「祈りの力 『叫ぶ』」牧師 友納靖史(2018/02/04) 

投稿日時 2018-02-05 16:02:12 | カテゴリ: 週報巻頭言

詩編5篇2〜4節
 「祈りは適度な声で静かに祈るもの」と日本の教会では教えられたようです。しかし、旧約を読むと「叫ぶ祈り」が何度も登場します。「わたしの王、わたしの神よ。助けを求めて叫ぶ声を聞いてください。あなたに向かって祈ります(詩5:3)」。この他にも、繰り返し人々が叫び声をあげて神に祈り、その祈りに神が応えてくださることが証しされます。人生の様々な危機において、叫び声を神に、人にあげる存在として人間は神に造られているようです。韓国の教会を訪ねた時、特に金曜徹夜祈祷会で、会衆が一斉に大きな声を上げて、叫びながら祈る姿に衝撃を受け、また感動したことは忘れられません。
 ある日、弟子たちと主イエスがエリコの町を出た時、道端に座っていた二人の盲人が、主がそこを通られることを知り、「主よ、ダビデの子よ、わたしたちを憐れんでください」と叫びました(マタイ20:30)。すると群衆たちは彼らを叱りつけ、黙らせようとしたのです。ところが二人はますます、「主よ、ダビデの子よ、わたしたちを憐れんでください」と叫びました。そこで主イエスは立ち止まって、彼らの願いを聞き入れ、癒されたのです。私たちは今、主なる神に、大きな叫び声をあげなくても、聞いてくださることを知っています(マタイ6:5〜)が、私たちの人生における状況や心情が叫び声を上げて祈ることを必要とする時、恐れず声を出せる祈りの場も必要なのかもしれません。
実は、主イエスも十字架上で何度も叫ばれました(マタイ27:50)。それは単に苦しみだけの叫び声でなく、父なる神への語りかけ、御言葉による祈りの言葉でもありました。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ(わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか〈マタイ27:46/詩22:3〉)」。「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます(ルカ23:46)」。この主イエスの、「御言葉による祈り」と「執り成しの祈り」の叫びは、父なる神の許に届き、信じる者にも、まだそうでない者にも神の赦しと救いの道が開かれる偉大な力となりました。このように、主イエスは私たちの心と魂(霊)の声なき深き嘆きを、主ご自身が代わって叫けばれ、「恐れず、神に苦しみ痛みを訴えよ」と示されたのです。
 今日、私たちが叫びをあげるのは、どんな時でしょうか。本当に、何かの助けが必要な時は、周りに臆することなく叫び声を上げるべきです。ですから、私たちはそのような祈りを互いに受け入れ、また必要を覚える時、恐れず叫び祈ることも信仰生活の大切な姿勢であると知る必要があります。
 神の民は、神への魂の叫びを祈りのみならず、賛美の歌声へと変えていきました。祈りによって、また賛美によって神に恐れず叫びましょう。なぜなら、「苦難の中から主に助けを求めて叫ぶと、主は彼らを苦しみから救ってくださった(詩106:6,13,19,28)」との御言葉は真実だからです。臆せず父に叫ばれた主イエスにならい、心の叫びを、言葉に、また賛美として奉げられるキリスト者は何と幸いなのでしょう。




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