< meta http-equiv="X-UA-Compatible" content="IE=Edge,chrome=1" /> 「 祈りの力Α愆脅佞垢襦 」 牧師 友納靖史牧師(2018/03/18) - 日本バプテスト連盟に所属するプロテスタント教会です
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週報巻頭言
週報巻頭言 : 「 祈りの力Α愆脅佞垢襦 」 牧師 友納靖史牧師(2018/03/18)
投稿者 : admin 投稿日時: 2018-03-19 15:07:53 (177 ヒット)

ネヘミヤ記12章27節、ルカによる福音書17章11〜19節
 天地の造り主なる神に「感謝する」行為と言葉とが聖書に数多く記されています。アダムが息子たちと共に神へ献げ物をする記述を筆頭に、人生の節目において感謝を奉げ続けます。聖書が語る感謝の表明の方法には三つあります。第一に、献げ物を神に奉げ、第二に賛美を通して。そして第三に、祈りの言葉によってでした。旧約で「感謝の祈り」との記述は、ネヘミヤ記12章27節だけですが、詩編などには数多く、賛美、また祈りの言葉として神に奉げられ、今に至っています。
神への感謝の祈りの言葉は、個々人の信仰姿勢が表れます。第一に、感謝できることに感謝する信仰。第二に、感謝を先取りして、感謝する信仰。第三に、感謝出来ない事柄でさえも、感謝する信仰です。新約には、主イエスが、十字架にかけられる前夜、弟子たちと共に最後の晩餐を行い、その席で、「杯を取り、感謝の祈りを唱えて、彼らにお渡しになった(マルコ14:23)」と各福音書記者達は共に記します。ここでは主イエスが、これまでの歩みを神に感謝し、祈られたこと。次に、主ご自身が歩まれる十字架の苦しみによって救いが完成することを信じて先取りして感謝されたこと。そして、ゲッセマネにおける祈りのように、本当であればその苦しみを避けたいとの願いながら、受け入れ難い十字架の道さえも感謝し、祈られました。主イエスの信仰から私たちは実に多くを学びます。
ある日、重い皮膚病に苦しむ十人が、「イエスさま、先生、どうか、わたしたちを憐れんでください」と声を張り上げて助けを求めました。主イエスは彼らの求めに応え、癒しの道を開かれたのです。ところがその後、主イエスのもとへ感謝を表明するために戻ってきた人はたった一人でした。この九名の姿の中に私たちの姿を重ねてしまいます。なぜなら、困難や課題の最中にあるときは必至で助けを求めながら、問題が解消すると、感謝の気持ちさえも直ぐに薄れていくことが多々ある者だからです。人としてこの地上で歩まれた主イエスは、ご自分に感謝を現すことを求められたのではなく、癒しを与えられる父なる神への感謝の大切さを教えられたのです。「この外国人のほかに、神を賛美するために戻って来た者はいないのか(ルカ17:18)」と語り、感謝するために帰ってきたこの人に、「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰があなたを救った」と祝福を与えられました。主に感謝するために戻って来た一人の病人は、身体が癒されただけではなく、神と共に生きる魂の癒し(救い)に預かる者とされたのです。
“常に喜び、絶えず祈り、全てのことに感謝せよ”と勧めたパウロは「わたしたちは、祈りの度に、あなたがたのことを思い起こして、あなたがた一同のことをいつも神に感謝しています(テサロニケ一1:2)」とも語りました。私たちも願わくは、主から、また周りの方々より受ける恵みに応答し、日々、感謝の祈りと賛美、そして献げ物を携え共に歩んで参りましょう。


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