「ぶれない生き方」 牧師 山下真実(2018/08/19)

投稿日時 2018-08-20 15:18:07 | カテゴリ: 週報巻頭言

詩編1篇、マタイによる福音書7章24〜29節
 私たちの生きる世界には、人間の力ではどうにもしようがないことが溢れています。そのようなことの中には、「ときが巡り来れば実を結び」(詩編1:3)とあるようなポジティブな出来事も、「雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家に襲いかかる」(マタイ7:25, 27)とあるようなネガティブな出来事もあります。どうにもできない、そのような現実に直面するとき、私たちは揺るがされるものです。決して揺るがされることの無い強い意思、固い信念、そのようなものを持つことができれば…。日々一喜一憂する自らの心、右往左往する人生を振り返りながら、そう願うことがあるかもしれません。聖書はそんな私たちに、「わたしは道であり、真理であり、命である」(ヨハネ14:6)と語られるイエス・キリストを指し示し、このおかたにつながって生きる(ヨハネ15章)という生き方を教えています。
 「いかに幸いなことか」(1節)という言葉から始まる詩編の歌には、神さまご自身がまず、そのような生き方へと私を導いてくださっているということが歌われています。「流れのほとりに植えられた木」(詩編1:3)…それは神さまが、絶望に荒れ果てた大地から、命の希望あふれる水のほとりへと、私を植え替えてくださるという約束です。また、マタイ福音書で言われている「岩の上に自分の家を建てた賢い人」(マタイ7:24)…それは神さまが、風によって吹き飛ばされ、水によって流される砂地ではなく、決して揺るがない岩の土台を、私に示してくださっているという希望です。命の流れ、揺るがぬ岩、イエス・キリストにつながって生きる生き方こそ、聖書が語る「ぶれない生き方」です。
 しかし、このイエス・キリストを信じて生きてみたとしても、いやむしろ、そうすればするほどに、自分自身の価値観や生き方が揺るがされるように感じることがあります。それは、「岩の上に家を建てる」ということの実際なのだと思わされています。決して揺るがない強固な岩の上に、私という家を建てるためには、私自身がその岩に合うように形を変えなければなりません。私に噛み合うように土台を削るのではなく、土台に合うように私が砕かれていくのです。そのために私たちは、土台であるイエス・キリストについて知る必要があります。「わたしを知りなさい。道であるわたしを、わたしの生き方を知りなさい」――「権威ある者として」(マタイ7:29)、人となられた神さまご自身として「わたしのこれらの言葉を聞いて行う者」(24節)と言われたキリストの言葉が響いてきます。
聖書が私たちに語っている希望、それは、私たちがたとえどんな困難によって揺るがされようとも、イエス・キリストは変わることなく揺らぐことなく、私の命の流れとして私を潤し、私の生きる土台としてそこにあり続けてくださるということです。自然の猛威を感じさせられる昨今、また価値観の多様化するこの時代、私は、この揺るがない土台の上に立つことができているだろうか…。考え続けていきましょう。




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