十戒シリーズ 愛の応答  「本当に欲しいものは」牧師 山下真実(17/09/10)

投稿日時 2017-09-11 13:47:29 | カテゴリ: 週報巻頭言

出エジプト記20章17節
「本当に欲しいものは」と問われたら、皆さんは何を思い浮かべるでしょうか。それをじっと見つめながらもう一度、「いや、『本当に』欲しいものは」と問われたら、目の前のそれがまた別のものに変わってはいかないでしょうか。私たちはよく、「自分のことしか考えられない」生き物だと言われることがありますが、本当にそうでしょうか。私たちは、本気で「自分のこと」を考えたことがあるでしょうか。「本当に欲しいもの」はなんですか。
 哲学者キルケゴールの言った「死に至る病」という言葉――その意味するところは、私たちが本気で「自分のこと」を考えてしまったならば、「絶望」に突き当たるということです。栄華を極めた王ソロモンでさえ、「すべては空しい」(コヘレト1章)と述べました。私たちには、また私たちの生きる世界には、限界がある…それに気づいてしまった時、私たちは絶望してしまう…それでは生きていくことができないので、私たちはその絶望を忘れ、満たされないその思いを埋めてくれる何かを求め、自分のところにないならば、と「隣人のものを欲して」(出エ20:17)しまうことさえある。「ここにはない、でもあそこにはあるのではないか」、そうやって他者との境界線を越えて、世界を思い通りにしようとする。そのために時に他者の持ち物を奪い、関係性を奪い(姦淫)、命をも奪っていく。私たちは、「空しい」「ない」ということ、「絶望」を見つめることが恐ろしいのです。
 しかし聖書は十戒を通して、私たちには神さまの「ほかに神があってはならない」(出エ20:3)と語ります。ほかに「ある」ということ自体があり得ない。「わたしはある」(出エ3:14)という神さま以外には何も「ない」のだということ、そのことを認めるようにと語りかけるのです。
 サマリアの女性(ヨハネ4章)は、心に深い「渇き=絶望」を抱え、それを何とかして埋めようとして生きていました。彼女はキリストに、「主よ、渇くことがないように、また、ここにくみに来なくてもいいように、その水をください」(15節)と言いました。その時彼女が出会った神さまからの語りかけが、今日私たちにも語られています。神さまが「礼拝する者を求めておられる」(23節)ということ、私が神を(あるいは宗教や信仰を)必要とする以前に、神さまが私を求めておられるということです。私を造られた神さまが、私の存在を、命を、無条件に必要としてくださっているというのです。そのことを私に伝えるために、神さまは何度も語りかけてくださっていたのです。あの「ぶどう園の主人」(ルカ20:9-19)のように。
 私の「本当に欲しいもの」はここに「ある」のです。




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