< meta http-equiv="X-UA-Compatible" content="IE=Edge,chrome=1" /> 読み物・教会ダイアリー - 日本バプテスト連盟に所属するプロテスタント教会です
投稿者 : ws 投稿日時: 2008-12-02 23:38:07 (2009 ヒット)

2008年11月2日のウェルカム・サンデーより



大田雅一さんの証し(壮年会)


三日前の十月二十九日が誕生日で五十になりました。水曜の祈祷会でみなさんにバースディソングを歌ってもらいました。すでに半世紀生きたわけです。「五十にして天命を知る」と孔子は言いましたが、まだ神さまの召命をはっきり知ることができず、迷ったりすることもあります。

それに先立つ二週間前ほど前、父が肺がんのため八十一歳で世を去りました。半年前から入院していたので、ある程度、覚悟はしていましたが、残念でした。父にもキリスト教を信じてほしいと願っていたのですが、そうならなかったのは、やはり私に至らないところがあり、ふだんの生活の中で愛が足りず、証しできるような生活ができていなかったからだと反省しています。

父の闘病生活を見ていて感じましたのは、やはり信仰がないと、死に対する恐怖感からは逃れにくいということです。永遠の生命を信じられることは心の安息を得られることだと思うのですが、それを父に味わわせてやれなかったことが、心残りです。神学校の夏期講習で、平山正実先生(聖学院大学)の死生学講座をとっていたのですが、実践に充分に生かせませんでした。

実家が金沢にあるので帰省して葬儀をしてきました。石川県は昔から浄土真宗の牙城で、一向宗が支配したこともあるくらいです。親族や家族もみな真宗で、私だけがひとりクリスチャンです。この地方では長男がふつう喪主となるのだと言われ勤めてきました。ただし私は、他の方の仏式のお葬式の時もそうですが、いつも心の中では、イエス・キリストに魂の救いをお願いしています。

イエス様はすべての人のため、全人類のために十字架にかかられたわけです。自分を十字架にかけた者たちに対してさえ、
「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」(ルカ23:34)
と父なる神に祈り願ったのです。
「キリストは私たちがまだ弱かったころ、不信心な者たちのために死んで下さったのだ」(ローマ5:6)
とパウロも言っています。

ですから、私は万人救済説を信じています。信じていない者も救われています。十人の人が癒されたが、礼を言いに来たのはただ一人だった。その時に、イエスは
「ほかの九人はどこにいるのか」(ルカ17:17)
と言われた。その礼を言いに来た一人がクリスチャンであった。救われていることを自覚して、神に感謝する者がクリスチャンとなるのです。

「セカンド・チャンス」という考えがあります。主を信じないで死んだ者も、冥界でチャンスはあるのかという問題です。
「霊においてキリストは、捕らわれていた霊のところへ行って宣教されました。この霊たちは、ノアの時代に箱舟が作られていた間、神が忍耐して待っておられたのに従わなかった者です」(第一ペテロ3:19-20)
という言葉があります。だから、死んだ者にもチャンスはあると私は思うのですが、反対の説をとる方もいるようです。

壮年会で親睦会をしました時に、松村先生にこのことをお尋ねしたところ、「僕はセカンド・チャンスを認めない」と言われたので、ちょっとがっかりしました。ところがすぐ後、先生はこう言うのです。「僕は万人救済説で、すべての人は救われていると思っているからね」。なるほどと安心しました。確かに、それならセカンド・チャンスは不要です。続けて、先生は言いました。「しかし、私たちクリスチャンはその救われている恵みを、先取りして生きているんだよ」。そのとおりです。罪を赦されていることを自覚して、この世を喜びのうちに充実して生きること。それがクリスチャンに与えられた恵みです。永遠の命を信じる時には、もはや死に対する恐怖もなくなるのですから。

さて、父の思い出になります。七年前に私がバプテスマを受けると言った時、父は良い顔をしませんでした。当時、退職した父と母は金沢に帰郷していて、東京に買っていた家を私たち夫婦は借りて住んでいたのですが、受浸をめぐる感情の行き違いなどもあったせいか、その家を売るということになり、私たち夫婦は新しい住まいを購入することになりました。しかし、旧約聖書にも
「父と母を敬え」(出エジプト20:12)
とあります。親に逆らうのは親不孝かと、悩んだりしました。

ある朝、バス停で通勤のバスを待っていて、思い悩んでいた時に、聖書(口語訳)を開きました。
「神様、新しい家を買うべきでしょうか。バプテスマを受けるべきでしょうか」
そう心に祈って、答を求めて聖書を開いてみたのです。するとその頁にこうありました。

「わたしの畑を買ってください。所有するのも、あがなうのも、あなたの権利なのです。買い取ってあなたの物にしてください」(エレミヤ32:8)
「その時、彼らはもはや『父がすっぱいぶどうを食べたので、子どもの歯が浮く』とは言わない」(エレミヤ31:29)


新しい家を買うのは、あなたの権利だからそうしなさい。そして、父がどのような信仰を持っていても、あなたの信仰は関係ない。あなたはあなたの信仰を持てばいいのだと、神は言われる。

そのようなみ言葉を与えられたと確信して喜び、バプテスマを受ける決意をしました。その後、父とも和解しました。金沢キリスト教会(田口牧師)に行った時、「父と母を敬え」の言葉が週報に載っていました。そして、礼拝の後で聖書クラスに出ると、
「だれの罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。だれの罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る」(ヨハネ20:23)
のみ言葉の箇所を読みました。神さまは、和解を勧めてくださっていると感じました。

いつでも悩んでいる時に、心に祈って聖書を開くと、主は聖書のみ言葉を通じて、私に語りかけその場に応じた的確なアドバイスをくださる。これは私の経験では外れたことはなく、そのために私は信じるようになりました。神は今も生きて働いておられるお方です。
 
この度の父の病に際して、治癒を祈り、また父の信仰を祈りましたがかないませんでした。そのことの意味を問いたくて、神さまに祈り、聖書を開くと、次のみ言葉がありました。

「わたしが去って行くのは、あなたがたのためになる。わたしが去って行かなければ、弁護者はあなたのところに来ないからである」(ヨハネ16:7) 
「しばらくすると、あなたがたはもうわたしを見なくなるが、またしばらくすると、わたしを見るようになる」(ヨハネ16:16)


もちろんこれは、イエス様の告別説教の言葉です。しかし、その時の私にとっては、これは父から私への言葉であり、いや、イエス様を通じた、父についての私へのメッセージだと感じられました。

「今はあなたがたも、悲しんでいる。しかし、わたしは再びあなたがたと会い、あなたがたは心から喜ぶことになる」(ヨハネ16:22) アーメン。
天国での、イエス様と父との再会を待っています。

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今、私は東京バプテスト神学校で学んでいます。
昨年、聴講生として入学しました。ギリシャ語で原典の新約聖書を読みたいと思ったのがきっかけでしたが、ついでにということで、松村先生の新約聖書概論や牧会学・伝道学・キリスト教倫理をとりました。すっかり聖書の勉強が面白くなり、今年の四月からは正式に本科に入学しました。

現在、ギリシャ語の中級を終えて、ほかに城倉先生の旧約聖書概論・旧約聖書神学概論、平山先生の死生学、そして特別講義「信徒の神学」をとっています。難解だった旧約が最近は楽しく、来年は、ヘブライ語に挑戦して原典で読んでみようと思っています。

本科は三年で卒業ですので、このまま順調にゆけば、あと二年、2010年度の三月には卒業することになります。今迷っていますのは、その後、どうするか、専攻科に進んで牧師を目指すかどうかということです。私としてはやってみたい気もするのですが、まだ家のローンもありますし、子供も中学・高校でこれから教育費などかかりますし、すぐに今の仕事をやめてというわけにはいきません。できるとしたら、退職後に「年金牧師」の形で、小さな教会で勤めてみることでしょうか。

ただし、本人がやりたいと思っても、専攻科入学には、教会の推薦が必要となっております。

何よりも今、一番悩んでおりますのは、はたして、神様の召命があるのかどうかということです。本人がやりたいと思っても、神様がやらなくていいと言うかもしれませんし、逆に、本人はやりたくないと思っても、神さまがおまえはやれと言うかもしれません。

引き合いに出すとおそれ多いのですが、モーセも「私は口下手なので無理です」と神さまに断り、それでもやれと命じられました。旧約の預言者たちを見ると、たいてい「私にはできません」と断る場合が多いんですね。だから、神さまに首根っこをとられて引き出されるかもしれません。

私としては、牧師よりも、聖書を原語から翻訳してみたり、キリスト教についての話を書いてみたりする、研究職や物書きのほうが向いているような気もしています。ただ、こればかりは、人の思いを超えて、神さまのみ心次第です。今は、とにかく勉強を続けていたいと考えています。

〔分かち合い〕

◆それぞれ参加したみなさんの、最近の生活の中での証しや悩みなど聞けることで、いつも励まされます。私の話についての応答もいろいろといただき、ありがとうございました。

◆牧師の件について、「神さまに祈る中で求めていくと示されるでしょう」「牧師も物書きも両方やったらいいじゃありませんか」といったあたたかいご意見をいただきました。感謝しております。

◆松村夫人が出席していて、ご主人の松村先生のお話などお伺いして勉強になりました。十二月のクリスマス会では、松村夫人のお証がありますので、ぜひみなさまご参加ください。


神学校講座のごあんない

・12月26日、27日の両日、平山正実先生の冬季講座「死生学特講」があります。申込み受付中。

・毎週土曜午後、連続講義「信徒の神学」があります。毎回講師が異なり、一回だけの聴講も可。

・関心のある方は、東京バプテスト神学校(03-3947-5141)までお問い合わせください。


投稿者 : ws 投稿日時: 2008-12-02 22:30:27 (2816 ヒット)

俳人シリーズ第四回 川端茅舎    

■作者について

・川端茅舎は俳人として有名だが、一般には“茅舎浄土”と呼ばれるように、仏教的な境地を詠む作風だととらえられている。だが、彼は若い頃に聖書を読み、強く影響を受けている。

・一見、仏教的と見られる句の中にも、その宗教的思索の根底にはキリスト教信仰が伺われる。このことは、彼と信仰が深かったクリスチャン俳人の中村草田男も指摘していることである。

・そもそも「茅舎」という俳号自体が、レビ記などにある「仮庵祭」、すなわち出エジプトの時にイスラエル民族が野宿した際の仮庵の幕屋、「茅の庵」に由来していることはあまり知られていない。

「汝ら七日のあひだ茅庵に居りイスラエルに生れたる人はみな茅庵に居べし」(レビ23:42)

・茅舎の兄、川端龍子は画家であり、茅舎も俳人より洋画家を目指していた。西洋画を通じてキリスト教に魅かれていたのだが、画家の道は挫折して俳人としての道を歩むことになる。

・晩年は父母や妹など肉親を失い、自らも肺病で苦しい闘病生活を送った。だがそうした試練のうちで、神の造りし世界を澄んだ目で見つめ、自らの生死を悟りの境地で詠む名句を遺している。

・キリスト教との関係について『川端茅舎』(蝸牛俳句文庫)が詳しいのでご参照いただきたい。

■作品

 躓(つまづ)きし 石生きてとぶ 枯野かな
 
 夜店はや 露の 西国立志編        
 
 白露に 鏡のごとき 御空かな
 
 金剛の 露ひとつぶや 石の上
 
 白露に 薄薔薇色の 土龍(もぐら)の手
 
 放屁虫 エホバは善しと 見たまへり

 葡萄棚 漏るる日影の 微塵かな

 聖霊の 茄子の形と なりにけり

 ひらひらと 月光降りぬ 貝割菜

 月光に 深雪の創(きず)の かくれなし

 ぜんまいの のの字ばかりの 寂光土

 どくだみや 真昼の闇に 白十字

 花杏 受胎告知の 翅音びび

 筑紫野の 菜殻の聖火 見に来たり

 夜もすがら 汗の十字架 背に描き

 皆懺悔 鶯団子 たひらげて

 石枕して われ蝉か 泣き時雨 (絶句)

「けさ僕は急に母が懐かしくなり、母の大好きな裏の無花果を見舞ってみた。
この木は僕も大好きだ。
この木に実がないと言って耶蘇は腹を立てたのだ。
さうしてこの木を呪って立所に枯らしちまったのだ。
然し僕はこんな我儘の耶蘇が嬉しいのだ。
一ぺん力を抜いたなら少しぐらゐ間違ってゐたって切っちまふのが面白い。
他人の思惑ばかり気にしてるパリサイ人や偽善者達に嫌はれてもこっちが本当の真実だ。
僕もうんと我儘をしてやらう。
それが母には全く何より一番功徳になるだらう」(茅舎の言葉)


(お話:大田雅一兄)


投稿者 : ws 投稿日時: 2008-10-27 00:42:23 (1773 ヒット)

2008年10月5日のウェルカム・サンデーより



H.K.さんの証し(壮年会)


常盤台教会に初めて来たのは57年前の、1951年9月27日です。
自分の曲がり角というか岐路にあって常盤台教会につながって今日の私があると思います。本日の礼拝の松村先生の放蕩息子のお話は、私が特伝で決心した時のお話と同じところでした。その日のうちに決心したのも、それまでの歩みで示されたところがあるからだと思います。

私は教会に十八歳の時に来て、バプテスマを受けたのは十九歳になった時でした。今日までつながっているのはうれしいことです。
そのなかでも大きなことは、バプテスマを受けた後に、仕事についたということです。児玉牧師からヨルダン社で働いてくれないかということで、私は気楽にお手伝いするつもりで仕事についたんですけれども、それが結果的には十六年間ヨルダン社で仕事をすることになりました。後半はやめたくなって、毎年暮れになると神様いつまでここで働かなくてはならないのですかとお祈りしていたのですけど。神様はそのやめさせ方も不思議でして、私に新しい使命を与えてくださいました。

政治の道に進むということで区議会議員に立候補して昭和46年に初めての選挙にチャレンジして落選して、ヨルダン社に戻るわけにはいかないということでやめたんです。ということは直前までヨルダン社に勤めていながら選挙に出たということで、いかに世間知らずというか当時の政治状況も知らずにそういうところに飛び込んだかということですね。

それから十六年後に再度チャレンジをするわけですが、それを決めさせてくださったのは1985年の受難週に関東祈祷院というところで三日間の断食祈祷をしましたが、そのなかで神様の御心を再度教えてくださいということで祈りました。祈り始めて分かったことは、神様の御心、召命は変わらないということです。これはもう三日間祈る必要はないとも思ったのですが、せっかく決心して祈り始めたことだからと祈りましたが、それが私にとって最初であり最後の断食祈祷でした。それから再度挑戦して、昭和62年の区議会議員に最下位で当選して。今の私の人生の中で新しい生き方を教えられたという気がします。

教会の中で私が一番よかったなと思うのは1979年伝道委員長になりまして、その時に伝道委員会として初めてした仕事が山形伝道の祷援会を作り、第一回は国沢さんと民谷夫人と木村さんと四人で行ったんですね。山形まで私のぼろ車で行ったんですが、それが本当に私にとって大きな経験でした。二年連続で行きました。そして三年目には山形伝道所が教会組織をしてくれたということで、私たちの祈り、願いは二年にして実現することができました。二年目は二台のワンボックスカーで十五人くらいで行きました。山形に行く前に、当時仙台にいた天野五郎先生のところや、仙台北で開拓伝道をしていた野口先生のところにも行きました。山形では、雨の中の集会でしたけれども、教会始まって以来の百人以上の集会で、あんなに感動を覚えたことはないですね。それくらいに教会組織ができたということがありがたいことでした。

それから、特伝の時に二十四時間の連続祈祷会を、何度かやりました。特伝を前にしてこれだけ教会員が祈ったことは空前絶後だと思います。松村秀一先生がおまえのやることにはびっくりすると言ってくれたことが記憶にあります。こうしたことをこれからも教会でやっていければいいと思います。山形伝道に続いて、富山伝道をした記録もあります。富山伝道は全十回いたしました。神さまからこれを通して祝福をいただいたと思っています。

この記録は私の宝物なんですけど、コンピューターやワープロが出る前に和文タイプライターで打っていました。この山形伝道と富山伝道をやったことで、私は神様から二つのボーナスをいただいております。ひとつは山形伝道をやった時に、町の建築屋さんがマンションを建てないか、お金はなくても住宅公団から借りれば建てられるということで教えてもらって、保証人は社長さんがやってあげるからと言われて何の苦もなく建てられたところが、今私が住んでいるところです。
その次の富山伝道は1983年から始めたんですけれども、ちょうどその時は戸上先生が就任されて一年目だと思うんですが、総会で山形伝道所が教会組織できたので次は富山伝道を応援したいということを総会で提案したら誰ひとり賛成してくれなかったんですね。私はあんなに情けなかった教会総会はなくて、みんなの前で涙ながらに泣き出したことを今でも覚えています。その時も総会が通らなければやるしかないと私は使命として感じておりましたので、伝道委員会として富山に調査に行きたいということを申し出まして、当時の伝道委員は郷さんと山崎さん、お父さんが諫早の牧師さんになっている小山さんの四人で行きまして、それから十回、毎年青年会、婦人会、兄弟会の三つのグループがそれぞれ富山に行きました。富山伝道をしながら、区議選にも立候補し当選したということで、区議会議員当選が神様からいただいたふたつめのボーナスだと思っています。

私にとって教会で生かされ、教会で育てられ、教会で活動した事柄から、今度は地域の中でクリスチャンとしてどう生きるべきかということが問われることだったなあと思っています。そうしたなかで私をクリスチャン議員としてお声をかけてくださったのが、イエスさまですから、私は講演会組織を作らないで選挙活動をしたんですね。私の選挙対策委員長はイエスさまだと、それ以外は必要ないという信念で臨んだんですね。そのためにどうするかというと、みんなに顔を知ってもらわないといけないということで、常盤台の駅頭に立ちまして毎朝ご挨拶に立ちました。最初は演説もできませんからご挨拶をさせていただきまして、そのうちに町の人がいろいろなことを教えてくれるんです。南口だけに立っていないで今度は北口にも出たらいいよとか、挨拶だけじゃなくて何か言ったらいいよとか、いろいろみなさんからの声を聞いて、二度目の昭和62年の挑戦の時にはおかげさまで最下位ながら当選することができました。

次男が今日たまたま教会に来ておりまして、こないだ天城山荘の修養会にも参加しましたし、なんとか子供たちが教会にもどるのが私の願いです。彼も今試練の真っ最中で会社が倒産ではないけれども清算に入ったんですね。十二月までに清算ということで彼はその責任者です。わが家は今さまざまな試練を抱えているところです。長女も今少し病気でして、その娘がめぐみ幼稚園にお世話になり、息子も来年お世話になるんですが、これから入院するということで私も家内も臨戦態勢でおります。長男はアメリカから帰ってなんとか生活していますが、まだ息子ふたりが結婚していないのが神様に申し訳ない思いです。これもなんとか祈りながら道が開かれますように、また我とわが家はみな神様に仕える身ですから、みんなが信仰を大切にしていくのが私たちの願いです。

あまり長くなるといけないのでこのくらいにしますが、最後にひとつ。これが富山伝道所からの手紙で、伝道のきっかけになりました。日本バプテスト連盟から全日本にキリストの光をと掲げて、全国の各県庁所在地にということで始めて、富山と山形だけがその時点で、教会組織ができていなかったんですね。山形は、私たちの教会で副牧師をしていた人が山形に行ったということで教会員の理解が得られんたんですけれど、富山は、私たち常盤台教会とは何の関わりもないということで賛成してくれなかったんでしょう。それが教会組織を立ち上げるまでになりました。今、牧師は蓮根教会で協力牧師をしていたミン先生が赴任していると思います。韓国人特有の信仰と粘りでがんばっているようです。

というわけで、私の祈り願いはかなえられ実現されたと思っています。今、私の仕事はギデオンで各教会に行ってメッセージをして献金をいただいています。しかしまだこれで終わりではなくて、神さまはまだまだ私を使ってくださるだろうという思いがあります。そうは言っても年は年で、ひざの関節を痛めて、フルマラソンを百六回も走っていますから摩滅して、注射を打ちながらがんばっています。医者の先生との出会いも神さまの導きだと思っていますし、私は人生の中で後悔したこと、悔やんだことはないし、信仰に入ったあとなぜこんな信仰に入ったと考えたこともないし、いつも神さまから祝福をいただいている幸いな人間、おめでたい人間だと思って感謝しています。

〔分かち合い〕

◆山形伝道、富山伝道のフロンティアスピリットにみなさん感銘を受けました。
 願わくは、酒田伝道にもこうしたビジョンが与えられ、実現しますように。

◆最近信仰に迷いを持っていたが、話を聞いて励まされたという青年がいました。
 苦難や試練を通してもくじけずに、神の祝福を信じて歩んでいきたいものです。

◆政治や選挙活動を通じてクリスチャン議員として活躍してこられたように、
 私たちも日常の仕事や生活を通して信仰を証することの大切さを思いました。

【日本文学とキリスト教】
 今回は都合によりお休みさせていただきました。


投稿者 : ws 投稿日時: 2008-09-27 16:02:47 (1838 ヒット)

2008年9月7日 ウェルカム・サンデーより


  

T.T.さんの証し(壮年)


今日は「お証し」ということですが、私はクリスチャンの家庭に育ち、教会に通っていましたので、大きなメタノイア的な体験はありません。しいて言えば、私が神学校にいくようになった動機は、父が68歳になり寒い長野県の穂高の教会に牧師に招聘されて、それから74歳で日曜礼拝後倒れて、2ヵ月後亡くなりましたが、その生きざまを見て、神学校に行って学んでみようという気になり1987年に東京バプテスト神学校に入学し、1989年卒業しました。7年前に新宿に住むようになり、大久保バプテスト教会の会員になり、執事になって、神学校に再度行く気持ちになり、2007年に専攻科に入学しました。そんなわけで、最近パウロの弟子テモテは祖母ユニケ、母ルイスの3代目のクリスチャンと聖書にも書かれていますので、私も、信仰の継承について語ってみようと思いました。

そこで、父がなぜクリスチャンになったかお話しようと思います。

父は、昭和6年長野師範専攻科を卒業しまして、昭和6年9月から昭和8年2月まで17か月 短い期間ですが、塩崎尋常高等小学校に勤務しました。今の中学校に当たります。当時の社会は、世界恐慌による貧困が全国に広がり、農村は疲弊し、弁当を持ってこられない子や学用品を買えない子が多かった。そんな中で、父は給料の3分の1を本代に、3分の1を子どもたちのために、3分の1を生活にあてていました。ノートや鉛筆等を生徒に買って与えたりしました。自由主義教育をするため、本を読んだり、教員同士で勉強会をしていました。進歩的教員は軍国主義に反対していました。そのような、情熱のある教員でしたが。昭和8年2月4日 長野県の労働組合、教職員組合の600名が検挙され、教員は66校220名が捕えられました。これは2.4事件(教育赤化事件と言われています。)そして、治安維持法違反に問われて、2年の実刑を受けます。その時、使徒パウロのように、取り調べをうけます。ここから、父の残した原稿と長野県の教員であった、多羅沢一郎さんの書いた「身代わりの聖書」を引用します。


拷問行われる。――
私は仲間の名前を白状するよう迫られ、口を割らなかったため、2昼夜殴られ、靴で蹴飛ばされて、竹刀でたたかれて、体の3分の1が内出血して黒くなってしまった。わたしは意識を失いつい、3人の仲間の名前が出てしまった。約束を守れなかった私は弱い男だった。死んでも口を割らないと思っていたのに、いざとなると、人間は弱いものである。この時受けた心の傷は生涯忘れることができぬものになった。

田畑を売り裁判費用にする――
息子の転向(共産主義者・社会主義者が、弾圧によってその思想を放棄すること。)を願い、決死のお百度参り――病の母 倉科神社に行く。
昭和8年の晩秋、兄から手紙が来た。母は「私が転向しないと、一生、獄中から出ることができない」と、弁護士に言われて驚いてしまった。母は腎臓病が重かったが、それを押して、お百度参りを始めた。夕方になると、ひそかに抜け出して、5百メートルほど離れたお宮に行って、お百度を踏む。寒い冷たい土の上を裸足で、重たい体を引きずりながら、お百度を踏んでいる。医者が何といっても聞かない。死を決して、お前の転向を神に祈っている。このまま続けたら、母は死んでしまう。どうか転向してくれる気もちになってくれないかと書いてあった。

「心の伽藍」音立て崩れ――転向 
当然のことながら、私が転向を声明すると、それが新聞(長野新聞)に出た。弁護士は転向声明.が新聞に出たことを喜んで報告にきた。私はショックを受けた。一つひとつ、相手に利用され、弁護士と別れ独房に帰った私の心は真っ暗になってしまった。何とか支えられてきた心の伽藍が音を立てて崩れ落ちて行くのを感じた。自分は世界一下劣な奴だ。なんていうことをしてしまったのか。自分の人間性がたまらなく嫌になった。生きていく望みを失ってしまった。 

【動員令来る】
再度動員令が下り、長野師範時代4月の短期現役訓練を終えていたが、治安維持法で捕えられたため、出獄後再度、召集令がくる。松本50連隊遠山 登、後の陸軍中将の部隊に召集される、短期現役訓練でもらった伍長の階級が剥奪されて、2等兵で召集される。

「中国への出兵を前にしての慰問」 
中国の戦地に行くため、女の友人に会いたいと手紙を出した。友人からは、自分は事情で行けないので、先輩のAさんがおたずねするという返事の手紙があった。



1.聖書と十字架を持って

兵営での面会
動員の準備が終りに近づいた出兵を真近に迫った夏の日のことだった。Aさんは白の上衣に紺のズボン、白のパラソルという姿で面会に来た。
戦友が「面会だぞ」「お安くないぞ、彼女の御入来だぞ」
「ほお、Tに恋人の面会か!それは驚いた」皆に冷やかされ乍ら彼の心は躍った。
一体誰が面会に来たのか。自分に面会に来る女はないはずだが、高村女史の紹介のAさんではないかと思って呼び出しに来た戦友のあとをついて行った。

広い兵営の庭は何百、何千という面会人で一杯だった。母と子、妻と夫、父と子、兄弟、姉妹、皆不安そうな顔、皆顔を寄せ合って話して居る。そうした中に清楚な感じの女性が立って居た。入隊以来女性に接した事の無いTには眩しかった。
営庭の草の上に腰を下ろし暫く言葉もなかったが、Aは高村女史からT先生が色々悩みをお持ちの御様子ですからお訪ね下さる様にとの事で参りましたと来意を告げた。そして、「此の度は、御国の為にとは言い御苦労さまです。戦争って大変でしょう。何時生命が奪われるか知れない戦場で、誰を頼りに生きていったらよいか。私は助けて頂く方、頼れる唯一人の方を知っています。私は其の方をお伝えするために参りました。貴方と何時も一緒に居て下さる方の福音を伝えるために参りました。」
それから、Aは一心にキリストの福音を伝えて、最後に小さい銀の十字架とポケット型の新約聖書を贈った。

「主が十字架の上で私たちの罪を贖ってくださったように、此の十字架はTさんを守って下さるでしょう。」と、伝えるだけ伝えると風が去るように静かに去って行った。

Tは清いものに接した。不思議な清さと暖かさを感じた。そして十字架を左の手に握り、聖書をポケットの中に入れて心が暖かくなるのを覚えた。それは女から流れてくるものでは無かった。

夜になって、そっと聖書を出し革の表紙に手を触れた。そして、大陸の戦争を通して聖書は何時も其処にあった。十字架を出してみた。縦が3センチ横が2センチほどの十字架、それに丈夫な紐をつけて首にかけた。彼は出征中首から十字架を外さなかった。
聖書:詩編付のもの、胸のポケットに入る小さい聖書、詩編23編はすぐ暗記した。

出兵になり故郷の人たちに見送られて、汽車に乗り、大阪たどりついた。そして、大阪を出港、貨物船に乗船した、馬や大砲も一緒だった。しけで大変な玄界灘をとおった。東支那海に入ると海は静かだった。


従軍にて――
道傍に寝て空を仰いで左のポケットから聖書を出して読むのが習慣のようになった。ある時、何とはなしに開いてみると詩編91編

  千人はなんじの左に倒れ
   万人はなんじの右に倒る。
   されど災いは、なんじに近づくことなからん。


とあった。このみ言葉を信じた。
そして、腰に何十という神社のお守りがあった。それは、故郷の人たちから贈られたものだった。それをとって火の中に入れて焼いた。そして彼は自分の運命を十字架と聖書にかけようと思った。キリスト教がどうゆうものであるか何も判っているものでは無かった。唯十字架と聖書の背後にある清らかな不思議な御方に賭けてみようと思った。

2.身代わりの聖書

――地雷により負傷する――
工兵隊は鉄条網を爆破しました。同時に第4分隊が攻め込んだのです。迫撃砲が自分の顔に打ち込まれたように感じた時、大打撃をうけて、周囲が真っ赤になりました。大きな光があたり一面に充満して鮮血が飛び散った、と思ったら意識を失ってしまいました。地雷を爆破させてしまったのです。暫く気を失ったまま倒れてしまいました。何の感覚もなく耳も目も鼻も、口も喉もどす黒く焼けた土煙が覆いかぶさって火傷したようです。手からも、顔からも冷たい血が流れているのがわかりました。
M一等兵が「ひどくやられたな」と声をかけて来ました。耳の聴力は元通りではありません。「T――、しっかりしろよ、俺がついているからな」

T一等兵は手探りでM一等兵の手を握りながら「おい――H歩兵銃はどうなっているか」
「銃はメチャクチャに壊れているぞ」一等兵は気になっている軍服の左胸のポケットに入れておいた新約聖書を思い起こしこの時ばかりの声高に尋ねました。「おー、左胸のポケットの中にある聖書はどうなっているか」心配そうに聞きました。上半身はうつ伏せになっているので、直ぐに体を起こせません。M一等兵はしきりと体を起こそうと踏ん張りました。ようやく抱き起こしました。顎や首から鮮血が飛び散って左胸の軍服も血に染まっていました。
「T―聖書はある。けれど、地雷の破片がめり込んで、かなりひどい破損だぞ」
と、かなり大声なのにやっと聞こえたT一等兵は瞬間、頭のてっぺんから足の指先まで大量の電流が一気に流れたように感じました。
「聖書は破れたか・そうか聖書は破れたか。聖書がー聖書がー」そういって地にひれ伏した。そうか、聖書は破れて私は助かった。聖書は破れて、聖書は破れて、そう思う瞬間

「主は、わたしたちのために命を捨ててくださった。それによって、わたしたちは愛という事を知った。それによって、わたしたちもまた、兄弟のために命を捨てるべきである。」

ヨハネ第一の手紙3章16節のみ言葉が血潮が注がれるように全身に注がれてくるように感じた。涙がどっと流れ出し、顎の傷から流れ出る血潮と共に全身を染めて行った。

意識が遠くなっていく中で私の心は平安だった。
「聖書は破れて私は救われた。キリストが十字架につけられて私の為に、私の罪のために死んでくださった。私の罪は十字架につけられた。わたしの罪もまた十字架につけられた」と信じると、なんともいわれない平安に満たされた。
聖書が地雷の破片で破れて、私の心臓に突きささる筈であったものが聖書に突き刺さった。そのことがイエスの十字架上の贖罪の真理の体験をさせてくれた。

「聖書は破れて命あり」T一等兵は重傷を負いながらも、胸には銀の十字架をのせ、枕辺に聖書を置きキリストとともにあることを信じて静かに眠りにつきました。

やがて、戦地にAさんからの慰問袋が届き、戦地と内地への文通により、父は、軍隊を除隊後、Aさんに求婚し、Aさんは一人で中国の父のもとに行き青島の教会で結婚します。
そして、父は、中国から日本に引き揚げてから教会に通うようになり、キリスト教徒になり、牧師になりました。 父は母の伝道によって救われました。            

〔分かち合い〕

・T.T.さんのお父さんの息詰まるような素晴らしい証にみなさん聴き入っていました。

・戦時中、今よりずっと困難な時代に思想と信仰を守った先人達の生き方に感銘します。

・聖書によって命を守られたという奇跡に、キリストの贖罪の証を知り励まされました。

・お父さんの信仰を継承して神学校で学んでおいでのT.T.さんに祝福がありますように。

・私たちの信仰と命をイエス様が守り強めてくださいますように、お祈りいたします。


投稿者 : ws 投稿日時: 2008-08-18 21:07:48 (5396 ヒット)

俳人シリーズ第三回 平田栄一    

■作者について

・現在作句を続けているカトリックの方で、文壇的には無名に近いが、信仰のよくうかがわれる平易でわかりやすい句を書き、ネット上でも多く発表している。

・キリスト教の俳誌を同人と主宰したり、自他のキリスト教に係わる俳句を集めて解説した著作「俳句でキリスト教」(サンパウロ社)を書いたりしている。

・求道俳句でキリスト教に親しんでもらう活動のほか、井上洋治神父の日本人の風土に合った神学も紹介している。
 「心の琴線に触れるイエス」(聖母文庫)など

■作品

・つまずきの石取り去られ盆の道

・蝉しぐれ天に宝を積む如く

・末席の気安さが好き夏の宴

・希望というパン賜りぬ夏のミサ

・夏期講習マルタマリアと揺れ動く

・主のもとに駆け寄る夢や昼寝醒め

・夏の雲湧いては四方へ遣わされ

・ガダラの豚なだれ込みたる夏怒濤

・白秋の風に溶けたるイエスかな

・人類なら愛せそうです秋を行く

・十字架の高きを流る羊雲

・仰ぎ見る十字架優し敬老日


(お話:大田雅一兄)


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