< meta http-equiv="X-UA-Compatible" content="IE=Edge,chrome=1" /> 「信条から告白へ◆愼箸蟷劼覆訖世鮨じる』 」牧師 友納靖史(2018/07/01) - 日本バプテスト連盟に所属するプロテスタント教会です
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週報巻頭言
週報巻頭言 : 「信条から告白へ◆愼箸蟷劼覆訖世鮨じる』 」牧師 友納靖史(2018/07/01)
投稿者 : admin 投稿日時: 2018-07-02 13:50:49 (73 ヒット)

マルコによる福音書9章2〜13節 
主イエスの呼び名として、“神の独り子”“神の御子”“神の小羊”“キリスト(メシア)・救い主”“いのちのパン”“インマヌエル”等…、聖書は実に多くの告白を記録します。その中より『使徒信条』は「我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず」と、救いに導く最も重要な信仰の告白を選びました。一方、ニカイア(・コンスタンティノポリス)信条と呼ばれる教会公会議(AD381年)で採択されたものは、次のようにイエスを告白します。「我は唯一の主イエス・キリストを信ず。主はよろず世の先に、父より生まれたるひとりの御子、神よりの神、光よりの光、まことの神よりのまことの神、造られずして生まれ、父と一体なり。よろずのもの主によりて造られたり」と。これは、使徒信条の文言だけでは言い尽くせていない、イエスへの『主(しゅ)告白』がより詳しくなされたのです。だからこそ、バプテストの先達者たちは、「使徒信条」だけを告白するのではなく、キリスト者一人一人が、聖書を深く読み、各自が心をこめて“主告白”する信仰の道を選び取ったのです。
 聖書の中の聖書と言われるヨハネ福音書3章16節はこう宣言します。「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」。ここで独り子イエスを信じるとは次の意味を明示しています。第一に“神の独り子としてこの世に遣わされたイエスという方の存在を信じる”こと。第二に“神が、神の独り子をこの世に送られるほど、私(たち)のことを愛しておられる”と信じることです。たとえこの一節だけを信じ、告白し、バプテスマを受けるとしても、人は永遠の命を受ける神の救いと恵みとに預かるのです。
 今日の箇所は「主の変容(へんよう)」と呼ばれ、完全な人間としてこの地上で歩まれたイエスでしたが、この時は、神の輝く栄光を現わされたと証しします。父なる神が「これはわたしの愛する子。これに聞け(マルコ9:7)」と語られた場面は、父の御心に従ってバプテスマを受けられイエスに呼びかけられた箇所(1:11)と重なります。神の御子がその姿を低くして、徹底して人となって歩まれる姿に、神が声を再び発して、イエスとは誰かと、その存在を証しされた父としての愛が示されているようです。そしてその御子イエスは、私たちも神の子とされ、神の愛が注がれていると伝えてくださったのです。
 「言葉は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光で会って、恵みと真理とに満ちていた。…いまだかつて、神を見た者はいない。父のふところにいる独り子である神、この方が神を示された(ヨハネ1:14、18)」。この御言葉に「アーメン(真実です)」と心から唱え告白する者とされるため、私たちも主イエスが受けた聖霊(なる神)を慕い求めましょう。


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