< meta http-equiv="X-UA-Compatible" content="IE=Edge,chrome=1" /> 読み物・教会ダイアリー - 日本バプテスト連盟に所属するプロテスタント教会です
投稿者 : ws 投稿日時: 2007-08-19 21:20:00 (2140 ヒット)


9月のウェルカム・サンデーは休会となりました。

尚、9月に証しをお願いしていた太田織江さんには2008年1月にしていただくことになりました。


投稿者 : hayashi 投稿日時: 2007-08-12 21:05:00 (3082 ヒット)

ウェルカム・サンデー7月1日の報告




【証し】S.S.さん(女性会)


先月の水曜礼拝で蓮根教会の副牧師のミン先生が讃美とメッセージをしてくださいましたが、

 「わたしの目にあなたは価高く、貴く、わたしはあなたを愛している。
  恐れるな、わたしはあなたとともにいる」(イザヤ書43:1−5)


の箇所をもとに、「あなたの名前を呼ぶ」という本当に心に沁みるメッセージと素晴らしい讃美をして下さいました。讃美を聞いているうちにバプテスマを受けてからこれまでの、いろいろなことが思い起こされてきて、胸がいっぱいになり、涙が溢れてきてしまいました。他の方達も泣いていましたが……
今こうして神様の御手の内に生かされている幸せ、讃美で導かれ、讃美の御奉仕によって多くの恵みをいただいてきたこと。また悲しくつらかったこともありました。身近な者との早すぎる別れ、この季節になると思い出す息子の難病との戦いの日々、そしてそんなときいつも祈ってくださり支えてくださった方々のこと、などいろいろな思いが去来したのです。
ごく身近な者もそうでない者も、名前で呼ぶこと、呼ばれることの大切さを語られた「あなたの名前を呼ぶ」というメッセージを聴いていて28年前のことが、つい昨日のように思い起こされました。

私は先々週の日曜日、6月17日がバプテスマ記念日でした。29年前、息子がめぐみ幼稚園に入園して一年後のことでしたので、それから28年が経ってしまいました。息子はベビーブームの頂点の年に生まれましたので、当時のめぐみ幼稚園も大入り満員状態で、一学年に3クラスがあり全体で200名位の園児がいたと思います。今と比べたら随分、人口密度というか園児密度が高く、園舎が今よりとても狭く感じました。

受け持ちの先生は堂前先生でした。息子が「堂前先生ってね、いつもニコニコしてるんだよ」と言っていたのを思い出しますが、今とちっとも変わらずやさしく穏やかな先生でした。今主任をしている加藤八重実さんや理事の岡村信子さんは、先生になりたてのほやほやでとても初々しくいつも大勢の子ども達に囲まれていました。

めぐみ幼稚園を選んだのは特別キリスト教教育に関心があったわけではなく、息子の入園にあたって、近隣の幼稚園を見学していてちょっと失望していた時に、めぐみ幼稚園にたどりつき、園庭で遊んでいる子ども達の様子が、とてものびのびとしていて自由そうだったことと、先生たちがとても自然体に見えたというそれだけのことだったと思います。その直感と決断は、わが人生の中でも一番の「当たり」だったと今でも思っています。今こうしているのもあの時の決断のおかげなのです。

私は息子の入園でしばし子育てから解放された喜びと共に、ドイツ留学から帰国されたばかりの、岩坂憲和先生が指導してくださっていた母親のためのコーラス……今のグレース・アンサンブルの前身ですが、まだ名前はついていませんでした。そのコーラスに入れていただき、それまで出会ったことのなかった聖歌の美しいメロディーとハーモニーにすっかり魅了されコーラスに夢中になっていました。それまでの家庭に埋没していた生活から、コーラスがある水曜日が生活の中心のようになり、まるで学生時代に戻ったような、青春時代が舞い戻ってきたような気分で日々を過ごしていました。

コーラスのあと行われる水曜礼拝は、とても良いお話が聞ける時として大切には思っておりましたが、その時の私にとってはそれ以上ではありませんでした。また聖歌も歌詞の意味を深く知ろうとすることもせず、メロディーとハーモニーに酔いしれて歌っておりました。しかし、そんな私でも毎週欠かさず水曜礼拝に出席し、松村牧師や岩坂先生から聖書のお話、とくにイエス様の御言葉の数々をお聞きしているうちに、思春期から私の心の奥底に根を張っていて、時どき頭をもたげては私を苦しめ自己嫌悪に陥らせていた「罪の意識」のようなものの解決が、もしかしたらここにあるのかもしれないと思うようになってきたのです。
 「私の目にはあなたは高価で貴い」「ありのままのあなたを愛する」……そのようなメッセージが次第に心に響いてきて、聖歌や賛美歌の歌詞の内容も心に迫ってくるようになってきました。

そんな時でした、特別伝道集会というものがあるということで、土曜日の夜だったと思いますが古い会堂の時でしたが、ちょっと覗いてみようと思い途中からこっそり入ってみました。ところがアメリカ人の宣教師の先生のお話は、私が求めていたものとは違い、なんだかとても直接的で押し付けがましく感じてしまい、その場の雰囲気にもなじめず逃げるように帰ってきてしまったことがありました。求めてはいるもののなかなか出会えないという日々を過ごしていました。

当時の私は水曜礼拝には熱心に出席していたものの、日曜日に教会に行くという思いはなく、子どもを教会学校にも通わせてもいませんでした。日曜日は寝坊できる日と決めこんでいました。でも、ある日急に、子どもを教会学校に連れて行こう! 私も早朝礼拝に出席してみようと思い立ったのです。子どもはまだ親の言いなりでしたから、その日の日曜日は朝早く起こし、自転車の後ろに乗せて一緒に教会に向かったのです。水曜日とは趣の違う幼稚園におずおずと入ろうとしましたら、当時幼稚園の主任をされていた原田英子先生が玄関口に立っておられたのですが、私を見るとすぐ駆け寄ってこられて、満面の笑みをたたえながら「Sさん、お待ちしてました!!」といって、私の肩に手をおかれて抱くようにされたのです。私は一瞬戸惑ってしまったのですが、原田先生が余りにも全身で喜びをあらわし、優しく迎えてくださったので、私もうれしくなりとても感動してしまいました。多分、原田先生は初めて来た人には皆こうして迎えていらしたんだと思うのですが、私には先生が私の心の思いを察知されていて、ずーっと待っていてくださったんじゃないかしらと素直に思えたのです。そしてその時を境に家庭集会や聖書の学び、そして主日礼拝にも出席するようになりました。そして信仰をもって賛美歌や聖歌を歌いたいという思いと、自分の居場所はここにあるのでないか、委ねてみようという思いとで、決心してバプテスマを受けました。

それから28年の歩みを続けてまいりました。

今、つくづく思いますのは、これまでは本当に祈ることの足りないものでしたが、人生のゴールに向かってのこれからの日々、なるべく多くの方のお名前を呼んで祈れるようになりたいということです。
祈る幸せ、祈られる幸せをこれからも大事にしていきたいと思っています。


〔分かち合い〕
◆相手の名前を覚えて呼びかけること、名前で祈ることの大切さを知りました。
◆幼稚園のある恵み、歌い讃美することの喜びをあらためて感じました。
◆それぞれの導かれたいきさつを紹介し合って、神様の導きを感じました。
◆迷える求道者おふたりの悩みを聞いて分かち合い、解決をお祈りしました。



  :niko:   :gus:   :ganb:  :fuki:   :wink:   :peace:  :bye:


投稿者 : ota 投稿日時: 2007-07-29 00:20:55 (3526 ヒット)

壮年会誌「シャローム」第22号(2007.7.1)より

【証し】神学校週間のあかし     大田 雅一 (2007.6.24.主日礼拝)

 壮年会の大田と申します。神学生といっても、四十のおじさんですが。
 この4月から、東京バプテスト神学校に聴講生として通っております。

 週二回、火曜日のギリシャ語と、木曜日の新約聖書概論を学んでいます。
 きっかけとしては、山浦玄嗣先生の特別伝道集会での講演を聴いて、新約聖書をぜひ原語のギリシャ語で読みたいと思ったことです。ギリシャ語の講師は今年から、渋谷バプテスト教会の牧師夫人の渡辺恵理子先生が担当されています。渋谷教会のみなさんには、先週ここで伝道講座をしていただきましたね。
 どうせ通うならついでにもう一科目聞こうと思って、新約聖書概論もとりました。こちらの講師も今年から変わり、大泉バプテスト教会の松村誠一先生が担当されています。松村先生は、ときわ台教会の初代牧師のご子息で、先日うちでも説教をしてくださいました。これも何かのご縁かなと思っております。

 さて、通い始めてみてわかったのは、この東京バプテスト神学校が、たいへん恵まれた環境にある学校だということです。
まず、場所がいい。校舎は、茗荷谷教会の二階にあります。茗荷谷教会は、本日お話いただいた朴思郁先生のお勤めされる教会ですが、池袋から地下鉄で二駅の茗荷谷駅から徒歩一分、ほんとに目の前にあります。常盤台からなら、二十五分で行けます。
 また、時間がいい。夜間で、平日の夕方6時半からというのが便利です。普通のサラリーマンでも、勤めが終わってから通える時間です。受講生の多くは昼間の仕事のあと、それぞれの職場から集ってきます。おにぎりやサンドイッチを食べながら。
 つくばからつくばエキスプレスで通ってくるおばさまがいます。飯能から特急で通ってくるおじさまもいます。この東京の真ん中に夜のともし火のようにある学校を目指して、首都圏の各地から集まってきます。通えない方のために、通信制度もあります。
 それにしても、みなさんほんとに熱心で、遅刻も欠席もしません。私は高校で教員をしているのですが、高校生に比べて、社会人のみなさんは忙しいのにがんばっています。やはり、聖書を学ぼうという目的意識が明確だからでしょう。
 そして、値段が安い。これこそ、みなさまの献金のおかげです。一講座が、週一回半年で二万円ちょっとです。普通の語学教室などと比べたら、半額でしょうか、ずいぶん安いですね。教室の維持費や人件費はずいぶんかかっているはずですが。
 この常盤台教会を初め、北関東3連合など多くの教会のみなさまの献金に神学校は支えられています。働きながら学ぶ学生たちのために、これからもよろしくお願いいたします。

 私は、この神学校があることを、私たちバプテスト教会の誇りに思います。おそらく、どこの神学校よりも、東京バプテスト神学校は、開かれた神学校だと思います。校長の北島靖士先生は「カルチャースクールの感覚で学べる神学校だ」と言っています。
 サラリーマンでも主婦でも、街のおばさんおじさんでも学べる神学校。しかし、内容的にはずいぶん深いことを学んでいます。そして、この神学校は、多くの卒業生を出し、献身者を生んでいます。前にうちの教会にいらした藤井秀一先生もそのお一人です。
 夏休みにはいつも夏期講座が開かれるのですが、今年は藤井先生が卒業生として参加され、酒田伝道所の報告をしてくださる予定で、今から楽しみにしています。八月の最初で2泊3日、一般の方の参加もできますので、みなさんもぜひどうぞ。
 (8月6〜8日 多摩センターの宿舎で開催/詳しくは神学校まで)

 さて、私が学び始めて3か月、まだまだ未熟ですが、毎回いろいろ新しい発見があって、楽しく過ごしています。今日はその学んだことの中からひとつだけご紹介して、みなさんとお分かち合いしたいと思います。

 毎月初めに、教会では「主の晩餐式」を行いますね。
 その時に読まれる聖句は、コリント人への第一の手紙のみ言葉です。みなさんよくご存知でしょうが、一度お読みします。11章の23節からです。新共同訳314ページ。

 主イエスは、引き渡される夜、パンを取り、感謝の祈りをささげてそれを裂き、「これは、あなたがたのためのわたしの体である。わたしの記念として、このように行いなさい」と言われました。
 また、食事の後で、杯も同じようにして、「この杯は、わたしの血によって立てられる新しい契約である。飲む度に、わたしの記念として、このように行いなさい」と言われました。

 新約聖書概論では、それぞれの担当者がレポート発表するのですが、私の担当がこのコリント人への手紙でした。
 ところで、この訳のうち、わたしの「記念として」行いなさい、という「記念」という意味が、今ひとつ私にはぴんとこないというか、よく理解できていませんでした。
 今読んだのは新共同訳ですが、文語訳も口語訳も、ここはみな「記念」となっています。(※ 新改訳は「私を覚えて」となっていますが)
 ところが、松村誠一先生は、このように解説されたのです。

 この「記念」という言葉は、元のギリシャ語では、「 αναμνησιs アナムネーシス anamnesis 想起」という言葉になっています。「想い起こす」「思い出す」という意味です。
 つまり、主イエスのことを「思い出す」ために私たちは、パンとぶどうをいただくということです。とてもわかりやすい訳だと思います。

 そして、松村先生は、私たち受講生に、この角川文庫版の「新約聖書」をくださいました。
 これは、先生のお母様の、松村あき子夫人が訳されたものです。
 この本では「記念」ではなく、「思い出す」と訳されています。
 では、その箇所を、お読みしましょう。
 なお、この訳では、イエスさまは私たちに対して「きみたち」と、親しく呼びかけてくださっています。

  主イエスは、売り渡されるその晩に、パンを取り、神に感謝してこれを裂き、「これはきみたちのために与える私の体である。私を思い出すために、このとおり行なうがよい」とおっしゃった。
  食事のあと、同じように杯を持って、「これは 神ときみたちとのあいだに新しい契約が結ばれるよう、私が流す血だ。これを飲むたびに 私を思い出しなさい」とおっしゃった。

 なんと、やさしい訳ではありませんか。イエスさまが、すぐそこにいらして、私たちとともに食事をされている姿が、ありありと思い出されるような気がします。
 イエスさまを思い出すために、日夜、聖書の学びを続けている神学生たちのために、みなさまのご支援を、これからもよろしくお願いいたします。  :b: :haha:


投稿者 : ota 投稿日時: 2007-07-06 09:54:53 (2687 ヒット)

壮年会誌「シャローム」第22号(2007.5.27)より

    イエス・キリストについての証し

  この方は、水と血を通って来られた方、
  イエス・キリストです。
  水だけではなく、水と血によって来られたのです。
  そして、猯遶瓩呂海里海箸鮠擇靴垢詈です。
  猯遶瓩録人だからです。
  証しするのは三者で、猯遶瓩反紊鳩譴任后
  この三者は一致しています。
             ヨハネの手紙一 5:6〜8

【1月の証し】三位一体の神    大田 雅一 (2007.1.14)

 年の初めに、キリスト教の基本である三位一体について、自分の証しをも交えて、お話ししたいと思います。この「三位一体」は、難しいとか、よくわからないということを、キリスト教の信者でない方から、よくお聞きします。
 実は、そういう私自身、クリスチャンでないうちはそうでしたし、正直言いますと、バプテスマを受けてからも、時々、よくわからなくなったり、あるいは、少し疑ってしまったことすら、ありました。

 それは、どうしても、頭で、人間の理屈で、狭い智恵で、考えてしまうと、納得がいかなくなってしまうことがあるからでしょう。
 父と子と聖霊、三つのものが、三つでありながら、一つである。
 1+1+1が、3でなくて、1になる。
 単純に考えると、おかしいと思われるかもしれません。


投稿者 : hayashi 投稿日時: 2007-05-21 09:31:50 (2699 ヒット)

証し「切実に生きる」   Y.O.(女性会)


心を尽くして主に信頼せよ  
自分の知識に頼ってはならない  
すべての道で主を認めよ  
そうすれば主はあなたの道を  
まっすぐにされる。 
 (箴言3:5〜6 ) 

この句は、1997年に常盤台教会会員の方々がハワイへ伝道旅行をなさった際に、 渡辺牧人牧師が、しおりにご自身のライフ・ヴァースとして書かれたものです。  
今日、私は
1)最近のオリベット・バプテスト教会の方々のこと  
2)科学と宗教の関わり  
3)切実に生きる 等を中心に、私の短いハワイ滞在生活から学んだことをお話させて頂きたく存じます。

1)歓迎の心溢れる人々
 丁度今から十年前に行われました常盤台教会伝道チームによるこの旅行は、その各ペ ージのご感想文から、神の恵みと讃美にあふれた旅だったこと、また当時の渡辺邦博牧 師ご夫妻を始め、会員の方々の温かいご歓迎振りが伝わってまいります。その年から1 0年後のオリベット教会では、渡辺牧人ご夫妻を中心に、日本語部では60名余りの会 員の方々が日曜礼拝に出席され、変わらぬ厚い友情の念を体いっぱいで訪問者に表して 下さいます。  
  会員の方々の活動は、主日礼拝、教会学校、聖書研究祈祷会、聖歌隊練習、婦人会活 動、クリスチャンフラダンス練習、アウトリーチ活動(毎週木曜日に行われるバプテス ト学生センターでのランチサービス)等、積極的に行われております。
  またローカルテ レビチャンネルのKIKUテレビでは、毎月曜の朝に30分間ニューライフラインの放 映があり、宗教番組専用の局もあるローカルラジオでは日本語の宗教番組が定期的に放 送されるのですが、渡辺牧人先生はどちらにも頻繁にご出演なさって、その熱い伝道活 動を続けておられます。

2)科学と宗教の接点  
 このテーマを追求するチャンスを頂いたのは、そのKIKUテレビで今年の3月5日 に放映された、とあるインタビュー番組でした。その日のゲストである名取通弘氏は、 宇宙航空研究開発機構(JAXA)にて「展開モジューラ機構」を研究しておられる教 授で、日本のロケット打ち上げにも貢献されておられるほどに、宇宙材料工学にご造詣 の深い方。
  その日の番組では、「宇宙に神の創造の技を見る」という内容のお証をなさ りました。お話は、教授ご自身の受験勉強との闘いに関してから始まり、大学で聖書に 出逢われたこと、そしてご専門の物理学へと続きます。トンボなどの昆虫の、体の屈折 や羽の拡張の様子を折り紙で表現なさりながら、「小さい昆虫の余りに巧妙な体の仕組 みに感動し、深遠な天体宇宙から眺められる地球、ましてや人間の極小さについて、そ れまでの考えを一新させられ、よって科学の力の限界と創造主の存在を直感するに至っ た」と語られました。  
 番組を拝見して、科学と宗教の接点に興味を抱いた私は、ハワイから帰国後、名取氏 以外の方がお書きになった文献に関しても調べてみることにしました。  
 田中角栄研究や脳の解説書など他分野の研究でも知られる立花隆氏は、「21世紀の 今日、遺伝子の分析活発化に伴い、従来の高等生物への進化論(原核生物から真核生物 へと高等化する進化)は訂正され、細菌類のゲノム解読から好熱菌がヒトの直接祖先と する説や、海水の熱水噴出孔周辺で最初の生物が誕生したという説が存在している」と 前置きした上で、「深刻化する環境問題の中で、ヒトはその知識を総動員して、世界の 良き世話役になるべきである。
  そして人間の活動範囲は百年、千年単位の未来には、太 陽系外宇宙にまで拡大するであろう」と述べています。これはプリンストン大学のL・ シルバー教授の「神の領域は存在しない」という考え方に同調していると見られています。
 しかし一方で、その説に異を唱えているのが、「人間に未来はあるのか」と生命操作 の近代科学に警告するG・R・テイラー氏や、「遺伝子問題から宇宙論に至るまで立花 氏には賛成できない」と反論する佐藤進氏、更には科学と宗教問題が専門の科学者ジョ ン・ポーキングホーン氏です。  
  まず佐藤進教授は、DNAの発見者であるクリックの言葉を引用しながら、次のよう に指摘しています。 「全生物の系統図は、立花氏が描くものほど単純ではない。古細胞、真性原核細菌と 真核細胞の間には、実に20億年という歳月の隔たりがある。その間の発展過程は未だ 不明で、様々な説は単なる憶測に過ぎない。そもそも宇宙の生成確率にしても10の1 23乗分の1という天文学的数値なのだから、その極小の確率の中で起こる事象などは 正に奇跡のようなものだ。同様に、生命体の構成にしても、自己組織現象は未だ不明で ある。数十億年の進化を経た確率はそれこそ10の1000乗分の1であり、生命の発 生は奇跡そのものである」  
 またジョン・ポーキングホーン氏は次のように述べています。  「複雑で豊かな現代社会の中で真の理解を追究した時、人間には宗教と科学双方の助 けが必要となる。神を信じることで人の精神が照らされ、一方でその知識から得た真実 に応答することを、神より求められる。図式でお示しにならない神は「無限」だが、パ レスチナに於いて紀元1世紀に生まれたイエスは「有限」の存在である人という歴史。 我々は、そこから事実を受け入れるべきである。そうすれば、宗教と科学は闘争の関係 で無く、「真実の追究」という同じ目的を持つ兄弟姉妹のような関係に位置することが 理解できるだろう。この世に存在する苦悩や悪は、神の側の弱点、過誤、無関心によっ て生まれるものではなく、神の創造に不可欠な要素として存在する。言い換えると、こ の宇宙にまだ発展の余地が残されていることを意味するのだ。神は傍観者ではなく、苦 悩に参加し、理解しようとなさる。キリストの十字架の意味もそこにあり、苦悩の最も 深いレベルで人間に対して答えておられる。困難を伴う信仰への決定は、経験を通して 与えられるものなのである」  
 冒頭の名取教授のインタビューをきっかけに、このような方々の言葉に触れることに よって、私はこれまでの聖書解釈の不確かな部分を鮮明にして頂きました。私の祈りに 対する神のお答えに感謝するばかりです。

3)切実に生きる
 「よく生きるのでなければ意味が無い」とはソクラテスの言葉です。しかしこの「よ く生きるとは何か」に関しては、哲学的にも文学的にも解釈していません。  
  日野原重明先生は「イエスの十字架と復活による赦しを感じ受け入れることにより、 我々は生き返るという信仰を持つことが出来る。しかし、切実な生き方を求めない限り 、信仰の入り口から奥へは進めない」と説かれ、更に以下のようなゴットホルド・ベッ ク宣教師の言葉を紹介しておられます。  「死の恐怖や不安と無関係な安らかな死というものは、人間によって得られるもので はありません。神の前に罪を悔い、イエスを受け入れることによってもたらされるもの だからです。死とは終わりではなく、キリストと共に居られる最高の幸せの始まりであ ります」  
 また、米国のオスラー教授やキリスト教思想家のヒルティは次のように述べています 。  「忍耐によって、人間は真に人間らしく生きることが出来る。何故なら、病気などの 苦難や試練に遭うと、それについて考え、そして祈り、その結果その意味が分かるよう になるからである。試練は厳しいが、神の恵みであると知れば耐えることができるであ ろう。神の恵みは目では見えないだけだから、希望を持ちなさい。忍耐によって神の国 に列することが出来るという信仰を持ちなさい。その信仰は、周囲の人々の支えや友情 が加わることによって、一層強まるであろう。教会は善人の集まりではなく、傷ついた 者も喜びあふれる者も、主を仰ぎ慰めを得る場所である。希望を持ち、礼拝に加わる経 験を重ねることによって信仰を深めるべきである」  
 さて、神の恵みは見えませんが、用意して下さっていた恵みに気付くこともあります 。私たちがハワイに滞在していた間の、神からの最大の贈り物は、オリベット教会の方 々の温かいおもてなしの心。更には、今は亡き民家正純牧師が続けて下さった私の主人 のためのお祈りにより、ハワイで主人は自ら進んで、週に2度も教会に通うようになっ たことです。彼はまだ信仰への門の入り口に近付いてはおりませんが、時を待って門に 入れるよう、お祈りしております。  
 そのハワイのオリベット教会では、献身的な看護をなさっておられる姉妹や、厳しい 試練の中で闘病をされながら主を見上げて信仰生活をしておられる兄弟姉妹と出逢いま した。私たちには、未だ多くの試練が残されております。常盤台教会とオリベット教会 の方々のお支えを、神の恵みとして感謝しながら、深い生き方、そしてみことばに強め られた生き方が出来るようにと願って止みません。  最後になりますが、詩の一部を紹介させて頂き、私の話を終わります。   

 【最上のわざ】
この世での最上の仕事は、何であろうか。 ……  

人のために働くよりも、素直に人の世話になり
弱って、もはや人のために役立たなくても  
親切で柔和でありたい。  
老いの重荷は神の賜物、  
古びた心に自分で最後の磨きをかける。 ……  

そして何もできなくなれば、  
それを謙虚に受け入れよう。  
神は最後にもっともよい仕事を残して下さる。  
それは祈りだ。 ……

愛するすべての人に、神の恵みを願うために。 ……     
      (H・ホイヴェルス神父の祈りより)

∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ 

〔分かち合い〕
★渡辺牧人牧師のお働きについて、常盤台時代・ハワイ時代について、ご存じの方やそ うでない方を含めて、いろいろなお話が出ていました。

★ハワイ伝道の時のパンフレットの感想文集、また現在のハワイの写真などを見て、お 話が楽しく盛り上がっていました。

★科学と宗教の調和、科学で解明できないことのあること、万物を創造された主なる神 の存在を信じることについて、深遠なお話が交わされました。

★恵みを知り試練に耐えること、賜物として老いを受け入れること、人のために祈るこ と、切実に生きることなど、意義深いお話でした。


【 日本文学とキリスト教  歌人シリーズ第2回 北原白秋】大田先生     

【取り上げた詩歌】

歌集『菜の花』より 哀傷篇ほか 23首
歌集『雲母集』より 薔薇静観・種蒔 8首
詩集『白金の独楽』より 薔薇二曲 罪人 他ト我
歌集『雀の卵』より アッシジの聖の歌 雀の宿4首
歌集『海阪』より トラピスト修道院の夏 41首

 【作者について】

*北原白秋は詩人シリーズで取り上げたが今回は歌集を中心に詠んだ。

*初期の歌集『桐の花』で有名になるが、ここには人妻との道ならぬ恋で夫から訴えら れた事件が反映していて、強い罪の意識が詠まれている。

*自らを罪人と思う時に、人は赦しの神、愛の神を求めていく。『雲母集』『白金の独 楽』は白秋が内面的に最も神に近かった時期だとうかがえる。

*深い自然観賞、内面探求は『雀の卵』に受け継がれていくが、3度目の結婚で生活が 安定して、次第にまたキリスト教的な神からは遠ざかる。

*しかしキリスト教は題材としては歌われ続け、特に『海阪』のトラピスト修道院を訪 れた時の連作は傑作であり、内面的な傾倒も見られる。

∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞

・嘆けとていまはた目白僧園の夕の鐘も鳴りいでにけむ

・鐸鳴らす路加(ルカ)病院の遅ざくら春もいましかをはりなるらむ

・罪びとは罪びとゆゑになほいとしかなしいぢらしあきらめられず

・薔薇の木に薔薇の花咲くあなかしこ何の不思議もないけれどなも

・虔ましきミレエが画に似る夕あかり種蒔そろうて身をかがめたり

・白薔薇ふふむは紅し修道士のひとりは前を歩みゐにけり

・聖堂のステンドグラス午ちかしをさなかるかもこの基督は

・弥撒(ミサ)過ぎぬ修道院裏は毛の紅きたうもろこしの一面の風

・月出でて明るき宵や修道士たち今は帰り来木のフォクもちて

・こよなくも聖体盒のにほふなり何か美しくわれが泣かゆも

・空晴れて鐘の音美し苜蓿(つめくさ)の受胎の真昼近づきにけり

∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞  


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