「祈りの力ぁ惻垢蠕す』」牧師 友納靖史(2018/02/25)

投稿日時 2018-02-26 15:22:32 | カテゴリ: 週報巻頭言

テモテへの手紙一2章1〜15節
 「とりなしの祈り」の最たるものは、主イエスが十字架上で祈られたこの言葉です。「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです(ルカ23:34)」。ご自分を十字架に架けた人々に対し、その罪を問うのでも、報復を願うのでもなく、父なる神に赦し(救い)と祝福を与えてくださいと祈られた主イエス。この時の主の執り成しは、今なお私たち全ての者への罪の赦しへと及ぶのです。  
一般に「執り成し」とは、他者のために代わって誰かが、関係回復を援助する行為です。聖書に執り成す姿は、アブラハムが甥ロトのため、彼の住む邪悪な町ソドムが神に滅ぼされないことを神に執り成す祈りの姿(創世18:16-33)が描かれます。新約では初代教会成立時、使徒たちと共に奉仕した七人の一人ステファノが、信仰ゆえに殉教を遂げる際、「主よ、この罪を彼らに負わせないでください(使徒7:60)」と大声で叫ぶ姿に証しされました。今日の箇所は、ステファノの死を誘導し、その後復活の主と出会い、劇的回心を体験したパウロが、弟子テモテに牧会書簡として送り、諸教会でも回覧されたものです。ここでパウロは「全ての人々のため」に、願いと祈り、執り成しと感謝を神に献げよと勧めます。「全て」とは、当時の政治を司る邪悪な人々さえも含みました。なぜなら、完全な神であるお方が、完全な人となって地上に来られ、父なる神と人の間に立ち、執り成せる唯一のお方こそ御子イエスであったこと。そしてご自身を人の罪の贖いとして献げてくださったことを感謝し、誰一人として神の救いの計画から除外されてはならないと強調します。これは正に主イエスが語られた「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい(マタイ5:44)」との言葉が、イエスにより実践され、その執り成しがステファノへ、更にパウロへと波及し、パウロ自身が執り成され、救われた喜びから語られました。
 正直、8節以降の言葉には驚かされます。現代の視点から読むと、偏見と不信実に満ちた言葉としか思えないからです。「婦人は、静かにし、全き従順を学び、男の上に立ったり、教えたりすることを許さない…。アダムはだまされなかったが、女はだまされて罪を犯した」など。これらのパウロの言葉は、当時の教会における特定の婦人たちの課題を考慮に入れなければ、理解に苦み、普遍的真理として受け留められ難いものです。大切なことは、主なる神が語られた真理の以外、パウロの言葉でさえ、人の言葉として限界があり、神の言葉と同様にしてはならないと知る必要があります。つまりパウロも一人の弱き人間であり、彼のためにも執り成しが必要であったのだと聖書は今日、語りかけているのではないでしょうか。
 現代に生きる私たちも、罪深く不完全な者であり、今もなお主イエスに執り成され、赦され、今ここに生かされています。だからこそ、「主よ、互いに執り成しながら歩ませてください」と祈り合いましょう。




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