< meta http-equiv="X-UA-Compatible" content="IE=Edge,chrome=1" /> 「祈りの力 慊阿』」牧師 友納靖史(2018/01/21) - 日本バプテスト連盟に所属するプロテスタント教会です
礼拝ビデオをご覧下さい
アクセスカウンタ
今日 : 158
昨日 : 165
総計 : 765867
平均 : 111
週報巻頭言
週報巻頭言 : 「祈りの力 慊阿』」牧師 友納靖史(2018/01/21)
投稿者 : admin 投稿日時: 2018-01-25 11:18:48 (117 ヒット)

ルカによる福音書11章1〜4節
 「祈り」はどう定義されるでしょう。一般に、「人間の願いを神(超越者)へ伝えること」とです。しかし聖書は私たちへまず「神に聴くこと」、そして「神との対話」だと教えます。主が少年サムエルを呼ばれた時、サムエルは初めそれが主だと分からず、祭司エリの元へ行きました。すると三度目にエリは、主がサムエルを呼ばれたと悟り、伝えました。「もしまた呼びかけられたら、『主よ、お話しください。僕(しもべ)は聞いております』と」(サムエル上3:9)。こうしてサムエルは主からの語りかけを聞き、エリに主の言葉を伝えました。果たして私たちも、主からの語りかけに耳を傾け、対話ができているでしょうか。
 主イエスご自身が「神の言」として、この地上へ来られ、語りかけられたとき、多くの人々はそのことに気づきませんでした。その中で弟子たちはイエスに「祈りを教えてください」と尋ねると主は、「祈るときには、こう言いなさい」と今日私たちが祈る「主の祈り」を教えられました(ルカ11:2-4)。主の祈りは大きく二つに分けられます。前半は神を「父」と呼び、御心を知るために「耳を傾ける祈り」です。後半は、私たち自身に必要な人生の糧を、臆せず「神に求める祈り」です。やはりここでも、まず神に聴くことが出発点となります。日本語翻訳は「神に“聞く”」が使われていますが、「聴く」がより意味を表し(「聞く」は自然と耳に入り、「聴く」は自ら積極的に耳を傾けること)、そのためには『黙想(沈黙)の祈り』が求められます。
 パウロは「実に、信仰は聞くことにより、しかも、キリストの言葉を聞くことによって始まる(ローマ10:17)」と語りました。初めは心から耳を傾けていなくても、自然と入ってきた神の言葉が、私たちの内面、魂に届き、その後、自ら「傾聴」する者へと変えられていくことを思う時、自分の言葉で祈るよりも、『御言葉による祈り』をする者へと導かれていきます。「人前で祈ることは苦手です」と言われる方は、自らの言葉で祈る限界を知っている方でもあります。ですから、主イエスが教えられた、「主の祈り」を自らの祈りとして、かつ聖書の御言葉を引用し、恐れずに祈って良いのです。
 私たちの内面にある、恐れや不安、感謝と希望などどのような感情や願望さえも神の前に祈りとして言語化することが許されているのは大きな祝福です(創世24:15)。まだ同時に、神は私たちの言葉に出来ない祈りさえも聞いてくださる(詩編139:4)、お方であることに驚きと感動を覚えます。
 全ての人が神に祈り求める欲求がある(詩42:2)からこそ、主イエスが語られた「わたしの家は、すべての国の人の“祈りの家”と呼ばれる(マルコ11:17)」と御言葉は語りかけます。と当時に、それぞれの場所で祈れる恵み(マタイ18:20、コリ一3:16)をも私たちは知らされていることは大いなる祝福です。共に聴き、共に祈りましょう。

「呼ばれています いつも。聞こえていますか
  いつも。遥かな遠い声だから。良い耳を、
   良い耳を 持たなければ。」             
     (カトリック礼典聖歌409)


印刷用ページ このニュースを友達に送る

投稿された内容の著作権はコメントの投稿者に帰属します。