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投稿者 : ws 投稿日時: 2008-06-27 11:11:28 (80 ヒット)



証し RN姉(女性会)


6月のはじめの日に証しをさせていただけることを神さまに感謝します。今年はこの同じ時に久山療育園のためのケーキ作りの奉仕があり、ウェルカムサンデーのお話がきかれないことが残念です。

前にも何回かお話したことがあるように思うのですが、私が戸上牧師によりバプテスマを受けたのは1997年6月、ときわ台教会へ通うようになってから12年になるかと思います。

父は朝日新聞の記者で、札幌、小樽、函館、山形支局長として転々、住居も一緒にあり、いつも教会がそばにありました。5歳のとき字を覚え、子供讃美歌を覚え、イエスキリストを覚えましたのは、小樽ロース幼稚園でした。KK姉妹の母上の先生、アメリカ宣教師ミスロースの建てられた幼稚園でした。
函館は津軽海峡を右に、連絡船の出る港を左に見おろす山の上に支局があり、元町の教会群、ロシア聖公会、カトリック教会、プロテスタント教会が並んでおり、小学三年、第二次大戦が始まりました。ここでも教会へ通いました。

小学6年で山形師範学校男子部附属小学校から山形県立第一高等女学校(西高)に入り、ここで戦争が終りましたが、ずっと家のそばのプロテスタント教会へ通い続けました。高校1年で父は東京本社へ、家がないので神奈川県立横須賀女子高校(今の大津高校)へ、関東学院から田浦の教会へ先生がみえていました。どこでもバプテスマを受けようとすると引越しでした。大学を出て3年間の教員時代、トヨタ自動車のPR誌の記者時代、結婚して子育てが終るまで、教会のことをいつも思い、主の祈りを仏壇に向かってとなえていました。

今日の証しとなるエッセイは、1985年12月吉祥寺近鉄デパートが募集した「私の贈り物語」、近鉄はもうなく、今は三越のあと、ビックカメラになっています。これはここで秀作に選ばれた作品です。「花びんしき」。山形へ転校した当時のことを書いた作品です。きいてください。


「花びんしき」
 職員室の掃除当番だった。床を掃き、くずかごをあけ、先生がたの机の上や本棚の上を拭き、床も水拭きする。
 私は山形師範(いまの山形大学)付属小学校の6年生だった。各学年男女ひとクラス25名ずつと、高等科2学年の16学級という小じんまりとした学校で、職員室も小じんまりしていた。
 先生はすべて男先生だった。
 私は父の転勤で北海道函館の34学級もある大きな学校から転校してきたばかり。掃除は、床を掃いたあと蝋をぬってカラ拭きをしていたので、山形のように校舎の床を水拭きするなど、はじめての経験だった。
 担任の鈴木先生は、はじめての男性の先生、丸坊主でカーキー色のつめ衿の軍服のような国民服、頭にはいつも日の丸の白い鉢巻をきりりとしめていた。
 先生の机は、いつもきちんと片付いていた。
 ただ、掃除のたびに気になって仕方がないことがひとつあった。先生はお花が好きで、青い丸い花びんには、いつもお花が入っていた。
 しかし、花びんを持ち上げると、先生の机の上には、まあるい水の輪ができていた。私は花びんの底も雑巾にのせてよく拭いたが、あのぬれた花びんの底の輪は気持がわるくてならなかった。
 ほかの先生のところはどうだったのか良く覚えていない。たった一人の家庭科の女の先生の机には、ひまわりの花のような細かく編んだ花びんしきがあり、その上にガラスの花びんがのっていた。
 私は先生の机の上の青い花びんに敷くものを作りたいと思った。りっぱなものでなくても一生けんめい縫えばいい。
 私はある晩、勉強をすませたあと母から紺色の着物地の端ぎれをもらって、10センチ四方の小さな花びんしきを作った。いま考えると刺し子である。紺色の地に白い木綿糸でななめに縫い目をクロスさせて、雑巾を縫う要領でぶつぶつとさしただけのものだった。
 少しでも花びんしきらしく見えるように、ねむい眼をこすりこすり、縫い目がおどらないように縫っていると、指先にチクリと針をさしてとびあがるほど痛かった。夜も遅く10時ごろになると「もうねなさい」と父に叱られた。母が「きれいなのができたのね。宿題なの?」と聞いたが、私はだまっていた。
 つぎの日、朝早く学校へ行った。職員室の窓は、みんなきちんとあけられていた。「おはようございます」と、私はいつも職員室へ入るときのように大きな声で言ったが、思った通りだれの返事もなかった。
 私はホッとした。先生の机の上の花びんを持ちあげて、持ってきた雑巾でぬれている水の輪を拭き、花びんの底も拭いて、私は作ってきた花びんしきを置いた。そしてその上に、そっと花びんをのせた。青い花びんにはあまり映えないなあと思った。
 「先生が雑巾とまちがえませんように……」
 胸がドキドキして、いそいで職員室を出た。
 1時間目がはじまるまえの教室朝礼のとき、先生は「けさ、とてもうれしいことがありました。だれかが、先生に花びんしきを縫ってきてくれました。いつも机がぬれているのを見てたんだね。女の子らしいやさしい人だ。ありがとう……」と言った。私はうれしかった。
 学校から帰って、歩いて2分ほどの教会へ行った。子供の讃美歌と聖書が入っている袋を持って、県庁の通りで鈴木先生に会った。
 先生は「きょうはありがとう。すぐにきみが縫ってくれたんだと思ったよ」
 どうしてわかったのか、私が不思議に思っていると、先生は
 「ほら、きみの持っている、そのおけいこ袋と同じ布だったから……」と言って笑った。私はお習字の道具もそろばんも、みんなこの袋だったのだ。
 私がはじめて人に贈った手作りの品物であった。  (おわり)



〔分かち合い〕

◆お父さんの転勤で各地を引越ししながら、ずっと教会に通い続け、神さまのことを思い続け、そして常盤台でバプテスマを受けたことに皆さん感心していました。

◆N姉は大の話し好き、天性のストーリーテラーらしく、証しの合間にユーモアを交えてお話しいただいた余談もたいへん面白く、座が盛り上がっていました。

◆お話を書くのも大好きで、味のあるエッセイをあちこちに発表して受賞もされており、将来のご活躍が楽しみです。神さまの証し人として、がんばってください。


投稿者 : ws 投稿日時: 2008-06-27 09:44:58 (111 ヒット)

俳人シリーズ第二回 杉田久女    

■久女は女子高等師範学校を卒業した才媛であったが、結婚した杉田宇内が画家の道を捨てて田舎教師に安んじていることに不満を持っていた。かといって、イプセンの「人形の家」のノラのように家を出ることもできなかった。

・足袋つぐやノラともならず教師妻

・秋来ぬとサファイヤ色の小鰺買う

・さみし身にピアノ鳴り出よ秋の暮

・身にまとふ黒きショールも古りにけり

・花衣ぬぐやまつはる紐いろいろ



■俳句を高浜虚子に認められ、俳人として自立して生きようとするが、女性に対する当時の旧い見方から悪評を立てられて悩んだ末、信仰に救いを求めようと教会を訪れて洗礼を受ける。句にも信仰の葛藤のこころが見られる。

・バイブルをよむ寂しさよ花の雨

・月の頬をつたふ涙や祈りけり 〔秋月とコスモス〕

・熱涙拭ふ衣の緋絹や秋袷

・われにつきゐしサタン離れぬ曼珠沙華

・春やむかしむらさきあせぬ袷見る 〔ユダともならず〕



■師である虚子との不和から俳誌「ホトトギス」を破門され晩年は不遇だった。そんな中でも、家庭生活と信仰に慰めを見出している。愛娘の昌子は俳人となり、世間から誤解を受けていた母親の遺稿を整理して評伝を書いている。

・けふの糧に幸足る汝や寒雀

・銀河濃し救ひ得たりし子の命 〔昌子回復〕

・クリスマス近づく寮の歌稽古 〔横浜にて〕

・ばら薫るマーブルの碑に哀詩あり 〔横浜外人墓地〕

・釣り蘭や浮き彫りしたる十字架(くるす)の名

(お話:大田雅一兄)


投稿者 : ws 投稿日時: 2008-05-24 15:31:24 (185 ヒット)



証し C.Y.さん(女性会)



2月のウェルカム・サンデーにHさんの証しを聞きたくて出席して、その時にKさんに証しを頼まれました。
ひ弱だった私をここまで守り育てて下さった神様に心から感謝します。
父方の祖父は巣鴨にあります日本基督教団の小石川明星教会の初代牧師で、その頃は伝道師と言われていました。
私がお腹にいる時に兄が亡くなり、そのせいか腺病質と言われ弱い子どもでした。よく寝ながら本を読んでいた事を思い出します。
小学校は四回変わっています。中・高は駒込にあります女子聖学院で学びました。その頃は土曜日がお休みで日曜日は教会に行くように勧められました。教団の中野桃園教会が徒歩で行けまして女子聖学院の院長小田信人先生が牧師をなさっていましたので、入学と同時に通いました。

中学三年のクリスマスにバプテスマに導かれました。

その頃は大変多くの方が洗礼を受けられた時期で七十余名の礼拝出席の教会でしたが、7〜8名の方が一緒にバプテスマを受けました。
1950年12月24日で、後に田中秋蔵先生と同じ日である事が解り心から感謝しています。また、同級生が式に参列して下さり、聖霊が下ったと言われ、心から感謝しています。
クリスマスには讃美歌を歌って回り、青年会で楽しく過ごした思い出があります。

22歳でY家に嫁ぎました。最初にクリスチャンであるという事を言わなくてはいけないと思い、話をした事を思い出します。

嫁ぐ時、ノンクリスチャンの夫でしたので、ヨハネ12章24節

「一粒の麦は地に落ちて死ななければ一粒のままである。
                    だが死ねば多くの実を結ぶ」


の御言葉に心をとめました。

長女が大学生の時に少しの間、聖歌隊にも出席していまして、バプテスマに導かれました。

主人の父が脳梗塞の後遺症で12年間入退院を繰り返しましたが、特伝の時だったでしょうか一度だけ教会に出席し、決心して前に出ました。松村秀一先生の時代です。
罪の事が良く解っていないという事ですぐにバプテスマには到りませんでしたが、先生はその事をずーっと気にかけて下さって、最後は誠志会病院に入院していましたので、ご入院中の松村先生は度々病室を訪ねて下さり、最後の時も病室を訪ねてくださいました。その時の先生のお姿を今も覚えています。

誠志会に入院中に戸上先生から病床洗礼を受けさせていただきました。

区議会議員をしていましたので、栗山兄も立ち会って下さいました。告別式は旧会堂でさせていただきました。

夫の救いを祈りつづけ、私の生命にかえてもと祈りました。
私は今も元気でいますが、中小企業のご多分にもれず、この世的に貧しくなりましたが、その事を通して夫が1993年9月26日にバプテスマに導かれました。
大変な時に真剣に祈り続け、最善がなされて心から感謝致しました。
夫は一年間は礼拝に出席していましたが、お正月の休みを期に現在も出席しておりません。共に礼拝に出席できる日を願って祈りつづけています。

 「主は恵み深く、そのあわれみはとこしえにたえることがない」

生きている限り色々な問題がありますが、主が共にいて下さる以上の恵みはありませんので、日々感謝して忠実に謙虚に歩みつづけたいと願っています。


〔分かち合い〕

・いつも教会で聖歌隊などのご奉仕に明るく熱心に取り組まれているY姉に感心して秘訣を聞きたいと思っていましたが、やはり強い信仰からだと納得しました。

・お祖父さんが教会の牧師をなさっていたこと、女子聖学院で院長先生の教会に通うようになったというお話から、信仰の継承について考えさせられました。

・お父さんの病床を松村先生が見舞われたことや病床洗礼を受けたこと、ご主人が試練を通じてバプテスマに導かれたことにも、神さまの導きを感じました。

・ご主人の救いを「自分の命に替えても」と祈ったというお話に感動し、私たちは家族のために心から真剣に祈っているだろうかと自らを顧みる思いがしました。


投稿者 : ws 投稿日時: 2008-05-24 14:43:34 (172 ヒット)




◆中村草田男は松山出身。キリスト教の信仰が伺われ聖句に基づく句を多く詠んでいる。奥さんがカトリックで影響を受けていた。死の前日に病床洗礼を受けている。



  勇気こそ地の塩なれや梅真白

  空は太初の青さ妻より林檎うく

  種蒔ける者の足あと洽(あまね)しや

  葡萄食ふ一語一語の如くにて

  寒星や神の算盤(そろばん)ただひそか



◆『銀河依然』の戦後の焼け跡の浮浪児を詠んだ連作から。渋谷駅前で昼寝している浮浪児に限りない同情と憐れみを寄せた句が見られる。



  浮浪児昼寝す「なんでもいいやい知らねえやい」

  灼けるベンチ麺麭(パン)と見しもの赤児の足

  昼の浮浪児一個地上に置かれたる

  浮浪児昼寝不穢(ふえ)の手救ひの手ならんも

  炎天の人列昏(くら)し光あれ



◆同句集の「白砂青松」と題する連作から。高松の大島にあるハンセン病施設「青松園」を訪れて詠んだもの。園の人々へ寄せる真摯な祈りの心が感じられる。



  直面一瞬「ゆるし給はれ」冬日の顔々

  冬日中「さげすまれ云々」の句を評す

  兄等(けいら)の頭上冬壁に「最後の晩餐図」

  冬海玲瓏歴史はいくさと苦の歴史

  此島の頭上の冬日信ぜばや


投稿者 : ws 投稿日時: 2008-04-14 15:01:26 (313 ヒット)

日本文学とキリスト教 歌人シリーズ 第8回 林あまり

作者について

◆林あまりは本名、林真理子。先輩の同名作家に遠慮し「あまり」と付けた所に謙虚さを感じる。大胆に性愛を歌う歌風で、現代の若者や女性にも人気のある歌人。

◆一見、セクシュアルに自由奔放な歌を歌っているようだが、実は日本基督教団の教会に所属するクリスチャンで、信仰のうかがえる歌やエッセイも書いている。

◆初期の歌集「ベッドサイド」(新潮社)から、男女の深い性愛の体験の中に、自らの罪意識と信仰による救いが求められている歌をいくつか選んで読んでみた。

◆また、十一人の作家のアンソロジー「私にとって復活とは」(日本基督教団)所収の、イエスの復活を讃えた敬虔な連作「おはよう」十一首を読み味わった。


「ベッドサイド」から

・真理という名、真実という名の女たち 抱えるものは語らぬ晩餐

・罪を肩代わりして欲しそうな顔をする男は つまり祈らずにいられる

・性愛の行方は知れず眠るのみ 聖書日課を読み終えてのち

・死に至る罪を今夜も犯しつつ クローディアスの祈り呟く

・十字架のかたちに川面をうねりつつ わたしめがけて届く夕映え

・並んで眠るあいだにいよいよ深くなる くちびるの皺の消えない十字架



「おはよう」から

・「おはよう」とのんびり明るい声がする 道の向こうで待っているひと

・この声は――低くて澄んだ、やわらかな―― 世界で一番なつかしい声

・右手を上げて白い衣のそのひとは ちょっぴりいたずらそうに笑った

・傷だらけの・・・・、日に焼けた・・・・、高い甲・・・・、指が長くて・・・・、まちがいない・・・・、先生の足!

・わたくしに、まずわたくしに会いに来てくださったのですか、 このわたくしに――。

・どのようなお姿でしょうとわかりましたのに あなたはあんまりあなたのままで

・最悪の夜のあとでも朝が来る怒りを 三度味わったのち

・ああわたし あれから初めて泣いている こんなにも死んでいたのだ、わたしは

・なんだろう このいい香り 先生のほほえみのたびに、まばたきのたびに

・お命じになる静かな瞳は変わらない いいえ。前より、強く、やさしく――

・もう死など死ではなくなり いつだってあなたはわたしと共にあられる


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