< meta http-equiv="X-UA-Compatible" content="IE=Edge,chrome=1" /> 読み物・教会ダイアリー - 日本バプテスト連盟に所属するプロテスタント教会です
投稿者 : ws 投稿日時: 2009-02-26 10:38:28 (2403 ヒット)

俳人シリーズ第六回 中塚一碧楼    

■作者について

・中塚一碧楼は、岡山県生まれ。岡山中学時代に洗礼を受けている。

・早稲田大学に入学。新傾向俳句の河東碧悟桐に惹かれて師事した。

・俳句に口語を使い、季語や五七五の定型にとらわれない自由な俳句を作り出し、後の種田山頭火などに連なる「自由律俳句」の創始者とされる。

・自ら「私の詩は今までいう俳句とは全く立脚点を異にしている」「全然形式に係らずにいる」と言う。その自由な精神はキリスト教に基づくのではないか。

・彼は岡山教会で安部清蔵牧師から受洗したが、その当時、岡山孤児院を開いていた、映画「石井のお父さんありがとう」のモデル石井十次からも影響を受けた。

・一碧楼は「右手にバイブル左手に聴診器」を持つ医者を志していた。俳句の道に進んでからも「常に讃美歌を歌ふ気持ちで俳句を誦んでいる」と語っている。

・後に彼は信仰から離れていくが、キリスト教によって培われたヒューマニズムの精神は作品に生き続け、それゆえ今日もわれわれの心をうつのであろう。

・青年時代の作品を中心に、信仰の伺われる句を挙げておく。特に詩篇二十三篇と題した句は、この有名な詩篇の精神を見事に一句に凝縮した佳作といえる。


■作品

        奇跡信ぜずも教徒なる寒さかな
        
        赤児受洗この朝のアカシヤの花
 
        信仰の鎖鳴る鮓に痛ましき
 
        洗礼式のすべて窓をあけ窓の木瓜赤し
 
        耶蘇の話をし汗ばみて秋の日暮の過ぐる
 
        マリヤさまに朝日とどき来るおんあしもと
 
        聖三一教会といふけふ夏めきし扉をひらき
 
        桐の木花さきローマにゐる一人の友をおもふ木のもと
 
        夏の日の小さい門を入りうしろを見ない
 
        養老院の桜電車からいつも見え今日も見えたり
 
        晨よ草よ地をかけめぐり祈り
 
        病めば蒲団のそと冬海の青きを覚え(辞世)

   詩篇第二十三篇
        笞鳴れ鳴れ、我酒杯に宝珠あふるる
    
                 (お話:大田雅一兄)


投稿者 : ws 投稿日時: 2009-02-03 21:24:15 (3172 ヒット)

俳人シリーズ第五回 阿波野青畝    

■作者について

◆阿波野青畝(あわのせいほ)は、奈良県出身の俳人。高浜虚子の『ホトトギス』門下で、高野素十・水原秋桜子・山口誓子らとともに「四S」と呼ばれて有名だった。

◆生まれつき難聴だったが、虚子に村上鬼城なども難聴だったと励まされて発奮したという。のちにカトリックの洗礼を受けている。

◆クリスマスやイースターを詠んだと思われる句も、単なる四季の歳時記的な詠み方ではなく、ひたむきでまじめな信仰がうかがわれる。

◆聖書にはさまる草の実やチャペルのトイレなどユーモアの感じられる句、また農作業や稲妻などさりげない日常にも神に祈る句など、庶民的な内容が親しみやすい。

◆一方で先達である高山右近や、殉教者をしのばせる踏み絵などを詠む句には、歴史に思いを寄せ、クリスチャンとしての信仰の継承への心が感じられる。

◆また、隔離病棟の患者や、死刑囚の句稿を詠んで、あたたかい隣人愛を感じさせる句など、俳句による証を続けていた庶民派の作家と言える。



    ・ベツレヘムの 星と思へば 悴(かじかま)ず

    ・主はきませり 主はきませり 燭(しょく)凍(い)てず

    ・くりかへす ハレルヤに風 薫(かお)りけり

    ・磔像(たくぞう)の 全身春の 光あり

    ・身にぞ入(し)む 等身大の ピエタかな

    ・草虱(くさじらみ) いつはさまりし 聖書かな

    ・こほろぎや チャペルの裏に あるトイレ

    ・春耕(しゅんこう)の 力を謝して 十字切る

    ・十字切る 否やつんざく 稲光(いなびかり)

    ・天の虹(にじ) 仰ぎて右近 ここにあり

    ・右近和服 われら洋服 右近の忌(き)

    ・踏絵あり 埃(ほこり)の如く 古(り)にけり 

    ・隣なき 隔離の病舎 桐の花

    ・一死刑囚の句選び 明易(あけやす)し

    ・石に彫る 帰天(きてん)の月日 霜柱



なお、以上の句は、下記の阿波野青畝の合評サイトから頂きました。感謝します。

ゴスペル俳句 http://www.gospel-haiku.com/sh/


(お話:大田雅一兄)


投稿者 : ws 投稿日時: 2009-01-28 22:30:15 (1810 ヒット)

2009年1月4日のウェルカム・サンデーより



Tokioさんの証し(壮年会)


メリークリスマス!!
奇異な感じを受ける方もいるかもしれませんが、まだクリスマスなんですね。日本では25日を過ぎると、一気に神道の雰囲気に向かいますが、欧米では、アドベント(待降節)が終わるのが1月8日くらいですかね、それまでがクリスマスということです。「あけましておめでとうございます」も良いですが、「メリークリスマス」が良いでしょう。飾り付けもまだありますし、日本だけですね、片付けてしまうのは。

それで、今日は、クリスマスソングを聞いてみたいと思います。ふつうのクリスマスソングは教会でみなさん聞かれていると思いますので、いわゆる外国の曲のポップスの中で、私の好きな本当のクリスマスソングというのを、例を挙げて紹介してみます。

♪〜)今、歌っているのは、クリスマスソングではないんですけれども、旧約聖書の「伝道の書」(新共同訳では「コヘレトの言葉」)からの言葉を、そのまま歌詞にしている歌です。世界で一番古い歌詞を使ったポップスですね。The Byrdsの“TURN!TURN!TURN!”「ターン・ターン・ターン」と言います。「変わる、変わる」という意味です。

♪〜)これは、ビートルズにいたジョージ・ハリスンが歌った「マイ・スイート・ロード」という歌です。この「ロード」は、「Lord 主」という意味なんですが、日本語の歌詞では「Road 道」となってしまっているものがあります。「私の好きな道」と印刷してしまっている歌詞まであるんですが、実は“My Sweet Lord”「私の好きな神さま」という意味です。これは日本ならではの間違いですね。

これ以外にもいろいろありますが、詳しくは私のホームページを見てください。
今日はその中でも、クリスマスソングということで、「ハッピー・クリスマス」という曲を聴きたいと思います。これはビートルズのジョン・レノンの歌ですね。

♪〜)配られたホームページの記事を読んでいただきたいのですが、前置きは私のジョン・レノンに対する思い出です。ジョン・レノンがなくなったのは、1980年の12月8日でした。午後10時50分ごろ。日本時間ですと12時50分ごろです。この時は、深夜放送を聞いていたんですが、「ジョン・レノンがなくなったよ」というニュースが突然流れてきて、すごい衝撃を受けた覚えがあります。そのあとずっと、ニュースがジョン・レノンの死を報道していて、その時のショックは今でもよく覚えています。

日本のラジオ局も急遽特別番組を組み彼の死を悼んだ。翌日の朝まで一睡もせずラジオを聞いた。ジョンの生前のコメント、曲を聴くたびに涙が溢れ、朝になっても重たい気持ちは変わらなかった。思い出すたびに当時の感情がこみあげてくる。
ビートルズ解散後の4人はそれぞれが成功を収めたが何故かジョンの活動は大方の予想に反して、ポールは別格としてもリンゴ、ジョージの健闘に比べて地味だったし亡くなる直前に発表されたアルバム「ダブルファンタジー」はその前のカヴァーアルバム「ロックン・ロール」から5年9ヶ月も歳月がたっていた。


ほかの三人に比べて、ジョンの活動というのは、実はあまり売れていなかったんですね。今はもう神様あつかいされて、ジョンはよく売れているんですが、当時は活動はなくはないんですけれども、ほかの三人に比べれば地味だったんです。
「スターティング・オーヴァー」というのが、おそらく彼の最後の曲になります。これはロックン・ロールナンバーのとても良い曲なんですけれども、この曲のイントロが鐘の音なんですね。ちょっとかけてみましょう……

♪〜)この最初の「チーン、チーン」と鳴るところが、どうしてもそのころ、なくなったすぐ後でしたから、聞くと葬儀の鐘の音のように聞こえるんです。ほんとうにこの曲をかけた時に、なくなってしまったんですね。

もう一度、「ハッピー・クリスマス」の話にもどります。これはどうでもいいような薀蓄の話なんですけれども、この曲の最初は「Happy Christmas Kyoko, Happy Chirstmas Julian」とささやく声でスタートするんです。ジョンの奥さんは、ヨーコさんなので、「Happy Christmas Yoko」と聞いてしまう人が多いんですが違います。Kyokoはヨーコと前の夫の娘の京子さんで、Julianはジョンの最初の妻との娘ジュリアンなんですね。この二人のためにつくられたのが、この曲だということです。
タイトルは「Happy Christmas  ハッピー・クリスマス」ですが、副題に「War is Over」とあって、「戦争は終わった」という意味です。しかし実は、戦争はまだ終わっていなかったんです。もちろん今でもどこかで戦争はあって、戦争が終わったということはないんですが、この時はまだ、ベトナム戦争が終わっていなかったんですね。けれども、歌の中では「戦争は終わった」と歌っている。これは「戦争をやめなさい」というメッセージなんだと思います。その時に、ヨーコがビルボードにメッセージを載せました。それを98年に再び掲載したときに、プレスに寄せられたメッセージの要約を訳しておきます。

 これはジョンと私(ヨーコ)が29年前、1969年のクリスマスに行なったビルボードイヴェントです。当時は人々を震わせ勇気を与えました。
 "We can do it"というメッセージは今も有効です。もし10億の人々が平和を望むなら手に入れることができるのです。「私たちにそんな事ができるの?」「できるのは政治家じゃないの?」と思っている人は考えてください。政治家は私たちの支持が無ければ何もできないのです。私たちこそが「power(力)」なのです。決して多くのことをする必要はありません。powerは緩やかでも思ってもみない働きをするのです。ドミノ倒しを想像してみてください。そしてポジティブに考えることから始めてください。そうすることによって世界中に伝わるのです。
 このビルボードをみなさんへのジョンと私からのクリスマスプレゼントとしたいのです。どうぞ、このビルボードの前であなたや、あなたがたの家族と一緒に写真を撮ってください。そしてそれを皆さんに送ってください。それによってメッセージは伝えられます。
 とにかく、楽しんでください。皆さんが楽しいときを過ごせますように──愛をこめて


もう一曲、これは「ドゥ・ゼイ・ノウ・イッツ・クリスマス?」“Do They Know It's Christmas?” Band Aid「バンドエイド」の歌です。といっても絆創膏の名前ではありません。文字通り、いろいろなバンドが、エチオピア飢饉救済のチャリティーレコードを製作するために集まったんです。
 
参加したアーティストは、ポール・ヤング、ボーイ・ジョージ(カルチャー・クラブ)、ジョージ・マイケル(ワム)、スティング、ボーノ(U2)、フィル・コリンズ、デュラン・デュランらイギリスのトップスター達だ。
Band Aid は結果的に500万ドルの義援金を集めることに成功したばかりでなく、エチオピアの独裁政権に対して静観していた西側諸国を積極的に救済する方向に転換させるきっかけとなった。それにより、被害者は100万人でストップした。

私たち、百万人と言いますが、大変な数です。実感がわかないかもしれません。「一人の死は悲劇だが、百万人の死はデータでしかない」と言った人がいます。百万人死ぬということは、これまでもあったし、これからもあるかもしれません。
歌詞の私訳から一部を、以下に書いておきます。

クリスマスだ。恐れることは何もない。
光を受け入れ闇を消し去るのだ。満ち足りた世界に喜びの笑顔を届けるのだ。
さあ、クリスマスの時、世界に手を差し伸べよう。
隣人の為に祈ろう。クリスマスなのだから。

幸せな人には難しいかもしれない。でも、窓の外にも世界があるんだ。
不安と恐れがあり、流れている水は身をきるような涙の水だけの世界。

そこで鳴るクリスマスのベルは世の終わりを告げる。
今夜は神に感謝しよう。自分がそこにいないことを。アフリカでは今度のクリスマスにも雪は降らない。今年彼らが受け取る最高の贈り物は命。
ああ、何も育たない、雨も降らない。
こんな地で彼らはクリスマスの時だという事を知っているのだろうか。……

食糧を世界に。食糧を世界に届けよう。


来年のクリスマスにこうした歌を聞いたら、またこのことを思い出してください。

Tokioさんのホームページ qualche cosa  http://www5f.biglobe.ne.jp/~gospel/

 
〔分かち合い〕 

★歌を実際に、i−Podで聞かせながら、音楽のある証しでした。クリスマスソングにこめられた、平和や飢餓救済のメッセージにみなさん、感じ入っていました。

★Tokioさんはホームページを通じて、歌や映画に見られるキリストの福音のメッセージを再発見し伝える活動をしています。こうした情報化社会の伝道も有意義だと感じました。

★私たちも、歌を聞くだけでなく、世界の難民たち、あるいは日本のホームレスの人たちなど、身近な隣人たちを助けることができるようにと、みんなで祈りました。


投稿者 : ws 投稿日時: 2008-12-30 17:50:16 (2004 ヒット)

2008年12月7日のウェルカム・サンデーより



松村雅子さんの証し(女性会)


1982年、夫の献身に伴いまして、福岡の西南学院大学神学部に参りました。常盤台教会におりましたときは、何も悩むことが無く楽しい教会生活を過ごしておりました。また東京を離れて生活するということも初めてでしたので、福岡での生活はとても不安でした。

夫の献身に7年間も反対し、8年目でようやく決心したことですので、これも神様の導きと信じ、福岡に旅立ちました。今でも覚えておりますが、先に行った夫の後を一人新幹線に乗って福岡へと出かけてゆきました。門司に着きましたら遠くのほうに船の帆が見えたんですね。そうしましたら「ああ、こんなに遠くまで来たんだ」と思った瞬間に涙が溢れてきてしまいました。

神学校は福岡の中心地、天神からバスで40分のところにあります。山の中で木々がたくさんある自然豊かなところです。近くには沼もありますし、夜になると月や星の光しか見えないという真っ暗やみも経験しました。ある時、歯医者さんに行きましたら、「どこに住んでいるの」と聞かれましたので「あの山の中の神学校の寮です」と答えますと、「ああ、あそこね、あそこは昔、火葬場とかサナトリュウムと呼ばれたいたところだ。」と言われました。木々の中から突き出ている暖炉の煙突があったのでそんなふうに思われていたんだな、と思いました。

そのようなところで神学校生活を送らせていただきました。ムカデも出てくるんです。10センチ以上の胴体が黒と黄色のムカデが出てくるんですよ。そのムカデには一年以上も悩まされました。また蛇も出てくるんですね。主人が大きな声を上げて部屋に入ってきたので、「どうしたの」と聞きますと、「へびへび」と叫ぶので外に出てみましたら、黒い大きな蛇が木からぶら下がっていました。
 
神学校では私も授業を聴講することができました。オルガン実技と教会音楽、新旧約聖書の緒論などを学ぶことができました。

最初の一年目は慣れるのに大変でしたが、全体としてはとても楽しい神学校生活でした。
神学寮での生活はお互いに助け合っての生活でした。みんな貧学生でしたので、パンの耳が売っていると、それを買い占めてくるんですね。そしてそれをみんなで分け合い、パンの耳が大体朝の食事でした。また小さな子供さんがいる神学生がいましたから、我が家に週に一回子供たちを集めてピアノ教室を開いたりしておりました。また留守の教授宅を使わせてもらい、ピアノの発表会を開いたり、とても楽しく過ごしておりました。

神学校生活というのは、本当に不思議だなと思います。みんな貧しいのに、すごく豊かなんですね。今でも当時の仲間が集まると「あの時は楽しかったわね。お金はなかったけれど、大きなクリスマスケーキが一軒一軒配られ、食べ切れなかったわよね。結構豊かな暮らしをしていたわよね。」(12月25日過ぎると、売れ残ったケーキのプレゼントがありました)と思い出話をしております。

神学校の3年間の教会生活は1年ごとに教会を変わりました。奉仕教会での教会生活は忘れられない思い出ばかりです。ある教会ではオルガニストの奉仕が与えられました。とても小さな教会でオルガニストもいませんでした。礼拝でオルガンを弾いておりますと、あまりにも人数が少ないので、人数を数えてしまいました。いくら数えなおしても17名、18名。今日は20名を越した、と大喜びをしたものです。ある時の特別伝道集会で、この教会もイエス・キリストの体なる教会で、主が立てられなければ教会ではないんだ、ということが示され、涙が止まらない感動を経験しました。

神学校を1985年に卒業し、その年に大泉バプテスト教会に招かれました。大泉教会も小さな教会でしたが、教会員みなさんが温かく私たちを迎えて下さり、喜びに満たされて、主人と一緒にここでの教会生活が始まりました。

私はこの教会で頑張らなくては思っておりました。しかしすぐに頭痛になったり、胃痛になったりで、思うようになりませんでした。そこで自分にできることは何か、自分にできることからはじめようと思い、それを探すことにしました。聖書を読み、教会員一人一人を覚えてお祈りをすることなら自分にも出来るということに気付きました。榎本先生の「一日一章」を始めました。ひと通り終わり、2回目に入ろうとした時に、バプテスマを受けたばかりの一人の姉妹がなかなか聖書を読んでも分からない、と言って相談に来られましたので、一緒に「一日一章」を始めることにしました。この「一日一章」はそれぞれ、毎日自宅で一日一章を読み、示されたこと、またその日の出来事などをメモにして、それを月一度持ち寄り分かち合う、というものです。この学びを続けているうちにだんだん人数が増え「一日一章の会」となりました。多いときは10人位で、そして9年以上もこの会は続けられました。(今もそれぞれ続けていると思いますが。)

この学びを通して、姉妹方と悩みや喜びを共有することができ、「私だけ」ではないんだ、ということが示され、とても勇気が与えられました。またお互いに祈り支え合う関係ができ、教会生活が充実してきました。大泉での22年間はこの「一日一章」により、み言葉に励まされてであること気付かされます。

大泉教会で感じたことは、教会は絶対に人間的な力では歩むことができないということです。人間的な力で、自分の思いでは教会は教会となっていくことができないということを教えていただきました。どんなことでも神様が背後に働いて導いて下さっているということに気が付かされました。ですから神様が働いて下さるように、神様のみ心を共に求めてゆくところに教会が立てられてゆくのだと思います。

最近私が示された聖書の箇所は
「このように、わたしたちは揺り動かされることのない御国を受けているのですから、感謝しよう。感謝の念をもって、畏れ敬いながら、神に喜ばれるように仕えていこう。」(ヘブライ人への手紙12章28節)です。

そして聖書の言葉ではありませんが、ニューヨークのリハビリテーションセンターに掛けてある言葉だそうですが、次の言葉も大好きで、私の力になっております。

 「大事をなそうとして、力を与えてほしいと神に求めたのに、慎み深く従順であるようにと、弱さを授かった。
 より偉大なことができるように、健康を求めたのに、より良いことができるようにと、病弱が与えられた。
 幸せになろうとして、富を求めたのに、賢明であるようにと、貧困を授かった。
 世の人から賞賛を得ようとして、権力を求めたのに、神の前でひざまずくようにと弱さを授かった。
 人生を享楽しようと、あらゆるものを求めたのに、あらゆるものを喜べるようにと、命を授かった。
 求めたものはひとつとして与えられなかったが、願いはすべて聞き届けられた。
 神の意にそわぬ者であるにもかかわらず、心の中の言い表せない祈りは、すべてかなえられた。
 私はあらゆる人の中で、もっとも豊かに祝福されたのだ」


弱く、貧しい者でありますが、聖書を読み、祈り、神様により頼み常盤台教会で信仰生活を送っていきたく願っております。

 
 クリスマス会の報告 

★まず、松村誠一先生のトランペット、雅子夫人のピアノによる、おしどり夫婦の息の合った演奏により、みなさんで一緒に「きよしこの夜」を歌いました。この讃美歌の由来について、雅子夫人から紹介のプリントも配られました。

★続けて、雅子夫人の証しがありました。福岡での神学校生活、そして、大泉教会での牧師夫人としての生活、そのご苦労と信仰の深さのしみじみと感じられるお話に、みなさんいっしょに涙ぐんで聞いておりました。

★次に、サプライズプログラムとして、渡部信先生のピアノと、K姉のヴァイオリンによるミニ・コンサート。「バッハ・グノーのアヴェマリア」「オーホゥリーナイト」「ト調のメヌエット」の三曲が演奏され、最後に渡部先生の独奏による「ショパン作曲 ノクターン遺作」。温かい雰囲気の音楽にみなさん聴きほれていました。

★最後に、大田兄からクリスマスにちなんだ俳句が少し紹介され、続けて、KM姉の司会によって、みなさん一人一句、クリスマス川柳を詠みました。その後、互選により選ばれた方には、KM姉からクリスマスプレゼント。

★今回は地区と合同で楽しいクリスマス会のひと時を、過ごすことができました。用意してくださった地区のみなさん、スタッフのみなさん、参加してくださった多くのみなさん、ありがとうございました。良いお年をお迎えください。

★写真をウェルカム・サンデーの集会案内に掲載してあります。


〔クリスマスの俳句〕

聖樹灯り 水のごとくに 月夜かな        飯田蛇笏
雪道や 降誕祭の 窓明かり           杉田久女
降誕祭 町にふる雪 わが家にも         安住敦
雪の戸の 堅きを押しぬ クリスマス       水原秋櫻子
雪を来し 靴と踊りぬ クリスマス        山口波津女
聖夜餐 スープ平らに 搬び来し         山口誓子
一家族 母うら若く 聖樹立つ          後藤夜半
聖夜眠れり 頸やはらかき 幼な子は       森澄雄
長崎に 雪めづらしや クリスマス        富岡風生
聖夜とや ヒロシマ 環礁 実験図        中村草田男
クリスマス 船ゆき交ひて 相照らす       加藤楸邨
塔の上の 鐘動き鳴る クリスマス        松本たかし
花型に 蝋涙たまる クリスマス         大野林火
聖夜に読む 光の中に 燭を点じ         香西照雄
祷りは歌に 歌は祷りに 聖夜更く        下村ひろし
ヴァイオリン 作る小村の クリスマス      京極杞陽
クリスマス 牧場の牛の 大き鈴         紫田白葉女
ヴェール着て すぐに天使や 聖歌劇       津田清子
神父老い 信者われ老い クリスマス       景山筍吉
聖樹灯し 治癒なき病 いまだあり        田川飛旅子
クリスマスキャロル 星伴れ 病める徒へ     村越化石
裏町の泥 かがやけり クリスマス        桂信子
吾が罪を よく知ってをり クリスマス      上野章子
降誕祭 待つ燭 こよひ ともすなり       山口青邨


〔クリスマス川柳〕一部を紹介します。

・クリスマス 当たって下さい タカラクジ
・クリスマス 坊さんひまで ケーキ食べ
・サンタさん あなたもメタボ 調べたら?
・遠くで聞こえる聖歌隊 近くによると ただの人
・クリスマス あなたをみあげて ケーキ食べ
・なんたるチア イエス様なき クリスマス
・プレゼント 贈る孫あり 幸を知る
・「コウタンサイ(降誕祭) コウタンサイ」と叫ぶ 売り子の声 (福岡弁です)
・キャンドルの 灯りにうつる もと青年
・若き日の お菓子楽しむ キャロルかな(20歳のころの姿)
・雪道を たのしく歌う キャロリング
・助けてと ひたすら祈る クリスマス
・シドニーで ボードに乗った サンタさん
・クリスマス 難民の子らに 献金す
・神の愛 あふれんばかりの 聖夜かな
・クリスマス 天は 二物をあたえたり
・一夜明け 星遠くに 流れけり
・飾り窓 隣家の赤い灯 せがむ孫
・町角に キャロルながれて 口ずさむ
・飾りなき 我が家にも来る イエス様


投稿者 : ws 投稿日時: 2008-12-02 23:38:07 (2003 ヒット)

2008年11月2日のウェルカム・サンデーより



大田雅一さんの証し(壮年会)


三日前の十月二十九日が誕生日で五十になりました。水曜の祈祷会でみなさんにバースディソングを歌ってもらいました。すでに半世紀生きたわけです。「五十にして天命を知る」と孔子は言いましたが、まだ神さまの召命をはっきり知ることができず、迷ったりすることもあります。

それに先立つ二週間前ほど前、父が肺がんのため八十一歳で世を去りました。半年前から入院していたので、ある程度、覚悟はしていましたが、残念でした。父にもキリスト教を信じてほしいと願っていたのですが、そうならなかったのは、やはり私に至らないところがあり、ふだんの生活の中で愛が足りず、証しできるような生活ができていなかったからだと反省しています。

父の闘病生活を見ていて感じましたのは、やはり信仰がないと、死に対する恐怖感からは逃れにくいということです。永遠の生命を信じられることは心の安息を得られることだと思うのですが、それを父に味わわせてやれなかったことが、心残りです。神学校の夏期講習で、平山正実先生(聖学院大学)の死生学講座をとっていたのですが、実践に充分に生かせませんでした。

実家が金沢にあるので帰省して葬儀をしてきました。石川県は昔から浄土真宗の牙城で、一向宗が支配したこともあるくらいです。親族や家族もみな真宗で、私だけがひとりクリスチャンです。この地方では長男がふつう喪主となるのだと言われ勤めてきました。ただし私は、他の方の仏式のお葬式の時もそうですが、いつも心の中では、イエス・キリストに魂の救いをお願いしています。

イエス様はすべての人のため、全人類のために十字架にかかられたわけです。自分を十字架にかけた者たちに対してさえ、
「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」(ルカ23:34)
と父なる神に祈り願ったのです。
「キリストは私たちがまだ弱かったころ、不信心な者たちのために死んで下さったのだ」(ローマ5:6)
とパウロも言っています。

ですから、私は万人救済説を信じています。信じていない者も救われています。十人の人が癒されたが、礼を言いに来たのはただ一人だった。その時に、イエスは
「ほかの九人はどこにいるのか」(ルカ17:17)
と言われた。その礼を言いに来た一人がクリスチャンであった。救われていることを自覚して、神に感謝する者がクリスチャンとなるのです。

「セカンド・チャンス」という考えがあります。主を信じないで死んだ者も、冥界でチャンスはあるのかという問題です。
「霊においてキリストは、捕らわれていた霊のところへ行って宣教されました。この霊たちは、ノアの時代に箱舟が作られていた間、神が忍耐して待っておられたのに従わなかった者です」(第一ペテロ3:19-20)
という言葉があります。だから、死んだ者にもチャンスはあると私は思うのですが、反対の説をとる方もいるようです。

壮年会で親睦会をしました時に、松村先生にこのことをお尋ねしたところ、「僕はセカンド・チャンスを認めない」と言われたので、ちょっとがっかりしました。ところがすぐ後、先生はこう言うのです。「僕は万人救済説で、すべての人は救われていると思っているからね」。なるほどと安心しました。確かに、それならセカンド・チャンスは不要です。続けて、先生は言いました。「しかし、私たちクリスチャンはその救われている恵みを、先取りして生きているんだよ」。そのとおりです。罪を赦されていることを自覚して、この世を喜びのうちに充実して生きること。それがクリスチャンに与えられた恵みです。永遠の命を信じる時には、もはや死に対する恐怖もなくなるのですから。

さて、父の思い出になります。七年前に私がバプテスマを受けると言った時、父は良い顔をしませんでした。当時、退職した父と母は金沢に帰郷していて、東京に買っていた家を私たち夫婦は借りて住んでいたのですが、受浸をめぐる感情の行き違いなどもあったせいか、その家を売るということになり、私たち夫婦は新しい住まいを購入することになりました。しかし、旧約聖書にも
「父と母を敬え」(出エジプト20:12)
とあります。親に逆らうのは親不孝かと、悩んだりしました。

ある朝、バス停で通勤のバスを待っていて、思い悩んでいた時に、聖書(口語訳)を開きました。
「神様、新しい家を買うべきでしょうか。バプテスマを受けるべきでしょうか」
そう心に祈って、答を求めて聖書を開いてみたのです。するとその頁にこうありました。

「わたしの畑を買ってください。所有するのも、あがなうのも、あなたの権利なのです。買い取ってあなたの物にしてください」(エレミヤ32:8)
「その時、彼らはもはや『父がすっぱいぶどうを食べたので、子どもの歯が浮く』とは言わない」(エレミヤ31:29)


新しい家を買うのは、あなたの権利だからそうしなさい。そして、父がどのような信仰を持っていても、あなたの信仰は関係ない。あなたはあなたの信仰を持てばいいのだと、神は言われる。

そのようなみ言葉を与えられたと確信して喜び、バプテスマを受ける決意をしました。その後、父とも和解しました。金沢キリスト教会(田口牧師)に行った時、「父と母を敬え」の言葉が週報に載っていました。そして、礼拝の後で聖書クラスに出ると、
「だれの罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。だれの罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る」(ヨハネ20:23)
のみ言葉の箇所を読みました。神さまは、和解を勧めてくださっていると感じました。

いつでも悩んでいる時に、心に祈って聖書を開くと、主は聖書のみ言葉を通じて、私に語りかけその場に応じた的確なアドバイスをくださる。これは私の経験では外れたことはなく、そのために私は信じるようになりました。神は今も生きて働いておられるお方です。
 
この度の父の病に際して、治癒を祈り、また父の信仰を祈りましたがかないませんでした。そのことの意味を問いたくて、神さまに祈り、聖書を開くと、次のみ言葉がありました。

「わたしが去って行くのは、あなたがたのためになる。わたしが去って行かなければ、弁護者はあなたのところに来ないからである」(ヨハネ16:7) 
「しばらくすると、あなたがたはもうわたしを見なくなるが、またしばらくすると、わたしを見るようになる」(ヨハネ16:16)


もちろんこれは、イエス様の告別説教の言葉です。しかし、その時の私にとっては、これは父から私への言葉であり、いや、イエス様を通じた、父についての私へのメッセージだと感じられました。

「今はあなたがたも、悲しんでいる。しかし、わたしは再びあなたがたと会い、あなたがたは心から喜ぶことになる」(ヨハネ16:22) アーメン。
天国での、イエス様と父との再会を待っています。

+ + + + + + + + + + + + + + + + + + +


今、私は東京バプテスト神学校で学んでいます。
昨年、聴講生として入学しました。ギリシャ語で原典の新約聖書を読みたいと思ったのがきっかけでしたが、ついでにということで、松村先生の新約聖書概論や牧会学・伝道学・キリスト教倫理をとりました。すっかり聖書の勉強が面白くなり、今年の四月からは正式に本科に入学しました。

現在、ギリシャ語の中級を終えて、ほかに城倉先生の旧約聖書概論・旧約聖書神学概論、平山先生の死生学、そして特別講義「信徒の神学」をとっています。難解だった旧約が最近は楽しく、来年は、ヘブライ語に挑戦して原典で読んでみようと思っています。

本科は三年で卒業ですので、このまま順調にゆけば、あと二年、2010年度の三月には卒業することになります。今迷っていますのは、その後、どうするか、専攻科に進んで牧師を目指すかどうかということです。私としてはやってみたい気もするのですが、まだ家のローンもありますし、子供も中学・高校でこれから教育費などかかりますし、すぐに今の仕事をやめてというわけにはいきません。できるとしたら、退職後に「年金牧師」の形で、小さな教会で勤めてみることでしょうか。

ただし、本人がやりたいと思っても、専攻科入学には、教会の推薦が必要となっております。

何よりも今、一番悩んでおりますのは、はたして、神様の召命があるのかどうかということです。本人がやりたいと思っても、神様がやらなくていいと言うかもしれませんし、逆に、本人はやりたくないと思っても、神さまがおまえはやれと言うかもしれません。

引き合いに出すとおそれ多いのですが、モーセも「私は口下手なので無理です」と神さまに断り、それでもやれと命じられました。旧約の預言者たちを見ると、たいてい「私にはできません」と断る場合が多いんですね。だから、神さまに首根っこをとられて引き出されるかもしれません。

私としては、牧師よりも、聖書を原語から翻訳してみたり、キリスト教についての話を書いてみたりする、研究職や物書きのほうが向いているような気もしています。ただ、こればかりは、人の思いを超えて、神さまのみ心次第です。今は、とにかく勉強を続けていたいと考えています。

〔分かち合い〕

◆それぞれ参加したみなさんの、最近の生活の中での証しや悩みなど聞けることで、いつも励まされます。私の話についての応答もいろいろといただき、ありがとうございました。

◆牧師の件について、「神さまに祈る中で求めていくと示されるでしょう」「牧師も物書きも両方やったらいいじゃありませんか」といったあたたかいご意見をいただきました。感謝しております。

◆松村夫人が出席していて、ご主人の松村先生のお話などお伺いして勉強になりました。十二月のクリスマス会では、松村夫人のお証がありますので、ぜひみなさまご参加ください。


神学校講座のごあんない

・12月26日、27日の両日、平山正実先生の冬季講座「死生学特講」があります。申込み受付中。

・毎週土曜午後、連続講義「信徒の神学」があります。毎回講師が異なり、一回だけの聴講も可。

・関心のある方は、東京バプテスト神学校(03-3947-5141)までお問い合わせください。


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