「新生改革А愎仰者のみ』(万人祭司)」牧師 友納靖史(2017/11/12)

投稿日時 2017-11-13 14:44:08 | カテゴリ: 週報巻頭言

ペトロの手紙一 2章1〜10節、詩編46篇1〜12節
第一礼拝では、日本ルーテル教会(幼稚園)が宗教改革500年を記念し制作した紙芝居を用い、ルターが聖書に基づいて歩み、信仰者として成長する物語を分かち合います。ルターは父が期待した道でなく、神に従う修道士の道を選びました。そこで聖書そのものを読む機会を得、当時の教会が聖書以外の権威(教会と教皇)に従うことに疑問を抱き、恐れを乗り越え、神の真理に立って生きる道を歩み続けたのです。正にルターの生き方、特に一人の信仰者として成長する姿に心揺さぶられます。
ルターは聖書(ペトロ一2:9) より、人間全て(万人)は罪人であるが、救われた者は神の前に福音宣教の働きを託された祭司、つまり『万人祭司・ばんにんさいし』であると語りました。主イエスの到来まで、レビ人だけが祭司として神殿に仕える職務を担っていましたが、キリストの弟子(クリスチャン)たちへ、全世界へ福音を宣べ伝える者とされる宣教命令(マタイ28:19−20)が主イエスによって託されます。更に、聖霊が弟子たち全てに注がれ(使徒2章)、同じビジョンを共有する教会が誕生しました。使徒パウロは、一人一人が「キリストの体の部分」とされ、異なる賜物と役割が与えられている(コリ一12:27〜)と語るように、決して全ての人が教師や説教者とされるのではありません。しかし、全ての者が「祭司の務め」、つまり神と人との間で執り成し、全ての人が神と和解する《罪を告白し、赦され、救われる》という役割(祈ることを含め)を担うことを祈り求めるとき、キリスト者として訓練され、成長するよう勧められたのです。カトリック教会礼典の一つであった「塗油(終油)の秘蹟」なども、宗教改革を経て聖書に基づき、主の前に謙虚にされた信仰者が相互に祈り合う交わりで行える恵みと約束が確認されました。「だから、主にいやしていただくために、罪を告白し合い、互いのために祈りなさい(ヤコブ5:13-16)」とあるからです。
 「神はわたしたちの避けどころ、わたしたちの砦。苦難のとき、必ずそこにいまして助けてくださる。わたしたちは決して恐れない。地が姿を変え、山々が揺らいで海の中に移るとも(詩編46:2-3)」。ルター作詞作曲の「神は我がやぐら」は、この御言葉をもとに作られ、今も歌い継がれています。彼は決して自ら望んで宗教改革者とされたのではなく、一人の信仰者として聖書の御言葉に聴き従うことを願った時、主なる神が彼を用い、世界が大きく変えられたのです。ルターの有名な言葉の一つに、「たとえ明日この世界が終わるとも、私はリンゴの木を植える」があります。彼の徹底したキリスト再臨の希望に基づき、どのような時代においても、最後まで主に従い続け、成長し続けるキリスト者の力の源は、聖書の御言葉を日々受け続けることこそが、最上の道です。
 今日の成長感謝礼拝において、子ども達の身心の成長を祈りつつ、全ての者が主の御国に招かれる日まで、主に与えられた霊と魂が成長させて頂けることにも感謝し、御言葉の種と苗とを植え続けて参りましょう。




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