「力を受け、遣わされよう」牧師 友納靖史(2015/04/05)

投稿日時 2015-04-06 14:44:20 | カテゴリ: 週報巻頭言

使徒言行録1章1〜11節
主イエスの復活を祝うこの主日より、教会が誕生し、全世界へと福音が広がっていった原動力とは何かを使徒言行録から学びます。「神が約束されたことは必ず果たされ(実現す)る」。これが旧約から新約聖書まで一貫したメッセージです。信仰の父と呼ばれるアブラハムに始まり、祝福を豊かに注ごうと願っておられる神の約束は、民族を超えて主を信じ「神の民」とされた私たちキリスト者にも、昔も今も変わりません。
ルカは福音書で、父なる神の約束(24:49)が実現しようとしていることを主イエスが語られ、その続編・使徒言行録においても、「エルサレムから離れず、前にわたしたから聞いた、父の約束されたものを待ちなさい」と主イエスの同じ言葉を改めて書き記します。なぜならこの神の約束こそが、私たちが真実に生きる上で最も必要とされる「聖霊」を与えることだからです。
「あなたがたは間もなく聖霊によるバプテスマ(洗礼)を授けられる」と主イエスは語られました。ルカが「バプテスマ」と語る時、三つの意味があります。第一に、バプテスマ(洗礼者)のヨハネによって与えられた『悔い改めのバプテスマ』。二つ目に主イエスを通して与えられる『聖霊のバプテスマ』です。実はこれらは別々なものではなく、「イエスは主である」と告白することは既に聖霊を受けているとの信仰(コリント12:3)に私たちは立っています。と同時に主イエスは、まず神を信じる第一ステップが悔い改めであり、次に聖霊を受けることにより、成熟した者へと作り変えられる必要性をも教えようとされたからです。バプテスマを受ける私たちへの神の願いは、自らの力に頼って生きる生き方から、神の(霊の)導きに従い、各々が聖霊によって豊かな実(愛、喜び、平和、寛容、善意、誠実、柔和、節制…ガラテヤ5:22-23)を結ぶことだからです
 もう一つ(「受けねばならないバプテスマ」ルカ12:50)とは、主イエスの苦難と十字架の死でありました。既に主が受けられたこの受難(パッション/使1:3)によって、今はもう私たちは、ただ一度だけ「水と霊のバプテスマ」を受けることによって、永遠の命が与えられるという驚くべき神の恵みを享受できるのです。生きる力と喜びに満たされ歩む人々をこの世へと遣わすために、約束された聖霊を求める者に与えたい(ルカ11:13)と主は願っておられます。




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