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神の言葉を聴くこととは バンビ〜ノ
「地は乾き、衰え
 世界は枯れ、衰える。地上の最も高貴な民も弱り果てる。
 地はそこに住む者のゆえに汚された。彼らが律法を犯し、
 掟を破り、永遠の契約を捨てたからだ。」(イザヤ24:4〜5)
神様の言葉は優しさと愛に満ちている。
だけど、イザヤのこの言葉のように厳しく、ときに聴きたくないといえる言葉もある。
けれども、やっぱりその言葉も聴いていかなくちゃならない。
それも神からの僕たちへのメッセージなのだから。
聖書全体をとおして読むことはとても大切なことだ。
僕たちは読みやすいとこだけを、つい読むだけで終わらせてしまうが、神からの僕たちへのメッセージが何であるかは聖書全体を読まなければ本当はわからないんだね。
聖書が読めることを感謝して、今日も読もう。
いい天気だね。
幼子のように バンビ〜ノ
今日の水曜礼拝感謝でした。
祈りのなかで守られたことを感謝します。
準備不足、祈り不足のなかで皆さんが一生懸命に聴いて下さったことを大切にしていきたいと思います。
説教者というのは、聴く方々によって育てられていくというけど
本当だと思います。
そういう意味では、自分も聴く姿勢を改めなければと神様から教えられました。
この説教が語られるまでに、どれほどの準備と祈りがあったと思うと、聴く姿勢は大切だなと思いました。そのようななかで神様が豊かに働かれるのでしょう。
今日の祈祷会に神様に豊かに臨まれますようにお祈りします。
幼子のような心で聴きたいものです。
恐れのなかで バンビ〜ノ
今日、イザヤ23章1〜8節を読んだ。
ツロに対しての神からの警告だった。
ツロは繁栄していた町だったが、その奢りと高ぶりによって
神から滅ぼされることとなった。
自分は人から何かを言われることを恐れているが
そのような罪を自分の中にもっていることに神から気付かされた。
いい人、いいコメント、いいメッセージ、そんな自分の思いの中にも、神ではなく、そのようなものに頼ろうとする姿に神が僕に教えられたのだと思う。
それは、奢り、高ぶりになると…
ありのままでいい
と神の前に謙遜になっていくことを今、教えられているような気がする。
祈りのなかで バンビ〜ノ
ようやく仕事が終わった。
皆さん感謝です。
それぞれの奉仕が主に豊かに祝福されますように。
これから水曜礼拝のメッセージの準備をします。
幼稚園のお母さんに何を話せば良いのか困っています。
でも、祈りのなかで示されそうです。
子育ての経験もない自分がいったい何の役に立つのか
と思いますが、御言葉を語るうえにおいては
神様の言葉を語らせていただくのですから
やはり祈りしかないと思う自分です。
祈りのなかでメッセージがつくられますようにお祈り下さい。
疲れた〜 バンビ〜ノ
5月病でしょうか?
最近、何をやるにも力がでません。
体力の衰えを感じる今日、この頃です。
お祈り下さい。
今日は、決算総会の資料作りだ。
みんなの奉仕があって、教会が建て上げられている。
感謝です。
「聖霊の働き」 牧師  松村誠一 週報巻頭言
                        聖霊の働き
 ペンテコステ、つまり5旬節は過ぎ越しの祭りの翌日から数えて50日目に守られていたユダヤ3大祭りの一つです。この5旬節に弟子たちは聖霊に満たされ、霊が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話し出した、このような出来事が起こったのです。 5旬節の祭りが行われている時でありましたので、エルサレムにはいろいろな国々に住んでいる人々が集まって来ていました。パルテイア、メデイア、エラム、メソポタニア、いろいろな国々の人々がエルサレムに集まって来ておりました。
 そういう人々が集まっている中で弟子たちは、イエス様の十字架の死と復活について語ったのです。「一同は聖霊に満たされ、霊が語らせるままに、他の国々の言葉で話しだした。」弟子たちは、聖霊に満たされた時、あの無残な姿で死んでいったイエス様が、そのイエス様が私たちの救い主である。そのことを誰でもはっきりと理解できる言葉として語っていった。そして福音は人種を超えて、国を超えて誰もが理解できる言葉として語られていった、ということが報告されております。
 この聖霊の出来事のあとに、福音はアジアからヨーロッパへと瞬く間に、炎のように伝えられ、その所、その所で教会が設立されていきます。そしてあの大ローマ帝国、世界を支配しローマの皇帝を神として拝んでいた大ローマ帝国、その大ローマ帝国にも福音は宣べ伝えられております。
 ローマ帝国は、あのネロ皇帝に代表されるようにキリスト教徒を徹底的に迫害してきた国でありますが、その国全体がキリスト教国に変えられていく、その初めは、この聖霊の出来事によるのであります。
 ガリラヤの出身の漁師、社会的な地位もない、富もない、弱く、貧しいイエス様の弟子たち、そのイエス様の弟子たちが聖霊に満たされた、福音を語ったがゆえに、福音は人種を越え、国を越え、炎のように世界中に広がっていったのであります。
 今日の私たちも自分たちの国語で聖書を読むことが出来る、そして私たち一人一人に聖霊が働いて下さったがゆえに聖書の言葉が生き生きとした神の言葉として、いや、私たちを生かす言葉として私たちに与えられているのです。
メサイア演奏会 行事案内
メサイア演奏会
 
 
2008年5月10日、メサイア演奏会を行いました。雨の中、たくさんの方にご来場いただき、心から感謝申し上げます.
指揮者  小屋敷 真
ソリスト  ソプラノ、川藤勢津子   メゾ・ソプラノ、三谷亜矢      テ...
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悪魔の誘惑   牧師  松村誠一 週報巻頭言
              悪魔の誘惑   
 イエス様はご自分が神の声を聞き、神からの然りの言葉を聞いた時に、イエス様はあえて悪魔からの誘惑を受けるために荒れ野へと行かれます。
これは私たちとりまして大変重要なことが示唆されています。神との関係が密な時にこそ誘惑を受ける、ということであります。私たちが信仰的であればあるほど悪魔の誘惑を受ける、ということであります
 この荒れ野での悪魔からの誘惑の記事でありますが、何かおとぎ話のように感じますが実はおとぎ話ではなく、いたって現実的な話です。悪魔とはそれこそおとぎ話に出てくる狼のような牙をむき出しにして人間に襲いかかる、そのような存在ではありません。悪魔とは人間の内側、つまり私たちの心の中で、私たちに内側から人間の言葉をもってささやいて来る存在です。
 マルチン・ルッターが修道士の頃、祈りをしていた時に、悪魔の誘惑に会い、その悪魔に向かってインクビンを投げつけた、という大変有名な話が残されておりますが、ルッターは心の内に働く悪魔の誘惑を非常にリアルに感じたのではないでしょうか。
 イエス様の第一の誘惑は「神の子なら、これらの石がパンになるように命じたらどうだ。」でありました。イエス様は空腹でした。その空腹を満たしたい、そのような思いのあるところに巧みに悪魔は語りかけて来ます。
 悪魔は「神の子」ならば、という言葉をもって語りかけてきております。イエス様は、神のみ心を行う者として神から遣わされたお方であります。しかし、ご自分に与えられているところの力、能力を神の思いではなく、自分のために用いよ、という誘惑であります。その時、イエス様はこれらの誘惑に打ち勝つために、「人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」と書いてあると、聖書の言葉を引用して、その誘惑から勝利されました。
 イエス様は人間が生きるにはパンか、神の言葉か、ということをおっしゃったのではありません。私たちに命を与え、その命を育み、全てを支配しておられる、その神を第一とせよ、と答えられたのであります。
 第二、第三の誘惑も人間の欲望に働きかけ、欲望に生きることへの誘いの言葉が語りかけられております。
 イエス様を誘惑する悪魔は私たちの心の内に働きかけて神に従う思いを打ち砕き、欲望に、虚栄に、虚偽に生きるようにと働きかけてきます。この悪魔の誘惑に、私たちは主の霊を頂き、み言葉をもって勝利していきましょう。
[信仰と行為」  牧師  松村誠一 週報巻頭言
               信仰と行為   
 ルカによる福音書7章36節の前に「罪深い女を赦す」と見出しがつけられていますが、この箇所から信仰と行為について考えてみたいと思います。
 あるファリサイ派の人がイエス様を食事に招いております。食事をしている、その場所に罪深い女が入って来ます。当時宗教的指導者を自宅に招いて食事をする時はその家には誰でも入っていって、指導者の話を自由に聞くことが出来る、という風習があったようです。
 このファリサイ派の人がイエス様を家に招いた時も何人かが家に入り、イエス様の話を聞いていたのでしょう。そしてその中に、この町でも有名な罪深い女がいました。そして彼女は「後ろからイエスの足元に近寄り、泣きながら、その足を涙でぬらし始め、自分の髪の毛でぬぐい、イエスの足に接吻して、香油を塗った」のです。
 この突然の罪深い女の行為に驚いたのはファリサイ派の人で、彼の名前はシモン。シモンは罪深い女が自分の家に入ってきたことに大変腹立たしく思っているのであります。町で大預言者と噂されているイエスは、その女のなすがままに任せている。本物の預言者ならば、なすがままに任せはしない、そのように心の中で思っておりました。
 イエス様は、そのようなシモンの心を見抜き、喩えで話をされます。その喩え話が41節から記されています。
 イエス様は500デナリオンの借金と50デナリオンの借金を帳消しにしてもらった人と、どちらが多くその金貸しを愛するだろうか、と問われております。(罪ある女は、この500万円を帳消しにしてもらった人として描かれております)
 この500デナリオン、50デナリオンとは、どのくらい罪を犯したか、という、罪を犯した度合い、比較ではなく、罪に対する認識の度合いです。人間は誰でも、神の前にはこの罪ある女同様に500デナリオンもの罪を犯した罪深い存在なのです。
 イエス様は罪深い女の行為を全て振り返り、彼女の愛に満ちた行為を賞賛され、そして47節ですが「だから言っておく、この人が多くの罪を赦されたことは、私に示した愛の大きさで分かる。赦されることの少ない者は、愛することも少ない。」と語りかけております。
 罪は、赦されてしまっている。完了形で語られております。神の赦しがすでに与えられている。自分の罪が赦されていること、その赦しが与えられていることを認識する者が、感謝の応答として、愛の行為へと導かれていくのです。
 私たちは神の前においては、誰も等しく罪人なのです。あの罪ある女同様に500デナリもの罪を赦されてしまっている、存在なのです。その罪人を赦してくださっている神に感謝し、その感謝の思いを精一杯の行為を持って応答していきたいと思います。
 
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