「 感謝しよう。その一人のように」カーソン・フ―シー宣教師(2019/08/18)

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[聖書]ルカによる福音書17章11~19節
今日の聖書の箇所では、神さまへの感謝について学びます。ルカによる福音書17章11節から19節には、イエスさまはサマリアとガリラヤの国境を通られたとあります。その当時、サマリア人とユダヤ人の間には宗教的な葛藤がありましたので、イエスさまは弟子達に教える機会を与えられました。

「 イエスの語る旧約の福音(20)『平和を造り出す力』 」 友納靖史牧師 (2019/08/11)

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[聖書]詩編8章2~10節、マタイによる福音書21章12~17節
 詩編の多くはダビデ王によるとされ、かつて全150編にメロディーがついていました。神への感謝は、言葉だけでなく音が加わると、より心をこめて人々の魂に染み渡っていきます。「主よ、わたしたちの主よ。あなたの御名は、いかに力強く、全地に満ちていることでしょう(8:2/10)」と8篇を前後で挟み歌われます。『ギディト』に合わせて(8:1)とは、琴の一種とか、ある旋律(メロディー)のことだったと言われますが、何よりも幼子の口にも歌える程、単純かつ愛される神への賛美のことでした。その賛美を歌うと、たとえ憎悪や報復心に満ちた敵の心さえも打ち砕く特別な力が秘められていたのです。

「 イエスの語る旧約の福音(19)『黙する時、語る時』 」友納靖史牧師(2019/08/04)

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[聖書]ヨブ記40章1~14節、ルカによる福音書4章31~37節
 「義人が理不尽な苦しみを経験するのはなぜか」。旧約知恵文学として魂の苦痛に真っ向から取り組み、影響を与え続けるヨブ記。この書の結論は「全能の神ではない人間が、人生の苦難の意味を完全に理解することはできない」と語ります。冒頭に、サタンが神と対話し、ヨブの信仰を試みる許可を得た物語から始まり、中間部では、絶望的苦難に見舞われたヨブを訪ね、最初は沈黙していた友三人が、苦しみの原因は、ヨブが罪を犯したに違いないと責めていく様子が描かれます。慰めたいと願っていたはずの友人たちが、その過酷な現実に衝撃を受け、友なるヨブの苦悩を受けとめきれず安易に答えを出そうとする(人間の)姿が描かれます。何よりもサタン(そそのかす存在)の悪意によって全てが混乱させられていくこの物語は、今も私たちの内に働く「神ならぬ惑わしの声」の存在に警告を与えます。

「 それでもそこにおられる主 」 原田賢西南学院神学部神学生(2019/07/28)

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[聖書]マルコによる福音書4章35~41節
西南学院大学神学部の原田賢と申します。皆さまと出会うことが許され、こうして共に、主に礼拝を献げることが出来ることを心から嬉しく思います。私は、主の福音を分かったつもりが、何も分かってなどいなかった自分を知らされ、それでもなお「共に生きよう」と招いてくださる主と出会い、「主のために生きたい」という願いを与えられ、今日まで歩んできました。

「イエスの語る旧約の福音(18)『この時のため、あなたはここに』 」友納靖史牧師(2019/07/21)

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[聖書]エステル記4章10~17節、マタイによる福音書9章14~17節
主イエスが父なる神より託された地上の使命(ミッション)を明確に認識されたのは、ヨハネからバプテスマを受けた時でした。その後も常にご自分に与えられた「時」を心に留めて歩まれます。その一つに“バプテスマのヨハネ”の弟子達から、イエスの弟子たちの姿にクレームを受けた今日の箇所があります。禁欲を重んじ荒れ野で暮らす彼らにとって、イエスの弟子の信仰はなまぬるいと感じました。すると主はご自分のことを「花婿」と譬え、救い主なるお方と弟子たちが過ごせる今この時は、婚礼のお祝いのような時だと語ります。だからこそ今は、まず主イエスと共に弟子たちも、精一杯、福音宣教の働きを担うことを選択していることを伝えました。

「 イエスの語る旧約の福音(17)『心から湧き溢れる祈り』 」友納靖史牧師(2019/07/07)

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[聖書]ネヘミヤ記1章4~11節、マタイによる福音書6章5~8節
ペルシャ王キュロスが捕囚の民を祖国へ帰し、神殿再建の許可を与えた後、エズラとほぼ同じ時期、ネヘミヤは活躍します。彼は帰還せず、王アルタクセルクセスの献酌官として仕えていました。ところがある日、完成すべき城壁再建が妨害に遭い、放置され無残な姿になっていると聞き、深く嘆きます(ネヘ1:3)。その時ネヘミヤは、心の底から神にこう祈ります。「おお、天にいます神、主よ、偉大にして恐るべき神よ、主を愛し、主の戒めを守る者に対しては、契約を守り、慈しみを注いでくださる神よ」と、神への自らの信仰告白を込めた、心の底から湧き出る思いが込められています。ネヘミヤの祈りより学ぶことは、捕囚とされた原因が、神に背いた前世代の出来事、他人とせず、「わたしたちはあなたに罪を犯し…わたしも、わたしの父の家も罪を犯しました(1:6b-7)」と自らの罪として告白したことです。

「 神の癒しー私たちが住むこの世界の片隅で」ローラ・フ―シー宣教師(2019/06/30)

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[聖書]使徒言行録9章36~43節
 今日の聖書の箇所から私たちはタビタという弟子とヤッファの教会の話について学びます。使徒のペトロを通して神さまの力でタビタは生き返りました。この話はヤッファ中に広がり、この証を通して大勢の人が主イエスさまを信じるようになりました。
 この聖書の言葉の中には大切なことが三つあります。ペトロの奇跡は一番大事なポイントと考えがちですが、私たちは様々な弟子の働きをそこにみます。一つはヤッファでのやもめに向けて伝道活動をする無名なタビタ、三年間イエス様に従って献身的な働きを続けている尊敬すべきペトロ、もう一つはタビタの状態を癒してくださることを信じたヤッファの教会の人々です。この三つの働きのように今も神さまが働いておられることを皆さんは信じますか。

「 イエスの語る旧約の福音(16)『いつまでも残る神の宮』」友納靖史牧師(2019/06/23)

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[聖書]エズラ記1章1~6節、マタイによる福音書24章1~2節
イスラエル(ユダ)にとって、神を礼拝する「神殿(神の宮)」は特別な場所です。最初は「祭壇」が築かれ(創世8:20)、次に天幕が張られ神の臨在を示す聖所「幕屋」(出エジ29:45・46)が設けられました。ソロモン王の時代、遂に(第一)神殿が建築されましたが、バビロン捕囚により破壊されてしまったのです。エズラ記には、ペルシャの王キュロスによって捕囚の民がエルサレムへの帰還を許されると共に、悲願であった神殿再建が許可されたと記されます。帰還後、再建工事への妨害もあり、新たな(第二)神殿が完成したのは王の許可を受けて23年後、紀元前515年でした。“第二のモーセ”、“祭司にして天の神の律法学者”と呼ばれたエズラの働きは、神殿を建てる以上に、困難な中にあっても信仰形成の基となる「主の律法を研究して実行し、イスラエルに掟と法を教えることに専念した(7:10)」ことにこそ注目すべきでしょう。

「 イエスの語る旧約の福音(15)『明日に向かって』」友納靖史牧師(2019/06/16)

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[聖書]歴代誌下20章13~22節、マルコによる福音書14章22~26節
「歴代誌」は旧約中、祭司の視点から記されたイスラエルの歴史書です。ソロモン王の死後、ヨシャファトは南ユダ王国第四代の王として、分裂した北イスラエルとの関係改善と和解を成し、公平と平和の王として歩んでいました。しかしアンモン人とモアブ人の連合軍がユダに侵入し、国中より幼子から家族全てが一カ所に集められ、断食し、何よりも「主を求めて」祈り続けます。ある日、主の霊を注がれたヤハジエルを通し、主が語られました。「この大軍を前にしても恐れるな。おじけるな。これはあなたたちの戦いではなく、神の戦いである。明日<敵>に向かって攻め下れ。…そのときあなたたちが戦う必要はない。