< meta http-equiv="X-UA-Compatible" content="IE=Edge,chrome=1" /> 巻頭言と礼拝ビデオ - 日本バプテスト連盟に所属するプロテスタント教会です
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投稿者 : hayashi 投稿日時: 2007-09-28 15:40:36 (1895 ヒット)

9.30主暦2007No.3007
マルコによる福音書 4章35〜41節
牧師 児玉振作

 一年近い長い間の中に、神様は教会員一同の祈りを聞いてくださって、松村誠一先生を主任牧師としてお備えくださり、お迎えすることになりました。神様の導きを心から感謝したいと思います。しかし、これで一安心というのではありません。神様は今常盤台バプテスト教会に新しい使命を与え、松村誠一先生と共に前進することを命じておられるのです。
マルコ4:35−41には、イエス様が弟子たちに、「向こう岸に渡ろう」と言われ、イエス様が舟に乗っておられるままに乗り出されたときのことが記されています。そこで起こったことは激しい突風で舟が今にも沈みそうになったことでした。弟子たちは恐れおののきましたが、イエス様は彼らと一緒でした。イエス様はこの嵐を静められたばかりでなく、「なぜ怖がるのか、どうして信仰がないのか」とお叱りになりました。
今、常盤台バプテスト教会は新しい出発の時を迎えています。今、イエス様は教会員お一人、お一人に強く信仰に立つことを求めておられるのではないでしょうか。主はいつも皆さんと一緒です。どんな時にも主を仰ぎ望み、信仰に堅く立って進みましょう。


投稿者 : hayashi 投稿日時: 2007-09-22 11:12:36 (3842 ヒット)

9.23主暦2007 夕礼拝
コリントの信徒への手紙一 13章13節
牧師 児玉振作

(1)今日ほど不安な社会はないといっても言い過ぎではないと思います。ある方は、「世も末だ」となげかれます。そんなことを思わせられる今日この頃です。その原因はこの社会に愛が欠如しているからだと言われます。職場においても、学校においても、家庭においてもこの愛が求められています。誰でもそんなにわかっていても、願い求めていても、どうして反対方向ばかりこの世は動いていくのでしょう。それは人たちの中に愛そのものが存在していないからです。ヨハネ第一の手紙4:8「神は愛である」とあります。この愛なる方、神を知らない故に、愛が神から出たものであることを知らないのです。この世で、いかに愛が礼賛されても、神なき愛は壁に書かれたご馳走のようなものです。


投稿者 : hayashi 投稿日時: 2007-09-21 15:55:23 (2579 ヒット)

9.23主暦2007No.3006
ルカによる福音書 10章38〜42節
牧師 戸上信義・敗戦後62年になりますが、戦後の貧しい時代から昭和40年時代まで日本人は、人が人にやさしい時代でありました。
・しかし、貧しさから抜け出すために、人々は豊かさを得ることをすべて優先して働き確かに豊かになりました。しかし、その豊かさを得ましたが、人が生きるときに大切な人にやさしさという心が失われ、自己中心に生きる人が多くなり日本人のよき心が喪失しつつあることに心が痛みます。
・政治と金・年金・振り込みサギ・保険金殺人事件など、人が金と物に支配され人間の心が失われたと思われる事件が多発し、わが国の約70%人が悩みや不安を感じています。
・現代人は、利益を追求することで、人が物にしばられて、創造主なる神を無視することで、大切な人間関係が希薄になっています。
・マリアとマルタの物語は、わたしたちに<無くてならないもの>を問いかかけています。
・人間には性格というものがありますがイエスさまは、その性格の問題にしたり、それを批判したりされているのではありません。
・マルタの奉仕は善意からでており、何の非難する必要もないのですが、奉仕の為に『心を取り乱し』ていることが問題とされていることに気づきます。
・彼女は心を取り乱し、不平・不満がマリアだけでなく、イエスさまにまで及んでいます。
・マリアは、イエスさまの足もとにすわって、み言に聞き入っていたことを「マリアは良い方を選んだのだ」といわれました。人が生きるとき、み言の恵みに生かされることの必要を教えられたのです。み言と祈りこそ、どんな境遇の中にも神の平安を与えられ、喜びと希望に生きる事を約束されています。
・神は真実な方です。この神を信頼し、神に祈り求めるとき、パウロが体験した『神はいかなる困難の中にいるときでもわたしを慰めてくださった』ということを体験できます。                  
・わたしたちも真実な神の足もとでみ言を聞き、祈り、み霊によって力を受け、悩みと不安から解放され、感謝・喜び・希望に生きる者とされ、キリストの証人となりましょう。          


投稿者 : hayashi 投稿日時: 2007-09-14 09:45:30 (2584 ヒット)

9.16主暦2007No.3005
コロサイの信徒への手紙 3章12〜17節
教会主事 林健一

私たちは新しい生き方へと召されました。今日の御言葉は、キリストのうちにある新しい生き方について教えています。キリストに在る人々は、日々の生活の中でも、世の人々が得ることのできない恵みを受け取っていくことができます。そのための秘訣とは何でしょうか。
機イ海譴蕕垢戮討両紊法愛をつけなさい。
 私達は古き人を脱ぎ捨てて新しい人を身に着けなければなりません。私たちの内なる人はキリストによって新しくされました。しかし、私たちがさらに新しくなるためにはイエス・キリストの品性を新たに身に着ける必要があります。
私たちがしてきた生活は古い人に支配されています。5節で古い人に支配されている人間の姿が描かれていますが「だから、地上的なもの、すなわち、みだらな行い、不潔な行い、情欲、悪い欲望、および貪欲を捨てて捨てさりなさい。」
キリストにある私達は神様の子どもとして、憐れみの心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさいと言っています。それから私たちの間の中で責めるべきことがあっても互いに忍び合い赦し合うことが必要であると言っているのです。
そして、これらすべての上に愛を身に着けなさい。愛はすべてを結びつけて完結へと導く結びの帯です。愛は、すべてを完成させるきずなです。14節
供ゥリストの平和があなたがたの心を支配するように
 キリストの平和が私たちの心を支配するようにと御言葉は語ります。この世で生きていく私たちのうちには、世の心配や悩み、恐れ、満たされない思いが入り込みやすいものです。心をキリストの愛と平和によって支配していただき、感謝の中で生きることができるならば、どんなに幸せでしょう。
キリストの平和に支配していただくということは、私たちの心の中をキリストに点検していただくということです。この言葉の本来の意味は、「キリストの平和が心の中で審判人の役割を果たすようにしなさい」という意味です。私たちの心の中がキリストの平和によって満たされているかキリストによって審判してもらう必要があります。
それはキリストが常に私たちの心の中におられることも意味しているのです。
 掘ジ羝斥佞鯔かに住まわせなさい
キリストを私たちの内に豊かに住まわせるにはどうしたらいいのでしょうか?神様に心を開いていれば良いのです。自分自身のうちにキリストの御言葉を豊かに宿し、互いに教え合い、詩と讃美と霊の歌とによって主に向かって歌えば良いのです。
日々の生活に忙しいために、心が閉ざされて、心から、御言葉も、讃美も消えていることがありませんか。心の渇きさえ忘れていることがありませんか。主の豊かな恵みをいつも受け取ってください。それは私たちの霊的ないのちのために必要だからです。みなさんがますます祝福されて行くために必要だからです。



本日の礼拝でバプテスマが与えられました。
礼拝後女性会への入会式がおこなわれました。


投稿者 : hayashi 投稿日時: 2007-09-07 10:19:32 (2391 ヒット)

9.9主暦2007No.3004
ヨハネによる福音書 18章1〜27節
平野一男

敬老の祝い 
 ヨハネによる福音書の第18章は「こう話し終えると、イエスは弟子たちと一緒に、ギドロンの谷の向こうへ出て行かれた。」と始まります。イエス様を捕らえるため、ユダは一隊の兵士と、祭司長やファリサイ派の遣わした下役たちを引き連れてやってきました。イエス様は御自分の身に起ることを何もかも知っておられました。「だれを捜しているのか。」「ナザレのイエスだ」「わたしである」イエス様は自ら進み出ていかれるのです。捕らえられ大祭司アンナスのもと連れて行かれるイエス様ですが、イエス様の方に主導権があるのです。イエス様は「父がお与えになった杯は、飲むべきではないか」と言われました。ここには、わたしたち人間を罪から救おうとして先立つ神様の愛が示されているのです。
大祭司アンナスはイエス様に弟子のことや教えについて尋ねました。イエス様は「わたしは、世に向かって公然と話した。わたしはいつもユダヤ人が皆集まる会堂や神殿の境内で教えた。ひそかに話したことは何もない。なぜわたしを尋問するのか。」と堂々とお答えになりました。ペトロはイエス様の後を追ってきて、大祭司の中庭に入り審問の様子を伺っていました。彼は「あなたもあの人の弟子ではないか」と問われますが「違う」と三度否認してしまいます。かつてペトロは“わたしはあなたについて行きます、あなたのためなら命を捨てます”といったのですが、主は「鶏が鳴くまでに、あなたは三度わたしのことを知らないと言うだろう」と言われました。その予告どおりになってしまったのです。
ペトロはイエス様を愛していました。しかし彼はイエス様を裏切ってしまう。そんな深い罪を犯したペトロに対しても、復活したイエス様は、あなたはわたしを愛しているか、と近づいてくださったのです。どんなに深い罪を犯してもイエス様はわたしたちを愛してくださっているのです。どこまで深く広く高い愛でしょうか。


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