< meta http-equiv="X-UA-Compatible" content="IE=Edge,chrome=1" /> 巻頭言と礼拝ビデオ - 日本バプテスト連盟に所属するプロテスタント教会です
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投稿者 : hayashi 投稿日時: 2007-04-23 13:10:45 (1745 ヒット)

4.22主暦2007No.2984
コリントの信徒への手紙二 4:18
工藤渓子

本日、中国のキリスト者の方々を当教会にお迎えしたことは教会にとって大きな喜びであり、心よりの歓迎を申し上げます。
 私の少女時代から青年時代の間は、中国と日本との関係は大変不幸な状態にありまして、戦争によって中国の方々に多大な苦しみや悲しみをもたらしました。そのことを思います時、今も心が痛み、お詫びの言葉を禁じ得ませんけれど、今こうして、キリストによる和解によって共に礼拝を捧げることが出来ますことを深く感謝いたしております。

 福音書を読みますと、イエスさまの周囲には、信仰の自由に生きた個性的な幾人かの女性たちの姿が記されております。それらの女性たちは、イエスさまに出会い、イエスさまのみ言に聴き、そしてイエスさまが示された目に見えない世界を理解したのでありましょう。かくてイエスさまを信じ、イエスさまを愛し、そのことを原動力として、当時の厳しい律法社会にあってなお、自由に勇敢に行動したのだと思います。 聖書は一貫して、目に見える世界から目に見えない世界への価値の転換を説いています。
 当時から2000年を経て、著しく経済が発達し、科学が進歩し、目に見えるものが、強力に渦巻いている現代に生きる私共ですが、もし目に見えるもののみに目を向けて、目に見えない世界、即ちすべての源であって神の生命の働き給う世界を見落すならば、全てのものの根源を見失うことになるでありましょう。
 技術革新はこれからますます急速に進められ、やがて私共の想像を超えた社会が形成されていくと思われます。しかし技術革新がどんなに進み、社会の様相がどのように変化しようとも、イエスさまが語られたみ言が、その力を失うことは決してないと信じます。
そのみ言に希みを託し、み心を求めつづけてゆきたいと願っております。


投稿者 : hayashi 投稿日時: 2007-04-16 13:10:40 (1824 ヒット)

4.15主暦2007No.2983
出エジプト14:10-18
赤塚バプテスト教会 牧師 石堂雅彦

私たちの信仰生活で忘れてはならないこと、おぼえておかなければならないこと、それはイエス・キリストの救いです。ところが、このことを忘  れてしまっていることが何と多いことでしょうか。試練が起こってくる。それがなかなか解決しない。すると、自分は何と不幸なのか何でこんなに苦労しなければならないのかと失望し、イエス・キリストの救いが見えなくなってしまう。しかし、私たちは主の救いを見続けるのです。目の前には、いろいろな苦しみはあるけれど、私たちが主の救いをいただいたことに変わりはありません。私たちはこのことを何よりも、私たちの喜び、希望としていくのです。御利益信仰は今、目の前のことが解決すれば、うまくいけばそれですべてよし、という信仰ですが、私たちの人生、そんなうまい話、甘い話はありません。聖書ははっきりと私たちの人生には試練がある、苦しみがあると語ります。しかしそのような状況の中でも、生きていける、立っていけるということを示します。
今日お読みしました聖書はモーセとイスラエルの民の荒野の旅路での出来事です。神様はモーセをイスラエルの指導者として用い、イスラエルの民がエジプトで奴隷状態にあった時、エジプトから解放させてくださいましたが、その後の荒野の旅は決して楽なものではありませんでした。しかし、イスラエルの民はただ苦しみにあっただけではありません。そのことを通して、神様の栄光が表わされたのです。そうであるならば、私たちに起こってくる苦しみ、それはただの苦しみに終わらず、その苦しみを通して、神様は大切なことを示されるのです。出エジプト記14章14節に「主があなたたちのために戦われる。あなたたちは静かにしていなさい」とあります。主に委ねよ、ということです。主に委ねて生きる。そこにこそ、私たちの進むべき道があるのです。試練の中に、苦しみの中にある時、そこで主が私たちに示されていることは何かを聴き、そこでも主が共におられることをおぼえて、主に委ねて歩んでいくのです。


投稿者 : admin 投稿日時: 2007-04-08 20:21:03 (2040 ヒット)

音声メッセージ、大変おまたせいたしました。

  • 讃美 おおイエスよみがえりて グレースアンサンブル

  • 讃美 もしもキリストがこられたら 有銘千津子

  • 讃美 墓の中にいと低く 聖歌隊

  • メッセージ 死の力を打ち破る 渡部 信


  • 今週の週報巻頭言はありません。


    投稿者 : admin 投稿日時: 2007-04-01 10:02:31 (1926 ヒット)

    4.1主暦2007No.2981
    マタイ27:45-56
    渡部信

    ※ メッセージの録音はただいま編集中です。しばらくお待ちください。 :haha:

     キリストは今から2000年前に、今のイスラエルのエルサレム郊外で十字架にかかり、私たちのために死んでくださいました。それは何故でしょうか。聖書の中から3つの意味を考えてみたいと思います。第1に、それは罪への裁きでした。十字架刑は罪人に対するこらしめの刑です。だからイエス様の他に2人の強盗人が一緒に十字架にかけられました。何故、イエス様は罪が無いのに罪人と一緒にされたのでしょうか。それは目に見えないところで働く罪の力を完全に断罪するためでした。私たちも聖なる神様の前には、罪ある者です。犯罪人だけではなく、私たちの内にある罪をも断罪するために罪の無い方が罪の裁きを受けて下さったのです。そして神の正義が全うされたのです。
     第2に、それは罪に対する赦しの十字架でした。イエス様が代わりに罪の裁きを受けられるので、「天の父なる神様よ、どうぞ彼らの罪をお赦し下さい。彼らは何をしているのか分からないのです」と十字架上で祈られました。私がみな罪の裁きを受けますので、知らずに罪を犯している彼らの罪をお赦し下さい、こう祈られたのです。もしこのとりなしがなかったら、私たちも同じように全ての罪が赦されるために十字架にかからなければならなかったでしょう。
     第3に、それは神様の愛が示された十字架でした。イエス様が罪の裁きを受けられ、私たちの罪の赦しを祈られたことの中に、神様の愛が示されています。罪ある私たちをどうにかして救われようとしている神様の愛です。イエス様が十字架にかけられ死んでくださった愛の出来事の中には、罪によって死ぬべき私たちが新しく生きるという全く反対の出来事が起こっているのです。それゆえ、イエス様の十字架は救いの十字架、新しい命の十字架、天国への十字架なのです。しかし愚かな人にはこの十字架の意味が隠されてしまいました。そして現代にもこの十字架の贖いを否定する人がいます。それは人の知識ではなく、聖霊によらなければ理解されることのない福音のミステリーなのです。


    投稿者 : admin 投稿日時: 2007-03-25 07:39:00 (1955 ヒット)

    3.25主暦2006No.2980 
    フィリピの信徒への手紙4章4節〜7節
    谷本久美子

     
    今日の聖書のみ言葉の箇所はパウロというイエス・キリストの弟子が、三度に亘って伝道旅行をした間に建てたマケドニア、現在のギリシャのフイリピの教会の信徒へ宛てた「獄中書簡」といわれる手紙の中の箇所です。迫害の中、捕われの身にも拘わらず彼は「喜び」に満ちた言葉で綴っています。
     パウロは嘗てユダヤ教徒でした。しかも厳しい掟の学びをした優秀な律法学者でした。使徒言行録の9章1節にはキリスト教徒を厳しく迫害していた様子が伺えます。口語訳聖書ではこの「意気込んで、」と言う所を「サウロ(当時のパウロの呼び名)は「...なおも迫害の息を弾ませながら」と記しています。そのパウロが復活のイエス・キリストに出会い、これまでキリスト教徒を迫害していたところから一転して、今度はイエス・キリストの教えを大胆に伝える者とされました。この箇所の3節からはその後のパウロの劇的な回心の様子が詳しく書かれています。       
     人の立てた計画は結果が考えていた通りにもなる事もあるし、ならない事もある、つまり確かではありませんが、旧約聖書詩編の記者は「主の企てはとこしえに立ち御心の計らいは代々に続く」(詩篇33篇11節)と謳っています。
     来週は4月1日が2007年度最初の主日になります。社会的にはこの4月1日から新しい年度になり、立てた計画が実現するように歩み始めます。私達の教会でも祈りつつ立てられたマスタープランに沿って歩み始めます。このマスターと言う言葉には、一般的には中心、根幹、と言う意味がありますが、私達常盤台教会のプラン、計画は更にマスターであられる主イエス・キリストのご計画という大切な意味があると考えます。   
     先に立って歩まれるイエス・キリストを信じ、詩篇の作者ダビデが謳い上げたように「命のある限り恵みと慈しみはいつもわたしを追って」下さり、「主の家に私は帰り生涯そこにとどまる」ことを信じて新しい年度も神様のご計画に従って歩んで行きたいと祈るものです。


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