< meta http-equiv="X-UA-Compatible" content="IE=Edge,chrome=1" /> 「 再び僕らは出会うだろう 」牧師 山下真実(2018/03/11) - 日本バプテスト連盟に所属するプロテスタント教会です
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週報巻頭言
週報巻頭言 : 「 再び僕らは出会うだろう 」牧師 山下真実(2018/03/11)
投稿者 : admin 投稿日時: 2018-03-12 15:01:26 (262 ヒット)

エレミヤ書29章4〜14節
優しさだけじゃ生きられない 別れを選んだ人もいる
再び僕らは出会うだろう この長い旅路のどこかで…
(Tomorrow Never Knows / Mr.Children [1994])

 「出会い」とは不思議なもので、私たちはそれを自分で求めることができるようで、できません。私たちはいつも、お互いと出会っているようで、実はすれ違ってばかり…お互いのことをしっかりと認識することもなく、通り過ぎてばかりであるように思います。自分の人生を振り返るとき、「なぜあの時、あの人にひと声かけることができなかったのか」「なぜしっかりと向き合うことができなかったのか」と思うことがないでしょうか。
 「私たちは出会っているだろうか」という問いは、かけがえのないひとつひとつの命に、私たちが目を留めることができているだろうか、という問いと同じかもしれません。悲しいかな私たちには、出会えない、ということがあるのです。その時は目に留まらず、通り過ぎてしまうということがあります。しかしそれでも、そのすれ違いに終わってしまった出会いが、後に再び訪れる出会いに繋がることがあります。かつての出会い(別れ・すれ違い)が、今の出会いに繋がっているということがあるのです。私たちは与えられた人生の中で、一度は出会うことのできなかったかもしれない命(存在、出来事、言葉、テーマ)と、再び出会っていくそのようなチャンスを、絶えず与えられ続けながら、生かされているのだと思います。
 神さまは、「心を尽くしてわたし(神)を求めるなら、わたし(神)に出会うであろう」(13-14節)と語っています。出会いたくとも出会えずに、通り過ぎてしまう私たちに対して、「求めるなら」と語りかけてくださる神さまは、私たちに先立って、まず私たちに出会ってくださったお方です。私たちが神さまを求めるよりも先に、神さまは「将来と希望を与える」計画(11節)として、私たちのもとにイエス・キリストを送ってくださいました。神さまと出会うことを拒み続ける私たちに対して、神さまは今日も諦めずに、出会い続けてくださっている、語り続けてくださっていると思います。
 私たちは、そのような神さまの語りかけに応えたい。そして恐れずに、お互いとも出会っていくものでありたいと思います。聖書は、70年もの捕囚の生活の中にあった民に対して、その捕囚の地のただ中にあって「その町の平安があってこそ、あなたたちにも平安がある」(7節)と語っています。それは、状況の違い、痛みの違い、信仰の違いさえも超えて、私たちが隣り人と出会い、共に生きることを願う、神さまからのメッセージです。相手がたとえ、自分たちを「捕囚として送った町」の人々であったとしてもです。
 私たちは、隣にいるお互いと、そのかけがえのない命と、出会っていきたいと思います。そこに、神さまの愛に応える教会の働き、聖書が語る「神の国の平和」が広がっていくのだと信じています。


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