「 祈りの力А悵僂佑襦 」 牧師 友納靖史(2018/03/25)

投稿日時 2018-03-26 10:01:28 | カテゴリ: 週報巻頭言

ルカによる福音書23章44〜49節、ローマの信徒への手紙8章26〜30節
「主に自らをゆだねよ。主はあなたの心の願いをかなえてくださる。あなたの道を主にまかせ(ゆだね)よ。信頼せよ…(詩編37:4-5)」「あなたの業を主にゆだねれば、計らうことは固く立つ(箴言16:3)」…など。聖書には、主なる神は、私たち一人一人との関係性において、信頼と希望に基づき、常に心が平安に満たされる(平常心を保てる)ように整えようと語りかけておられることに気づかされます。
「依存するdependent」と「委ねるentrust/surrender」との違いを知ることは大切です。依存とは、単に誰かに頼る以上に、相手を自分の思いのままにコントロールしようとする力が働きます。しかし、委ねる関係性は、自分の存在も、相手の存在をも正しく認識し、自分の領分(自分が担う責任)を担い、それができない時には恐れず助けを求め得る健全性を現します。ヘブル語で「ゆだねる(ガーラル)」は、(石などを)「転がす」という意味です。神さまを信頼して、自分一人で抱えずに不安や恐れを転がす体験を祈るたびにできるのは、何という恵みでしょうか。「私の全ての心配事を主に委ねます。どうしていいか分からなくても委ねます、あなたに(リビングプレイズ)」など、賛美することも祈りと同じ平安が私たちを包みこみます。
 今週は受難週で、聖金曜日と呼ばれる日に主イエスは十字架上での最後の言葉として、「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます(ルカ23:46)」と大声で叫び、ご自身の“霊”を父なる神に帰されました。この姿は「神が人(アダム)に命の息<“霊”>を吹き入れた(創2:7)」ことに対して、また神にその霊をお返しする姿が証しされます。これはヨブ記で「わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。主は与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられよ(1:21)」との驚く程の徹底した神への信頼の姿と重なります。
 使徒パウロは祈りの素晴らしさ、神への信頼を、「ここまでですか!!」と驚くような言葉で告白しました。「…わたしたちはどう祈るべきかを知りませんが、“霊”自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成してくださるからです。人の心を見抜く方は、“霊”の思いが何であるかを知っておられます。“霊”は、神の御心に従って、聖なる者たちのために執り成してくださるからです。神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています(ローマ8:27-28)」。“霊”とは人の霊ではなく、神の“霊”が私たちの中に注がれていることをパウロは聖霊によって示されたのです。
「祈りの力」シリーズでは、祈りとは私たちの努力によって奉げること以上に、神が既に私たちのために祈ってくださっている恵み(執り成しの祈り)を分かち合いました。主イエスが示された素晴らしい愛の神への信頼が深められる時、おのずと祈る喜びが与えられ、他者のためにも、自分のためにも恐れず祈る力が溢れてくることを共に体験して参りましょう。
 




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