< meta http-equiv="X-UA-Compatible" content="IE=Edge,chrome=1" /> 「感謝こそ祝福の源」牧師 友納靖史(2017/12/31) - 日本バプテスト連盟に所属するプロテスタント教会です
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週報巻頭言
週報巻頭言 : 「感謝こそ祝福の源」牧師 友納靖史(2017/12/31)
投稿者 : admin 投稿日時: 2017-12-31 10:26:02 (126 ヒット)

詩編9章2節 
聖書には繰り返し「神への感謝」が語られます。9篇は詩編の中に記された「感謝の詩編」と呼ばれる最初のもので、10篇と合わせて書かれました。ここで「心を尽くして主に感謝をささげ(よう)」、との呼びかけは、神への感謝を覚えながら、感謝を表明すことの少ない私たちにとって、見えない手で肩をポンと叩かれ、前に押し出されるような御言葉です。特に「心を尽くして」の『心(レーブ)』とは、人の心の移ろいやすい感情的側面ではなく、決断や悟りを基として人間の自主的、行動的な心の動きを表したヘブル語が用いられています。つまり、感謝できることだけを感謝するのでなく、感謝できないことさえ、神にあって祝福に変えられると信じる信仰に基づいて「感謝をささげよう」と勧められます。
 更に、続く「(神の)驚くべき御業をすべて語り伝えよう」との御言葉は、時を越え、神のして下さったことへの感謝を自分の中だけに留めず、隣人と分かち合うことが勧められます。特に旧約における神の民が語り伝えた出来事、奴隷の苦役から解放された出エジプトの出来事を覚える「過越しの祭り」で、その日がユダヤの民とって新年として今も祝われ続けています。
新約聖書に目を向けると、主イエスが、五つのパンと二匹の魚を、多くの人々と分かち合う奇跡が行われる直前(マタイ15:36)、そして弟子たちと過越しの食事の最中(最後の晩餐)に杯(赦しの象徴)を分かち合う直前(マタイ26:27)、共に「感謝の祈りを唱えた」と証しされます。ここにも主イエスが、祝福を受けたから感謝するのでなく、まず神を信頼し、感謝を奉げる信仰姿勢が神の祝福を引き出すと証しされています。
 新しい年を迎えるあたり、今年最後の日に、今年の恵みを主に感謝する礼拝を奉げつつ、更に先取りして、来年の感謝を主に奉げられるこの時は実に祝福されています。「私もこのように生きたい」と願う、パウロにある御言葉をどのような時にも思い起こしたいと願います。「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです」(テサロニケ一5:16-18)。
 日々、主に感謝を奉げると共に、隣人、家族、そして教会の兄弟姉妹にも感謝を分かち合う時、それぞれの関係性は間違いなく祝福に満ちたものへと変えられます。これからも、主なる神がして下さった全ての恵みの業に対して、心を尽くして感謝し、分かち合って参りましょう。感謝する人の周りには、感謝が尽きることがないからです。
 今年一年の常盤台教会に連なる皆さんお一人お一人の信仰にある貴い福音宣教の業に心より感謝致します。

「不思議です 不思議です 今なお生かされて
   いることが 悲しみや 苦しみを耐えてこられた
    ことが 主の信仰をたもちこられたことが 
     天のお父様に ただ感謝するのみです」
   
        (水野源三「瞬きの詩人」)


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