< meta http-equiv="X-UA-Compatible" content="IE=Edge,chrome=1" /> 「”いのち”輝く◆愎燭遼かさを知る』」牧師 友納靖史 - 日本バプテスト連盟に所属するプロテスタント教会です
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週報巻頭言
週報巻頭言 : 「”いのち”輝く◆愎燭遼かさを知る』」牧師 友納靖史
投稿者 : admin 投稿日時: 2018-04-29 14:34:42 (217 ヒット)

黙示録2章8〜11節“イエスとは何者か”。これが新約聖書全体のテーマで、黙示録はどの書簡よりもイエスこそ、“神であり主。アルファ(最初)でありオメガ(終わり)である”と開示し宣言します。
復活の主イエスは、スミルナの教会に、彼らが苦難と貧しさに置かれながら、信仰を保っていることに慰労の言葉をかけます。他の6つの教会に対するような叱責の言葉がここには、一言もありません。しかし、彼らが、この世の現状のみに目を向けることなく、天の国の視点で生きることを勧めこう語ります。「だが、本当はあなたは豊かなのだ(2:9)」と。“豊かさ”とは、金銭物質的に裕福な状態よりも、信仰に富み、御国を相続する者とされている(ヤコブ2:5)状態を指し、その人の人生(命)、いや永遠のいのちを大きく左右すると語ります。主イエスはこの視点に立って生きるようにと、公生涯で繰り返し語られ、教えられました(ルカ16:19ラザロと金持ち、19:1ザアカイ等)。当時、スミルナや諸教会が直面している時代状況はローマ帝国による迫害の只中に置かれていました。「受けようとしている苦難を決して恐れてはいけない(2:10)」と、当時の異教の教えや倫理観に妥協し、追従することなく、福音に固く立ち、恐れず宣べ伝え続けるように語りかけられたのです。なぜなら、この悪の時代と間違った人生観や価値観は長続きしないことを主イエスは知っておられたからでした。しかし同時に「死に至るまで忠実であれ、そうすれば、あなたに命の冠を授けよう」と今も、また死を越えた先にある“いのち”が、いかに素晴らしい祝福であるかを示されたのです。
最後に、「勝利を得る者は、決して第二の死から害を受けることはない(2:11)」と力強く宣言されました。第一の死とは、地上の肉体の死を意味しますが、“第二の死”とは、イエスが再び来られ、全ての悪を裁き滅ぼされる永遠の滅び(21:8他)のことです。主イエスがなぜ、黙示録の著者に現れ、諸教会に語りかけられたのか、その目的がここにも示されます。それは、正に「独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るため(ヨハ福3:16)」との言葉を実現するためでした。
この世で称される“人生の勝利者”と、神の国での呼び方には大きな違いがあります。「世に勝つ者はだれか。イエスを神の子と信じる者ではないか(ヨハ手一5:5)」とある通り、真の勝利者とは、主イエスが共におられるから、自分の力で頑張る必要がないことを信じ、平安を得て歩む人のことです。「忠実」であるとは、自分が頑張って努力する信仰ではなく、いかなる時においてもイエスが私たちを守りお支えくださることを信じることです。十字架の上で真の愛と信仰を示し、死と悪に勝利された主イエスに全幅の信頼を託し、最後まで共に歩み続ける教会とされて参りましょう。


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