< meta http-equiv="X-UA-Compatible" content="IE=Edge,chrome=1" /> 「新生改革─愍ぬ燭里漾(聖職とは)」牧師 友納靖史(2017/11/19) - 日本バプテスト連盟に所属するプロテスタント教会です
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週報巻頭言
週報巻頭言 : 「新生改革─愍ぬ燭里漾(聖職とは)」牧師 友納靖史(2017/11/19)
投稿者 : admin 投稿日時: 2017-11-20 12:55:13 (87 ヒット)

コへレトの手紙9章10節、マタイによる福音書20章1〜16節「聖職」とは、司祭(や牧師、また教員)職にある者だけを指す言葉のように使われていました。しかし、ルターによる宗教改革の一つに、どのような(神の御心に沿う)職種で働くことも、神よりそれぞれが与えられた貴く聖なる職であり、召命感を持ち成し遂げることは神のみ旨だと確認したのです。その後、監督制(カトリック・ルター派)の教会制度から更なる宗教改革がなされ、会衆制(バプテスト)が整えられ、主の御前に等しい信徒の教会が形成されたのです。
旧約時代の職業は、親から子へ継がれ、仕事で労苦するのは、男(アダム)への罪の“報い”(創世3:17-19)であり、人生の“むなしさ”(コヘレト9:7-10)だと受け止められていました。しかし新約時代、主イエスは、弟子たちを取税人や漁師から、主の弟子として招かれ(マルコ1:16-20他)、招きに応え主に仕えつつ、それぞれの役割を担い合い、初代教会の基が形成されます。
主イエスの譬え話に、ある主人(主なる神)が労働者を雇い、自分のぶどう園へと送り込む物語(マタイ20:1-10)があります。夜明け、朝九時、正午、午後五時と『何もしないで<人生の意味や目的を見出せないで>』いる人々に職を与え、日が暮れる頃、一日の賃金を払う時となりました。驚くことに、働いた時間に関係なく、賃金の一デナリオン(当時、一日働いて家族を養える額)が全ての労働者に等しく支払らわれたのです。当然、夜明けから働いた者たちから不平不満が噴出します。ところが、主人はこう答えます。「わたしはこの最後の者にも、あなたと同じように支払ってやりたいのだ。・・・わたしの気前の良さをねたむのか(20:13-15)」。主なる神が私たちの人生に与えられた価値観、信仰観と愛は、人の思いを遥かに超えています。
神が私たちを救い、主の働きへと招かれ導かれる、時、場所、方法は異なります。しかし主は「同じように」、それぞれの賜物を用い、仕える喜び、何よりも主と共に生きる喜びを与えたいと願っておられます。この主なる神の御心を知り、それぞれの職業観、結婚観、生死観、つまり人生の意味を理解する時、私たちは、人からの評価や比較による、不安や恐れから解放されるのです。
常盤台に主より託された教会の目的として、「礼拝・教育・伝道・奉仕・交わり・祈り」、そして「休息」があることを聖書から分かち合いました。今日の総会で、神の招きに応えて教会員一人一人が、それぞれの使命(ミッション)を見出し、喜んで主に仕える教会、新しい執事制度を具現化するための決議をします。今、主なる神はあなたをどのような神の(ぶどう)畑へ導いておられるでしょうか。神からの招きに恐れずに、各自の働きを共に担う主の同労者として歩みましょう。なぜなら主にあって、私たちは皆、“聖職”を与えられているのですから。


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