< meta http-equiv="X-UA-Compatible" content="IE=Edge,chrome=1" /> <クリスマス礼拝>「クリスマスの贈り物『悲嘆を乗り越える力』」牧師 友納靖史(2017/12/24) - 日本バプテスト連盟に所属するプロテスタント教会です
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週報巻頭言
週報巻頭言 : <クリスマス礼拝>「クリスマスの贈り物『悲嘆を乗り越える力』」牧師 友納靖史(2017/12/24)
投稿者 : admin 投稿日時: 2017-12-25 15:32:28 (101 ヒット)

マタイによる福音書2章13〜23節
 「悲嘆(グリーフ)」とは、死別、離別、転居などによって引き起こされる、全人的苦痛、深い悲しみを表す言葉です。救い主イエスの誕生を心から喜び祝う東方から来た占星術の学者たちと対照的に、後に続くマタイの記事には、命を狙われ、故郷を追われてエジプトへ逃避行せざるを得なかった幼子イエスの両親の悲嘆。更に王に逆らい、黙って自分たちの国へと帰っていった学者たちに怒りを覚えたヘロデ王により、ベツレヘムとその一帯に住む二歳以下の男児たちが殺害され、悲嘆にくれる家族の姿が描かれています。
 「悲嘆」を二つに区分すると、一つは、自然災害など、人間の手に及ばない出来事を通し、また戦争のように人間の罪や愚かさによって起こされ、二度と経験したくないと感じる悲嘆です。避けられるなら避けられる方法を生み出したいと願い、これらの体験を通して私たちは悲しみを忘れることなく、安全と平和を構築する使命を新たにさせられます。そうして、神にしか与えられない慰めを祈り求めていくことに人は目覚めるのです。悪に満ちたヘロデによる幼児殺害の悲嘆はこれに属します。
もう一つの悲嘆とは、確かにその時には辛く大きな痛みを伴いますが、その先に神の祝福が備えられていると信じ、乗り越える希望を伴うものです。つまり、たとえ人間によって引き起こされた悲しみでさえも含め、神は、災いではなく、将来と希望を与えてくださるお方だと信仰によって受け止められる悲嘆です。
東方の学者たちが携えていた三つの宝物には様々な議論があります。通常は救い主に献げるために故郷から携えてきたと解釈されます。しかし一説では、旅路を共にする大勢の人々に必要とされた彼らの自身の財産を、救い主・幼子イエスとの出会いによって、喜びに満たされ、神に突き動かされて、計画にはなかった財宝をイエスに献げたとするものです。実はこれが後に貧しき主イエスの家族が、エジプトへ逃れる旅路と滞在の生活の糧として用いられ、守られていったからです。主に従い、歩もうとする時、辛い別れや痛みを伴うことがあります。しかし、「主の山に備えあり(創世22:14)」との御言葉が真実であったように、悲嘆を通り抜けなければ体験し得ないこともあるからです。
後にヨセフらが、エジプト逃避行を思い起した時、主の天使が前もって夢に現れ、語りかけられた体験(マタイ1:20‐21)があったからこそ、その後、様々な悲嘆を受けとめ、イエスを通して用意された救いの計画と祝福に目を留め、乗り越える力とされたのです。十字架と死を担い、復活による永遠の命を与える計画を担うためにお生まれ下さった主イエスの誕生を感謝し、私たちの持つ宝物を主に奉げて参りましょう。


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