「 それでもそこにおられる主 」 原田賢西南学院神学部神学生(2019/07/28)


[聖書]マルコによる福音書4章35~41節
西南学院大学神学部の原田賢と申します。皆さまと出会うことが許され、こうして共に、主に礼拝を献げることが出来ることを心から嬉しく思います。私は、主の福音を分かったつもりが、何も分かってなどいなかった自分を知らされ、それでもなお「共に生きよう」と招いてくださる主と出会い、「主のために生きたい」という願いを与えられ、今日まで歩んできました。
そんな主の姿が、今日の聖書の物語からも見えてきます。弟子たちは主の呼びかけに応えて、舟をこぎ出した後、突然の嵐に合っておぼれそうになります。弟子たちはたまらず主に叫びます。叫ぶ弟子たちの声を聞いたイエス様は、風と湖とを叱りつけて嵐を沈め、弟子たちに語ります。「なぜ怖がるのか。まだ信じないのか」。
38節を見るとイエス様は「艫」の方にいたと書かれています。ここに重みがかかっていることが、舟を安定させるのに非常に重要な役割を果たすそうです。その沈みかかった同じ舟の中で、弟子たちと同じようにびしょ濡れになりながら、その舟の一番大切な場所に体重をしっかりとかけながら、イエス様はそこにいたのです。
 イエス様は、なぜ眠っておられたのでしょうか。それは眠ることができる安心が、そこにあったからではないでしょうか。ヘブライ語に「シャローム」という言葉があります。この言葉は、かなりダイナミックなイメージを持っています。「荒波のただ中にあって、もみくちゃにされて、あたかもひっくり返っているかのように見える状況の中で、しかし神の御手に包まれているから、安らぐことができる」。そんなイメージです。舟の中で眠るイエス様の姿とそのまま重なります。弟子たちとまったく同じ状況の中で、あの神のシャロームがすでにそこにあることを、イエス様は指し示しているのです。弟子たちは神に信頼することができず、このシャロームに気づきもしません。にもかかわらず、この何も分かってなどいない弟子たちのすぐそばにイエス様は居続けます。弟子たちは、自分たちが気づきもしない形で、いつも神のシャロームのただ中に置かれ続け、そして、ちゃんと一行が目指す向こう岸まで、たどり着くことができたのです。
不安と恐れが嵐のように襲い掛かってきているこの世界のただ中で、私たちが主を見失ってしまうような時でさえ、主は私たちと共におられます。主がその嵐を一緒に通ってくださる。主がその嵐の向こう側まで導いてくださる。たとえどれほどの恐れが、不安が、疑いが、叫びが満ち溢れようとも、この主の希望だけは、いつまでも沈むことなく私たちと共にあり続けるのです。

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