< meta http-equiv="X-UA-Compatible" content="IE=Edge,chrome=1" /> 読み物・教会ダイアリー - 日本バプテスト連盟に所属するプロテスタント教会です
投稿者 : ws 投稿日時: 2011-02-24 12:34:23 (2574 ヒット)



詩人シリーズ 湯浅半月「十二の石塚」



2011年1月のウェルカム・サンデーの報告です。

 明治15年に日本で初めての詩集「新体詩抄」が発表された。
そのわずか三年後の明治18年に、湯浅半月(本名吉郎)は同志社英学校神学科の卒業式の席上、全編688行からなる一大長編叙事詩「十二の石塚」を本人が朗読して発表した。
並み居る参加者はこの卒業作品に一様に驚き、感銘したという。

 落合直文が「孝女白菊の歌」を発表したのはこの三年後、また北村透谷が「楚囚之詩」を発表したのは更にその一年後のことであった。
 島崎藤村が日本近代詩の幕開けとなったといわれる「若菜集」を発表したのがこの12年後の明治30年であることを思えば、半月の詩作がいかに先駆的な意味を持つかが理解できよう。
(五回までありますが、一部を紹介します)
 ――――――――――――――――――――――――――――――――――
    一回  緒言・荒野

  和歌の浦の磯崎こゆる  しら浪のしらぬむかしを
    松陰の真砂にふして   もとむともかひやなからん 玉津島姫
  久方の天つみそのに    むれ遊ぶ聖霊の鳩の
    錦翼にのらしめたまへ   我神よいざ行きてみむ  ユダヤの国原
  岩はしるヨルダン川の   柳かけ高かや隠れ
    風立ててさざなみ涼し  千尋の青淵
  朝日さすエリコの城の   高楼もうづもるばかり
    椰子の葉のしげるも深し  七里の白壁
  千早ぶる神の記念と     ギルガルの岡べにさける
    百合花の立てるも高し   十二の石塚
       (以下略)

 和歌浦の砂浜に伏せて昔のことを偲んでも甲斐ないことだ。空に飛ぶ鳩の翼に乗って、玉津島姫よ、ユダヤの国に行きたいものだ。

 その国の、ヨルダン川の柳の陰にある家は涼しく、エリコ城の周囲には椰子が茂り、ギルガルの岡には百合の花に囲まれて十二の石塚が立っている。
 池の畔の涼しさを求めて母子が休んでいる。十二の石塚を指して「これは何か」と問う子供に、母親はほほえみながら話し始めた。

「アブラハム、イサク、ヤコブの昔からイスラエル人は住み慣れた土地を離れて、エジプトでエジプト人の奴隷になって暮らしていました。モーゼは神の導きでエジプトを逃れ、カナンの地を目指して四十年も苦しい荒れ野の旅を続けました。」

――――――――――――――――――――――――――――――――――

     二回  古塚

   なつかしきカナンの国の  山のすえ水の行くえを
    はるばるとうちながむれば  帰り来て敵の本城も
  その路もしられにけりな  唐錦旌旗ひるがへし
     雲なして槍と槍とは  朝日さす林のごとく
  くろがねの楯と楯とは  岩垣のかたくつらねて
     武士のますら武男は  大将ヨシュアのあとに
  したがいて水際に下がる  おりしもあれ百雷の
     落つるごときひびきし滝の 音もたえ千尋の淵の
  底みえてひだりみぎに   しらなみの立分れ川に
      一筋の道ぞいで来ぬ
      (以下略)

 「ヨシュアに率いられたイスラエル軍は、懐かしいカナンの国を目前にしてヨルダン川にさしかかりました。ヨシュアが進むと滝のように音を立てて流れていた川の水が右左にかれ、一筋の道が現れたのです。このようにしてユダヤ軍は戦ってカナンの地を得たのですが、その記念に十二の部族から選ばれた人たちの立てた石塚がこれなのです。……」
「花と詩と音楽とTAD http://homepage3.nifty.com/TAD/index.htm より
 ――――――――――――――――――――――――――――――――――
ヨシュア記 4章 1〜9節 ◆ 記念の十二の石

民がすべてヨルダン川を渡り終わったとき、主はヨシュアに言われた。
「民の中から部族ごとに一人ずつ、計十二人を選び出し、彼らに命じて、ヨルダン川の真ん中の、祭司たちが足を置いた場所から、石を十二個拾わせ、それを携えて行き、今夜野営する場所に据えさせなさい。」
ヨシュアはイスラエルの各部族から一人ずつ、かねて決めておいた十二人を呼び寄せて、言った。
「ヨルダン川の真ん中の、あなたたちの神、主の箱の前に行き、イスラエルの人々の部族の数に合わせて、石を一つずつ肩に担いで来い。
それはあなたたちの間でしるしとなるであろう。後日、あなたたちの子供が、これらの石は何を意味するのですかと尋ねるときには、こう答えなさい。
『ヨルダン川の流れは、主の契約の箱の前でせき止められた。箱がヨルダン川を渡るとき、ヨルダン川の流れはせき止められた。これらの石は、永久にイスラエルの人々の記念となる』と。」
イスラエルの人々はヨシュアの命じたとおりにした。主がヨシュアに告げられたように、イスラエルの人々の部族の数に合わせて、十二の石をヨルダン川の真ん中から拾い、それらを携えて行き、野営する場所に据えた。
ヨシュアはまた、契約の箱を担いだ祭司たちが川の真ん中で足をとどめた跡に十二の石を立てたが、それは今日までそこにある。



【解説】                     
  お正月らしく、古雅な文語調の詩をみなさんとお読みしました。

◎「長歌」という形式
 日本には伝統的に「短歌」に対して「長歌」という形式がありました。
 「五・七/五・七/五・七/五・七……」と好きなだけ続けていき、最後を「五・七・七」と結ぶ。繰り返しが一度で終わるのが「五・七/五・七・七」の「短歌」でした。ところがその後、この短い歌がポピュラーとなり、「和歌」といえば「短歌」を指すようになりました。「長歌」は万葉集時代には盛んに読まれたのに、その後は廃れます。中世の「連歌」と近世の「発句〈俳句〉」の関係もそうで、日本人はどうも短い詩が好みのようです。

◎「新体詩」の試み
 「長歌」はイーリアスや長恨歌のように、雄大な叙事詩として歴史的な事件など豊かな内容を詠み込むことができます。明治の近代化の中で、西洋の詩を取り入れて「新体詩」という新しい詩を創ろうとした試みがありました。
今までみなさんと読んできたクリスチャン詩人の中でも、島崎藤村の「若菜集」「落梅集」などの諸作、北村透谷の長編「蓬莱曲」など佳作も創られたのですが、結局、主流とはなりえず廃れてしまったのが残念です。

◎旧約の物語性
旧約聖書は物語性に満ちています。今年度の聖書クラスではこの「物語」ということをテーマに読み続けています。これは新約の福音書や使徒行伝についても言えることですが、福音を単なる無味乾燥な神学や金科玉条の律法としてではなく、人々がどのように生きたか、その喜怒哀楽の物語を通じて、私たちも生き方を具体的に、血の通った教えとして学ぶことは大切です。
 だから、物語を長詩の形で取り入れていくことは大きな可能性を持つのです。「十二の石塚」は旧約の「ヨシュア記」「士師記」に基づいています。

◎信仰の継承
 では、私たちはこの物語から何を学ぶべきでしょうか。
 旧約はイスラエル民族の物語です。そこには周辺の諸民族との戦いの歴史も描かれています。ここを現在のイスラエルとパレスチナ諸国の争いに重ねてゆくような読み方がされています。しかしそのような読み方では、私たちはつまずきかねないのではないでしょうか。
 この「十二の石塚」から学ぶことは、〈信仰の継承〉ということです。
 「お母さん、この石はどういう意味なの」「ぼうや、それはね……」
神さまの恵みを、そのように親から子へ、そして孫へと伝えてゆくこと。
 ちょうど、今回のウェルカム・サンデーの参加者の中に、母・娘・孫の三代のご家族がいらっしゃいました。
 私たちも、信仰を次の世代へと伝え続けてゆきましょう。

                           
                           お話と文責:大田雅一兄


投稿者 : ws 投稿日時: 2010-07-01 22:20:37 (2793 ヒット)



小説家シリーズ第七回 芥川龍之介(3)「西方の人」「続西方の人」



5月のウェルカム・サンデーの報告です。

「西方の人」「続西方の人」は、芥川の最後の作品となります。
四つの福音書をよく読み込んで、自分なりの解釈と感想を示しています。
警句集としてシニカルな視点が強調されますけれど、実はそのひとつひとつをよく読んでいくと、死ぬ直前の晩年の芥川がいかに聖書のイエスにひかれていたかがわかります。
長いので、抜粋で少し読んでみます。


1 この人を見よ
 ……わたしはやつとこの頃になつて四人の伝記作者のわたしたちに伝へたクリストと云ふ人を愛し出した。クリストは今日のわたしには行路の人のやうに見ることは出来ない。それは或は紅毛人たちは勿論、今日の青年たちには笑はれるであらう。しかし十九世紀の末に生まれたわたしは彼等のもう見るのに飽きた、――むしろ倒すことをためらはない十字架に目を注ぎ出したのである。日本に生まれた「わたしのクリスト」は必しもガリラヤの湖を眺めてゐない。赤あかと実のつた柿の木の下に長崎の入江も見えてゐるのである。……わたしは唯わたしの感じた通りに「わたしのクリスト」を記すのである。


「クリストを愛し出した」と、芥川ははっきりキリストを愛していると書いています。
通りがかりの人のように見ることはできないと言うのです。
今やヨーロッパ人も若い人もキリスト教に注目せず、むしろその教えを否定しようとさえする現代において、私は逆に十字架に注目しているのだとまで言う。
そしてそれは、ヨーロッパ流のキリストではなく、日本人である自分が自分なりに受け取る「わたしのキリスト」だと言うのです。
私たちひとりひとりもまた、自分のキリスト像を追い求めていくのでしょう。

――――――――――――――――――――
10 父
 クリストはナザレに住んだ後、ヨセフの子供でないことを知つたであらう。或は聖霊の子供であることを、――しかしそれは前者よりも決して重大な事件ではない。「人の子」クリストはこの時から正に二度目の誕生をした。「女中の子」ストリントベリイはまづ彼の家族に反叛した。それは彼の不幸であり、同時に又彼の幸福だつた。クリストも恐らくは同じことだつたであらう。……


マリアの処女懐胎。それを芥川は決して否定はしていないことに注目したいのです。
ただ彼は、そのためにマリアとキリストが世間からスキャンダルの好奇な目で見られ、世間的な苦しみを味わったことを強調しているのです。
聖霊の子として生まれたゆえに、キリストが私たちのために苦しみを味わわれたことを主張しています。
そして、作家ストリントベリイも、ほかならぬ芥川自身も、不幸な生い立ちゆえに苦労した。
ここで芥川は、キリストに自身の苦悩と孤独の姿を重ねているのでしょう。

――――――――――――――――――――
13 最初の弟子たち
 クリストは僅かに十二歳の時に彼の天才を示してゐる。が、洗礼を受けた後も誰も弟子になるものはなかつた。村から村を歩いてゐた彼は定めし寂しさを感じたであらう。けれどもとうとう四人の弟子たちは――しかも四人の漁師たちは彼の左右に従ふことになつた。彼等に対するクリストの愛は彼の一生を貫いてゐる。……


弟子たちに対する愛情は、キリストの一生を通じて変わらなかった。
この言葉に感銘を受けていた参加者も多くいました。
キリストの私たちに対する愛は永遠です。
キリストの弟子として、私たちもイエスさまに従ってゆきたいと思います。

――――――――――――――――――――
14 聖霊の子供
 ……「山上の教へ」は二十何歳かの彼の感激に満ちた産物である。彼はどう云ふ前人も彼に若かないのを感じてゐた。この海のやうに高まつた彼の天才的ジヤアナリズムは勿論敵を招いたであらう。が、彼等はクリストを恐れない訣には行かなかつた。それは実に彼等には――クリストよりも人生を知り、従つて又人生に対する恐怖を抱いてゐる彼等にはこの天才の量見の呑みこめない為に外ならなかつた。


キリストが若くして教えを説き、若くして世を去った。このことは重要です。
彼は若いがゆえに、理想を説いた。
そしてそれは、当時の年老いて人生や世間と妥協しているユダヤの指導者たちには理解できず、また邪魔者だったわけですね。

――――――――――――――――――――
19 ジヤアナリスト
 ……花嫁、葡萄園、驢馬、工人――彼の教へは目のあたりにあるものを一度も利用せずにすましたことはない。「善いサマリア人」や「放蕩息子の帰宅」はかう云ふ彼の詩の傑作である。……彼は彼等に比べれば勿論、後代のクリストたちに比べても、決して遜色のあるジヤアナリストではない。彼のジヤアナリズムはその為に西方の古典と肩を並べてゐる。彼は実に古い炎に新しい薪を加へるジヤアナリストだつた。


ジャーナリストという言葉を使っていますが、要するにキリストは教えを宣べ伝えるという点では天才だったと言っています。
そして、身の周りのものを引いたたとえ話によって民衆にわかりやすく説いてくれたことに、文学者である芥川は感心しています。
塚本邦雄が言うように、聖書のことばは古今東西の文学の傑作だと言うのです。

――――――――――――――――――――
続22 貧しい人たちに
 クリストのジヤアナリズムは貧しい人たちや奴隷を慰めることになつた。……彼の天才は彼等を動かさずにはゐなかつたのである。いや、彼等ばかりではない。我々も彼のジヤアナリズムの中に何か美しいものを見出してゐる。……彼のジヤアナリズムはいつも無花果のやうに甘みを持つてゐる。彼は実にイスラエルの民の生んだ、古今に珍らしいジヤアナリストだつた。同時に又我々人間の生んだ、古今に珍らしい天才だつた。……彼の一生はいつも我々を動かすであらう。……我々はエマヲの旅びとたちのやうに我々の心を燃え上らせるクリストを求めずにはゐられないのであらう。(昭和二年七月、遺稿)


藤井先生(現:酒田のぞみキリスト教会牧師)が、この箇所を引いて説教をされていたことをよく覚えています。
キリストの宣べ伝えた教えは、貧しい人や虐げられた人たちを、慰めてくれたのです。
そして、二千年後の私たちも、キリストの教えに慰めと美しさを感じています。
彼は古今東西の歴史を見ても、人類の生んだすばらしい天才だった、その生き方は今日の私たちをも動かすのだと、芥川は手放しで称賛して認めているのです。
この作品が遺稿だったことに注目したいと思います。
芥川が死んだ時、その枕元には、聖書が置いてありました。
彼もエマオの旅人のようにキリストを求めていたのでしょう。

                           
                           お話と文責:大田雅一兄


投稿者 : ws 投稿日時: 2010-06-15 11:26:24 (4272 ヒット)



小説家シリーズ第六回 芥川龍之介(2)「奉教人の死」



高校の国語教科書にも載っている、有名な作品です。
タイトルの「奉教人」とは、キリストの教えを奉じる人、クリスチャンのことです。
芥川龍之介は「切支丹物」と呼ばれる一連のキリシタンを扱った作品を書いていますがその中でも最高傑作の一つと言え、芥川自身の信仰もうかがえるような所があります。

冒頭は、このようなプロローグの言葉から始まります。

「たとひ三百歳の齢を保ち、楽しみ身に余ると云ふとも、
未来永々の果しなき楽しみに比ぶれば、夢幻の如し。」
「善の道に立ち入りたらん人は、御教にこもる不可思議の甘味を覚ゆべし。」


主人公の、ろおれんぞ、しめおん、の二人をめぐり、当時の長崎のキリシタンのようすが典雅な文語体で、かつ、素朴な語り口の会話体で描かれています。
ろおれんぞという美少年が、キリシタンの門下に身を寄せて、堅固な信仰を持って仕えていきますが、傘張りの娘が片思いをして文を寄せます。
ついに妊娠させたという噂が立って、ろおれんぞは破門されて流浪の生活となります。それは誤解だということがあとでわかるのですが、兄貴分だったしめおんも、ろおれんぞのことを疑ってしまいます。
やがて長崎の町を大火が襲い、その中で意外な真実が明らかになっていきます……

最後の場面から、一部引用してみましょう。

二重三重に群つた奉教人衆の間から、「まるちり」(殉教)ぢや、「まるちり」ぢやと云ふ声が、波のやうに起つたのは、丁度この時の事でござる。殊勝にも「ろおれんぞ」は、罪人を憐む心から、御主「ぜす・きりしと」の御行跡を踏んで、乞食にまで身を落いた。して父と仰ぐ伴天連(ばてれん)も、兄とたのむ「しめおん」も、皆その心を知らなんだ。これが「まるちり」でなうて、何でござらう。

美しい文章ですね。「まるちり」はギリシャ語の μαρτυρια Martyriaに由来しますが、この言葉はもともと「証し」という意味です。すなわち、殉教は、その死がその人の信仰を証していると同時に、人々の信仰を呼び起こすものであるということです。

芥川は、当時のキリシタンたちの殉教の姿に、強く心をひかれていて、その姿を描いてみたかったと言います。自己犠牲の姿、それはイエス・キリストの深い愛のみこころに通じますし、そこにひかれている芥川には、やはり信仰があったのではないでしょうか。
参加されたみなさんも、ろおれんぞの尊い生き方に深く共感されていたようです。

なべて人の世の尊さは、何ものにも換へ難い、刹那の感動に極るものぢや。暗夜の海にも譬へようず煩悩心の空に一波をあげて、未だ出ぬ月の光を、水沫の中に捕へてこそ、生きて甲斐ある命とも申さうず。されば「ろおれんぞ」が最期を知るものは、「ろおれんぞ」の一生を知るものではござるまいか。

お話と文責:大田雅一兄


投稿者 : ws 投稿日時: 2009-12-29 12:39:57 (4124 ヒット)


小説家シリーズ第五回 太宰治(4)「俗天使」



・今年は生誕百年で映画「ヴィヨンの妻」など、注目される太宰治をとりあげてきました。

・4回目はささやかな小品である「俗天使」を読んでみました。

・ミケランジェロの傑作「最後の審判」に触発され生まれた作品です。

・絵についての感想を通して、聖母子に対する太宰の崇敬が伺えます。

・また、ミケランジェロの天才に対して賞賛の言葉が語られています。

・後半で、太宰が自分自身の俗世のマドンナ像を探していくお話です。



◆小説からの引用と解説
 
「中央に王子のような、すこやかな青春のキリストが全裸の姿で、下界の動乱の亡者たちに何かを投げつけるような、おおらかな身振りをしていて、若い小さい処女のままの清楚の母は、その美しく勇敢な全裸の御子に初い初いしく寄り添い、御子への心からの信頼に、うつむいて、ひっそりしずまり、幽かにもの思いつつ在る」

ミケランジェロの最後の審判を見ての感想だが、なんとも見事な描写ではないか。

若き青年像のキリストの神々しさと、母マリアの清楚な感じがうまく描かれている。

だが、太宰のミケランジェロへの讃歌は、単に絵がうまいといったレベルではない。

そのことがうかがえるのは、例えば次のようなくだりである。

「よく見ると、そのようにおおらかな、まるで桃太郎のように玲瓏なキリストのからだの、その腹部に、その振り挙げた手の甲に、足に、まっくろい大きい傷口が、ありありと、むざんに描かれて在る。わかる人だけには、わかるであろう。私は、堪えがたい思いであった。」

キリストのスティグマ、聖痕、十字架上の傷を見て、心を痛めているのである。

ここには、贖罪の信仰に近いような何か敬虔な気持ちが感じられるではないか。

かつて講演に来てくださった渡辺和子先生は言っていらした。

「完全な体で復活されてもよかったのに、あえて傷を持った姿で現れた。

私たちの傷を負ってくださったのだ」と。

さて、このようにミケランジェロがすばらしい絵を描けたのはなぜか。

ここでも、太宰は、人間の力を超えたものを感じて、このように書いている。

「ミケランジェロの、こんな作品には、どこかしら神の助力が感じられてならぬのだ、人の作品でないところが在るのだ。ミケランジェロ自身も、おのれの作品の不思議な素直さを知るまい。ミケランジェロは、劣等生であるから、神が助けて描いてやったのである。これは、ミケランジェロの作品では無い。」

天才は天才を知る、という。

彼は、この作品が、神の助力、信仰のささえによって描かれたということを、誰よりもよく感じていたのではあるまいか。

そこから始まって、彼も及ばずながら、日常生活の中にいる「私のマリア」像を書いていこうとする。

そこも面白いので、おひまがあれば読んでいただきたい。


◆一年間、太宰治を中心に取り上げてきたが、日本の近代文学にはまだまだ、キリスト教の影響を受けた人が多い。
時間があればまた読んでいきたいと思う。
                          お話と文責:大田雅一兄
   


投稿者 : ws 投稿日時: 2009-10-12 23:51:45 (5062 ヒット)



小説家シリーズ第四回 太宰治(3)「桜桃」



・生誕百年を迎えて記念行事が催されている太宰治を続けてとりあげています。

・ネットで教会ホームページを見て、初めて来られた新来者の方もいて感謝でした。

◆あらすじ

家族五人の食卓。ふと妻が、私はこの胸の間に「涙の谷」がある、とつぶやく。
この言葉に夫はひっかかる。家庭には子どものことなどいろいろ苦難もあるが、
夫は何気ないふうをよそおってきたのに、と考え始めてたまらない気分になる。
家を出て飲み屋で桜桃を食べてつぶやく。「子どもより親が大事と思いたい」


◆テーマについて

・太宰が死ぬ一ヶ月前に発表された遺作とも言える作品。家庭での苦悩を描く。

・桜桃(さくらんぼ)が好きで、太宰の命日を「桜桃忌」と呼ぶのはここから来ている。

・長男はダウン症で、若くしてなくなった。次女で作家の津島祐子が思い出を書いている。

・太宰はつきあいが良くて人におごり、酒やたばこに印税も消えて借金で苦しんでいた。

・妻の美智子さんも結婚して苦労した。だが太宰も心の中では家族のことを心配していた。

・「子どもより親が大事と犹廚い燭き瓠廚箸いΩ斥佞牢衙召任△蝓⊆造呂修思えなかった。

・桜桃を食べながら、子どもに食べさせてやりたいと切ない思いにひたる苦悩がうかがえる。


◆みなさんの感想から

・高校の時に初めて読んで、なんて勝手な男なんだろうと不満を持ったのを覚えている。

・しかし、五十の今になって、家庭や職場でお父さんも苦労しているなと同情を覚えた。

・太宰さんの長男が、障害者だったとは知らなかった。当時は差別も強く大変だったと思う。

・子どもと無理心中をはかったという記事に心を痛めたという話に先が読めなくなった。


◆聖書との関わり

太宰は聖書をよく読み込んでいて、この作品にも2カ所の引用がある。

「涙の谷」は、新共同訳では「嘆きの谷」だが、文語訳や新改訳ではこう訳されている。

  「かれらは涙の谷をすぐれども、そこをおほくの泉あるところとなす」(文語訳)
 
  「彼らは涙の谷を過ぎるときも、そこを泉のわく所とします。」(新改訳)(詩編84)


涙の谷、嘆きの谷は、私たちが人生で出会う試練や苦難を表している。

しかし、もとの詩編では、そうした苦難から私たちを救ってくださる神を称えている。



もうひとつ、小説の最初の部分に、エピグラムとして聖書の一節がこう書かれている。
  
 「われ、山にむかいて、目を挙ぐ。」 詩篇第百二十一。

これは詩編121の冒頭だが、このあとに「わが助けはいづこよりきたるや。」と続く。

つまり、太宰は人生の涙の谷にあって、助けをもとめて山に目を向けていたのだ。

 「私は山に向かって目を上げる。私の助けは、どこから来るのだろうか。
 私の助けは、天地を造られた主から来る。
 主はあなたの足をよろけさせず、あなたを守る方は、まどろむこともない」(新改訳)


太宰は実は、心の中では神に救いを求め続けていたのではないか。

彼は神を信じ切れずに、死んでしまったのか。救われなかったのだろうか。

いや、私たちと同様に弱い罪人である彼を、神は救ってくださったと信じたい。
                           
                           お話と文責:大田雅一兄


(1) 2 3 4 5 »