< meta http-equiv="X-UA-Compatible" content="IE=Edge,chrome=1" /> 「新生改革『ここはあなたの教会です』」牧師 山下真実(2017/11/26) - 日本バプテスト連盟に所属するプロテスタント教会です
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週報巻頭言
週報巻頭言 : 「新生改革『ここはあなたの教会です』」牧師 山下真実(2017/11/26)
投稿者 : admin 投稿日時: 2017-11-27 15:43:01 (114 ヒット)

エフェソの信徒への手紙1章17〜23節
「教会」(ἐκκλησία/エクレーシア)という言葉の語源(ギリシャ語)を見ると、それは「(神さまによって)呼び出されたもの」という意味です。現代においては多くの場合、地域における個々の教会共同体や、建物としての教会を指しているように思われます。しかしそれは、かつてひとつの大きな組織的教会であったローマ・カトリック教会から、宗教改革によって個々人の信仰が認められるとともに、一つひとつの教会が自立していった(各個教会主義)中での言葉の変化だったでしょう。いま改めて原点に帰り、世界大のスケールで教会をとらえ、私たち一人ひとりがそれぞれの場所から、神さまによって「呼び出されて」いまここ(教会)に集められていることを思うと、とても感慨深く感じます。
そこにあるのは、まず第一に神さまの招きです。エフェソ書でパウロが繰り返し語っているように、教会には「すべて」のもの(22,23節)が招かれているのです。そこにあるのは、かつて「あなたがた」と呼んでいた人たちが「わたしたち」と呼び合い、イエス・キリストへの信仰を共にする関係性の中に入れられていくという、教会に与えられた「神の力」と「希望」の約束です(17,18節)。
その力の源、希望の光、約束のしるしは、「すべてのものの上にある頭」(22節)であるイエス・キリスト――その姿は、イザヤ書52〜53章に描かれる「苦難の僕(しもべ)」――です。栄光の王、キリストの姿は、私たちが思い描くような、きらびやかな王様の姿ではありませんでした。そこにあるのは、人々に理解されず、犯罪者として鞭打たれ、唾をかけられ、嘲られ、十字架に架けられ、それでもなお苦しみの中で人々のためにとりなし祈った、あの痛ましい姿です。人間の妬みや憎悪が渦巻くこの世界の中心で、神さまの愛を叫んだキリストの姿…聖書はそれを、「苦難の僕」の栄光の姿だと語るのです。自分を憎み、傷つける者も含めたすべての人を友と呼び、その友のために命を捨てる(ヨハネ15:13)などということが、いったい誰にできるでしょう。しかしそのキリストの姿にこそ、「すべて」の人を招く「キリストの体」なる教会の働きが表されているのです(23節)。
「キリストの教会」には、あなたもあなたの家族も、この世界のすべての人が招かれています。「ここからが教会、ここまでが教会」ではない。全世界において、また私たちの生活の全領域において、「すべてにおいてすべてを満たしている方(キリスト)のおられるところ」はどこでも「キリストの教会」だからです(23節)。
私たちは、この世界のただ中にあって、様々な日常の困難の中にあって、目を覆いたくなるような悲惨な出来事のただ中にあって、キリストのように愛を叫ぶもの、とりなし祈るものでありたいと思います。
水が海を覆うように、いま、ここにも、イエス・キリストの愛が満ち溢れている…
       「ここはあなたの教会です」


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