典』」として守り続けいます。 まず『バプテスマ』はルター派、カルバン派では幼児洗礼が継続し行われましたが、メノー派などは「信仰者の告白」に基づく、再洗礼(幼児洗礼をかつて受けた人々が再び信仰を明確に告白し受洗する)を聖書から解釈し、同じ新教諸派からも迫害を受けました。その後、英国国教会より分離・独立したバプテストの群れは「水によるバプテスマ」を聖書より主張します。主イエスがバプテスマをヨルダン川で受けようとされた時、ヨハネは思い止まらせようとしました。しかし主は「今は、とめないでほしい。正しいことをすべて行うのは、我々にふさわしいことです(マタイ3:15)」と、主イエスご自身の父なる神へ御心を貫く信仰告白を行い水の浸礼を受けます。その時、神の霊が鳩のように主イエスに降り、「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」と天よりの声を受けました。ここに神の御言葉と祝福を受ける、神と人との関係性が、今日の礼拝を守る基本姿勢・原型として示されたのです。特にルターにより、礼典が二つとされた礼拝改革で特筆する3点は、[蘿劼琉嫐が、人から神への奉仕(司祭が神へ犠牲を奉げるミサ祭儀:パンと杯を司祭だけが受ける)ではなく、神からの祝福を共に預かる共同体(万人祭司)となり、▲薀謄鷂譴竜啓庵羶瓦ら、自国語による神の言葉(説教)中心の礼拝へ。司祭だけが唱詠する神への賛美が、会衆が共に歌う賛美(コラール) を含む礼拝へと変えられていきました。バプテスト教会は、その後、説教壇を会衆席と同じ位置に近くし、神への賛美も訓練された聖歌隊のみならず、感謝の応答として会衆の全て(幼児から高齢者に至るまで)が奉仕することを喜ぶ群れへとされたのです。 『主の晩餐』は、今もカトリックが「仮体説(聖変化説)」〈司祭が祈った時、パンと葡萄酒がイエスの体と血それ自体となる〉と教え、ルター派は「共在説」〈パンなどは物質だが、その中に主イエスが共におられる〉とします。しかしツイングリ、そしてバプテストは「象徴説」〈パンと杯はイエスの体と血潮の犠牲の象徴〉とし、受ける者自身が神の前に悔い改め、聖霊の働きによって私たち自身が日々、新生し、変えられることこそが主の願いであったと解釈するのです。 カトリックかプロテスタントか、伝統か改革かの違いを問わず、聖書全体に基づき、今も生きて働かれる主なる神の御心をこれからも探り続け、静寂なでも、喜び祝う元気な礼拝であっても、同じ主にある十字架の犠牲と愛とを喜んで礼拝する群れを主なる神が喜んでおられることを感謝しましょう。 「主を喜び祝うことこそ、《私たち》の     力の源(ネヘミヤ8:10より)」だからです。


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