「”いのち”輝く 『 爽やかな目覚め 』 」 牧師 友納靖史

投稿日時 2018-05-28 13:27:34 | カテゴリ: 週報巻頭言

ヨハネの黙示録3篇1〜6節
新約を見ると主イエスが公生涯で繰り返し、「目を覚ましていなさい」と語られた箇所と出会います。この主の語りかけには大きく三つの意味を見出すことができます。まず第一に、「だから、目を覚ましていなさい。いつの日、自分の主が帰って来られるのか、あなたがたには分からないから(マタイ24:42)」と語られます。これは予期できない時に、主イエスが再び来られることを心にとめ、“主イエスの言葉に聞け”との呼びかけです。第二に、ゲッセマネの園において「わたしは死ぬばかりに悲しい。ここを離れず、わたしと共に目を覚ましていなさい(マタ26:38)」と語られ、“主イエスの感情に聴け”と命じられたのです。もう一つは、“私たち自身に聴く”ことで、「誘惑に陥らぬよう、目を覚まして祈っていなさい。心は燃えても、肉体は弱い(マタ26:41)」と、自分の信仰は強そうでも、内実は弱いことを自覚するようにと。
 これまで「目覚めよ」と語られた主イエスの言葉が曲解され、神の裁きへの恐れと不安を感じさせる響きが強く語られていました。確かに罪に対して私たちはその行き着く先への恐怖を覚え、悔い改めへと導かれることも必要です。しかし、主イエスの本来の語りかけは、人を裁くことが目的ではなく、「神は愛である」ことに気づき、日々、私たちが喜びと感動のなかで、主イエスが共におられることを心に留めて歩むことでした。
 黙示録にある5つ目の教会・サルディスに宛てた手紙において、「目を覚ませ。あなたがたが生きているとは名ばかりで、実は死んでいる・・・もし、目を覚ましていないなら、わたしは盗人のように行くであろう(黙3:2,1)」と主が語られた理由。それは、彼らに与えられた「人生を大切に生きる」ため、つまり、霊的健康を保ち、与えられた神の時を豊かに用いるためです。なぜなら、地上において、天に入る祝福(永遠のいのち)に預かっていなければ、肉体的には生きていたとしても、実は「(霊的に)死んでいる」ことを主イエスは語りかけ、気づかせようとしてくださったからです。
 サルディスの教会に集う人々に主イエスは、手紙の最後に、「勝利を得る者には、このように白い衣を着せよう(3:4,5)」と語られました。白い衣とは、主イエスによって罪を覆われ、救われ、神の子とされたことを証しする表現です。かつて酒に酔いつぶれ我を忘れ、裸で醜態をさらした父ノアに息子が服をかけて、恥をさらさないように守りました(創世9:20-23)。それ以上に主イエスは、私たちの罪ある身心全てを主イエスの愛と赦しの衣で覆ってくださり、天の御国で神の前に恥じることない者へとしてくださることを約束してくださいました。私たちがこの偉大な愛に気づく時、朝、目覚める時も日々、喜びをもってこの人生を健やかに歩み続けることができるのです。主に感謝。




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