< meta http-equiv="X-UA-Compatible" content="IE=Edge,chrome=1" /> 「祈りの力ァ悗劼兇泙困』」牧師 友納靖史(2018/03/04) - 日本バプテスト連盟に所属するプロテスタント教会です
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週報巻頭言
週報巻頭言 : 「祈りの力ァ悗劼兇泙困』」牧師 友納靖史(2018/03/04)
投稿者 : admin 投稿日時: 2018-03-05 15:32:54 (294 ヒット)

歴代誌下7章11〜15節
 祈る姿勢として聖書には、手を“上げて”“広げて”“置いて”、またある時には“ひざまずいて”祈る姿が記されています。どの姿勢も、神に向かう一人一人の真剣な信仰姿勢の表れであることが分かります。宗教改革を経て存在する私たちの教会は、カトリックの形骸化したものにプロテストし、取り除きましたが、聖書に基づき取り戻す必要もあるようです。
 モーセは神より「戒め」を再度受け取る時、「ひざまずき、ひれ伏し(出エジ34:8)」ます。又、ペルシャの王ダレイオス王に重んじられたダニエルを妬む他の大臣が、彼を陥れる法を定めても彼は「いつものとおり、エルサレムに向かって開かれた窓際にひざまずき、日に三度の祈りと賛美を自分の神の前にささげた(ダニ6:11)」のです。
 そして今日の箇所では、ソロモン王が高慢にならないよう、「わたしの民が、ひざまずいて祈り、わたしの顔を求め、悪の道を捨てて立ち帰るなら、わたしは天から耳を傾け、罪を赦し、彼らの大地をいやす(歴代下7:14)」と神は語られました。私たちは今、どのような姿勢で祈ったら良いのでしょうか。
 詩編95篇に「わたしたちを造られた方、主の御前にひざまずこう。共にひれ伏し、伏し拝もう。主はわたしたちの神、わたしたちは主の民、主に養われる群れ、御手の内にある羊。 (6-7)」とあります。これは文字通りに、ひざまずき、ひれ伏すことを勧める以上に、羊が羊飼いを信頼して地面に伏し、身を低くし、身を投げ出して平安と喜びの中で生かされるようにと譬えを用いて語られました。
 主イエスも捕らえられる直前、オリーブ山でひざまずいて祈られました。「父よ、御心なら、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願いではなく、御心のままに行ってください(ルカ22:41-42)」と。この時、完全に人として歩まれた人間イエスの信仰の姿勢を通し、神の救いが私たち人間に与えられたことを使徒パウロは次のように証しします。「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。このため、神はキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる名をお与えになりました。こうして、天上のもの、地上のもの、地下のものがすべて、イエスの御名にひざまずき、すべての舌が、『イエス・キリストは主である』と公に宣べて、父である神をたたえるのです(フィリピ2:6-11)」。
 主イエスのこの姿に感謝し、主を賛美する時、単に身体的に「ひざまずく」ことはなくとも、神は私たちを喜んでくださいます。しかし、もし私たちが神の前にひざまずき祈る心が与えられるなら、人の目を恐れず、ひざまずいて祈りましょう。何よりも神は私たちの心を知っておられるお方ですから。


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