「イエスの語る旧約の福音(37)『溢れ出る”命の泉”』」 友納靖史牧師(2020/02/23)

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[聖書]エゼキエル書47章1~9節、ヨハネによる福音書7章37~39節
創世記には「エデンから一つの川が流れ出て、園を潤し(2:10)」、植物、動物、生命ある全ての命を保つ源が「水」であったと記します。また黙示録では、神が用意された天の都エルサレムの情景を、「神と小羊の玉座から流れ出て、水晶のように輝く命の水の川があり、その川は、都の大通りの中央を流れ、その両岸には命の木があって、年に十二回実を結び、毎月実をみのらせ、その木の葉は諸国の民の病を治す(22:1-2)」と語ります。聖書全体を通し、水と川は神から与えられる命の源と語られるのです。

「イエスの語る旧約の福音(36)『聖霊よ、吹き来たれ!』 」友納靖史牧師(2020/02/09)

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[聖書]エゼキエル書37章1~10節、ヨハネによる福音書14章15~20節
祭司であり預言者でもあるエゼキエルの使命とは、その名の通り 「神が強めてくださる」ことを、絶望の谷に留まる人々に語りかけることでした。神は民らをどう「強め」ようとされたのか。それが「枯れた骨の復活」物語に明示されます。エルサレム神殿や国も破壊され、バビロン捕囚の悲惨さを経験した人々は、この絶望感がいつまでも続くかのように思い込んでいました。かつて神の裁きがエゼキエルによって預言された時、それを信じなかった人々。彼が次に希望を語った時にも、その実現を信じませんでした。人々は、自分が信じたいように信じる罪に支配されていたからです。そこで神は絶望と悲壮の象徴である「死」、それも肉体は亡び、枯れた骨となってなお、そこに命蘇る驚くべき希望を見せられました。神はエゼキエルに「人の子よ、これらの骨は生き返ることができるか」と問います。普通なら「それは無理です」と答えるでしょう。

「イエスの語る旧約の福音(35)『呼び集められる人々』 」友納靖史牧師(2020/02/02)

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[聖書]エゼキエル書11章14~21節、マタイによる福音書24章29~31節
 「神が強めてくださる」という意味の名を持つエゼキエル。3回にわたるバビロン捕囚最初となるBC597年、エルサレムから強制移住させられた一団にいた祭司の一人でした。それから5年目のある日、ケバル川の河畔で神の栄光に圧倒され、ひれ伏すエゼキエルに主は「自分の足で立て」と命じます。更に主は「反逆の民、恥知らずで強情な人々のもとに、あなたを遣わす。彼らが聞き入れようと、拒もうと、恐れてはならない(エゼ2:1-10)」と語りかけられました。しかしそれは、他の預言者と同様に、罪を犯し、神の許を離れた神の民を、主が再び「呼び集める」との希望を力強く語り続けるためだったのです。
 主イエスの有名な譬え話に、99匹を置いてでも、迷い出た1匹の羊を探し出す羊飼いの姿を通して神の愛を語られる物語(ルカ15:1-7)があります。主は更に「私は羊のために命を捨てる。わたしには、この囲いに入っていない他の羊もいる。その羊をも導かなければならない(ヨハネ10:7-18)」と語られ、ユダヤ人だけが神の民だと自負し傲慢になっていた当時の人々以外に、神の救われる民が多くいること。その人々をも主イエスは集めるために来られたと宣言されました。

「教会の使命 」渡辺聡牧師(東京バプテスト教会 ミニストリー担当牧師)(2020/01/26)

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[聖書]ヨハネによる福音書15章12~17節
 こんにちは、東京バプテスト教会のミニストリー牧師をしております渡辺聡です。母が常盤台バプテスト教会で牧会しておられた松村秀一先生からバプテスマを受けたことや、私のいとこが秀一先生の息子の誠一先生と結婚したというような関係で、昔よく常盤台バプテスト教会には遊びにきていました。今日、何十年ぶりにこの教会に伺いましたが、大変懐かしく思っております。
さて、昔の頃の話なのですが、大久保バプテスト教会で執事をしていた頃(かれこれ40年近く前)、私より年上の青年が違う教会からやって来て転入会を申し込み、こう言いました。「いや、バプテスト派はいいですね。だってまず、ドグマがない。聖書主義ですから、信者一人一人が聖書を読んで自分が信じたように信じればいい。そこが気に入りましたよ。」それから次に「やっぱ、会衆主義というのがいいですね。万人祭司ですよ。バプテストはやっぱりいいですね。民主主義ですからね。教会の運営に関して一人一票持っている。これがバプテストの本質ですね。」

「イエスの語る旧約の福音(34)『嘆き悲しむべきこと』 」友納靖史牧師(2020/01/19)

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[聖書]哀歌1章1~4節、ルカによる福音書23章26~29節
エレミヤが「哀歌」を書いたと歴代(35:25)は証言します。この「哀歌」と同一のものか議論は尽きませんが、ここには彼の預言通り、南ユダ王国がバビロニアによって滅ぼされ、エルサレムが壊滅したことを嘆き悲しむ歌で埋め尽くされます。その目的は、神が悔い改めを呼びかけられたにも関わらず、その声に聴き従わず、自分勝手に歩んだ都エルサレムと王国。それを「彼女」と呼び擬人化しつつ、その死の苦痛を忘れず、末代にまで語り伝えることを願っていたからです。愛する民族と国とが、たとえ不都合であっても真実の歴史に目を背け、犯した罪、過ちを忘却することなく伝え続ける方法として歌にしたのです。
先週インドのナガランド州に行かれた方から一冊の本を受け取りました。それは第二次大戦で「最も悲惨で愚かな戦い」と称されるインパール作戦の記録です。75年前の記憶を持つ人々が少なくなる中、それに危機感を覚えた現地の牧師が、生き残った方々を訪ね歩き、記録した本も近年出版されました。私たちの愛する国・日本は果たして真の歴史を記録し、それを嘆き悲しみ、正しく語り伝えているでしょうか。

<成人感謝礼拝>「イエスの語る旧約の福音(33)『あなたは聖別された人』 」友納靖史牧師(2020/01/12)

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[聖書]エレミヤ書1章1~12節、マタイによる福音書28章16~20節
 南ユダ王国が黄金期から滅亡へと向かう激動の時代(2700年程前)、若干20歳頃のエレミヤは、神の言葉を伝える預言者として選ばれます。主が彼に臨んだ時、エレミヤの口から発せられたのは「わたしは語る言葉を知りません…若者にすぎませんから(エレ1:6)」でした。けれども主は、「若者にすぎないと言ってはならない。わたしがあなたを、だれのところへ遣わそうとも、行って、わたしが命じることをすべて語れ。彼らを恐れるな…(1:7-8a)」と答えられます。これを聞いたエレミヤは戸惑いつつも主と対話を続けます。すると主の御手が彼に伸ばされ、口に触れられ、御言葉と幻が与えられます。こうして神のトレーニング(訓練)はスタートし、エレミヤは徐々に整えられていきます。何よりも次の言葉は彼の人生の試金石となりました。「わたしがあなたと共にいて、必ず救い出す(1:8,1:19)」。