「信条から告白へΑ愿靴砲られるを信じる』」牧師 友納靖史(2018/08/26)

投稿日時 2018-08-27 14:57:29 | カテゴリ: 週報巻頭言

ヘブライ人への手紙1章1〜6節
 ルカ文書では、主イエスが復活された約40日後、復活の体のまま天に昇られたと証しします(ルカ24:36〜53、使徒1:6-11)。「イエスは言われた『…あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、…わたしの証人となる。』こう話し終わると、イエスは彼らが見ているうちに天に上げられたが、雲に覆われて彼らの目から見えなくなった(使徒1:8-9)」。更にヘブライ書簡には、「御子は、神の栄光の反映であり、神の本質の完全な現れであって、万物を御自分の力ある言葉によって支えておられますが、人々の罪を清められた後、天の高い所におられる大いなる方の右の座にお着きになりました(1:3)」と。これらの証言に基づき、使徒信条は「主は、…、天に昇り、全能の父なる神の右に座したまえり…」と告白します。
 聖書が語る「天」とは“天体や宇宙”、また“天国”を指すだけではありません。何よりも“神のおられる所”、“神の御心が行われる所”が「天」だと語ります。主イエスは「『ここにある』『あそこにある』と言えるものでもない。実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ(ルカ17:11)」とも語り、目に見える地上の価値観で生きることのないように、「天」を仰いで生きることを教えられました。
 キリスト教会の歴史を振り返ると宣教法を大きく二つに分けられます。まず、地獄や陰府への不安と恐怖を語り、救いへ導く方法。その反対に、神の愛と憐れみを語り、天にある希望を語り救いへと導くことです。間違いなく、神にある裁きへの畏れ(恐れ)を心に刻み、かつ、神の驚くべき赦しと恵みをバランスよく聖書から心に留める必要があります。しかし主イエスの生涯を見ると、律法学者や宗教家に対しては厳しい裁きを語りましたが、その福音宣教の中心は、父なる神の驚くべき愛と赦しを信じ、そのお方を見上げて歩むように示されました。そして遂には、「神の栄光の反映であり、神の本質の完全な現れ」である神の御子が十字架の上で私たちの罪を清め、死んで陰府にまで降られたのです。しかしそのイエスを神は三日目に復活させられ、父なる神のおられる天へと引き上げられました。これは、私たち人間を愛する神が、イエスの死と復活、更には「昇天」の出来事を通して、私たちもイエスと同じように、神と共に天において生きる祝福をお与えになるためでした。コロサイの書簡にはこう告白されます。「あなたがたは、キリストと共に復活させられたのですから、上にあるものを求めなさい。…地上のものに心をひかれないようにしなさい。あなたがたの<永遠の>命(ギ:ゾーエ)は、キリスト共に神のうちに隠されているのです(3:1-2)」と。永遠という驚くべき祝福の世界へと私たちを導く計画を立てておられる主なる神を信じ、天を見上げつつ、歩み続けて参りましょう。




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