「イエスの語る旧約の福音(34)『嘆き悲しむべきこと』 」友納靖史牧師(2020/01/19)

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エレミヤが「哀歌」を書いたと歴代(35:25)は証言します。この「哀歌」と同一のものか議論は尽きませんが、ここには彼の預言通り、南ユダ王国がバビロニアによって滅ぼされ、エルサレムが壊滅したことを嘆き悲しむ歌で埋め尽くされます。その目的は、神が悔い改めを呼びかけられたにも関わらず、その声に聴き従わず、自分勝手に歩んだ都エルサレムと王国。それを「彼女」と呼び擬人化しつつ、その死の苦痛を忘れず、末代にまで語り伝えることを願っていたからです。愛する民族と国とが、たとえ不都合であっても真実の歴史に目を背け、犯した罪、過ちを忘却することなく伝え続ける方法として歌にしたのです。

<成人感謝礼拝>「イエスの語る旧約の福音(33)『あなたは聖別された人』 」友納靖史牧師(2020/01/12)

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[聖書]エレミヤ書1章1~12節、マタイによる福音書28章16~20節
 南ユダ王国が黄金期から滅亡へと向かう激動の時代(2700年程前)、若干20歳頃のエレミヤは、神の言葉を伝える預言者として選ばれます。主が彼に臨んだ時、エレミヤの口から発せられたのは「わたしは語る言葉を知りません…若者にすぎませんから(エレ1:6)」でした。けれども主は、「若者にすぎないと言ってはならない。わたしがあなたを、だれのところへ遣わそうとも、行って、わたしが命じることをすべて語れ。彼らを恐れるな…(1:7-8a)」と答えられます。これを聞いたエレミヤは戸惑いつつも主と対話を続けます。すると主の御手が彼に伸ばされ、口に触れられ、御言葉と幻が与えられます。こうして神のトレーニング(訓練)はスタートし、エレミヤは徐々に整えられていきます。何よりも次の言葉は彼の人生の試金石となりました。「わたしがあなたと共にいて、必ず救い出す(1:8,1:19)」。

<新年礼拝>「イエスの語る旧約の福音(32)『嘆きが喜びに変わる年』 」友納靖史牧師(2020/01/05)

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[聖書]エレミヤ書31章10~17節、マタイによる福音書2章13~23節
 主にあって、新年明けましておめでとうございます。常盤台教会は今年、創立70周年を迎えます。主がこれまで、そしてこれからも教会に対する計画は「災いではなく、平和の計画であり、将来と希望を与える(エレミヤ29:11)」ことを信じ告白します。それを告げたエレミヤは「涙の預言者」と称される程、苦難と悲嘆の中に置かれ、それでもなお神の言を忠実に語り続けました。
 彼は南ユダ王国における預言者として神に立てられていましたが、アッシリア帝国によって既に滅ぼされていた北イスラエルの回復を31章で預言します。つまり、神はバビロン捕囚によりこれから滅ぼされていく南王国の回復の希望のみならず、偶像礼拝の罪のために滅ぼされた北王国の回復を前もって語られました。

「神の国の住人」渡部信牧師(2019/12/29)

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[聖書]マタイによる福音書6章9~15節
 本年最後の主日礼拝となりました。この1年間最後の礼拝で「神の国の住民」と題した聖書のメッセージを共に学びましょう。聖書箇所は、マタイ福音書の「主の祈り」の箇所を選びました。何故かと申しますと、私たちは、このせわしい人生の歩みの中で、様々な出来事に出会い、楽しいことも、悲しいことも、また喜びのことも、困ったことも、病気から癒された人も、病気になってしまった人も、全部が混在している中で、生きている。このような雑踏の中で、私たちは何者なのか、忘れてしまうときに、この「主の祈り」を祈ることができるとしたら、その時こそ、私たちは、今、目には見えませんが、神様の支配と守りの中にあること、神の国の市民権を持っているその住民であることに気づくことができるからです。

「イエスの語る旧約の福音(31)『自由とされた喜び』 」友納靖史牧師(2019/12/22)

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[聖書]イザヤ61章1~3節、ルカによる福音書4章16~21節
 バプテスマを受けさせて頂き、神より与えられる祝福は数多くあります。それを一言で言い表すなら、今日のタイトルです。「自由とされた喜び」を噛みしめ、キリスト者は人生を歩ませて頂くからです。「自由」を聖書では「解放」「赦し(赦免)」「救い」と同じ意味で用います。出エジプトによってイスラエルの民がエジプトの奴隷生活より解放された出来事。今でも私たちは人生において、肉体的・精神的・社会的・霊的に奴隷とされ、苦しみを負うことがあります。また自らの罪により責任転嫁や逃避、何よりも罪責感からの解放を必要とします。実はその全ての苦悩から自由としてくださるお方が主イエスなのです。それをイザヤは預言し、またルカはイエスがご自身の真の姿を証しされた喜びを、こう記しました。「捕らわれている人に解放を、…圧迫されている人を自由にする」という、「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」(ルカ4:18~)と。

「 イエスの語る旧約の福音(30)『元気になれる秘訣』」友納靖史牧師(2019/12/15)

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[聖書]イザヤ53章1~6節、マタイによる福音書8章14~17節
 マタイ8章に、主イエスが病を癒された三つの記事があります。最初に重い皮膚病を患っていた人が、主を信頼し自らの願い以上に神の御心が優先されることを願い、癒される物語。次にローマの百人隊長が、主の言葉を頂くだけで部下の病が癒されると信じる姿に、主が最大級の賛辞を贈り、「あなたが信じたとおりになるように」と宣言され、癒される物語。最後は弟子ペトロの義母が高熱で苦しみ寝込んでいたとき、その人の手に主イエスが触れて病は癒され、その人が感謝と喜びを表す信仰の姿。これらの奇跡を見た人々が主の許へ悪霊に取りつかれた病人を次々と連れて来ます。

「万軍の主の熱意がこれを成し遂げる」田中満矢牧師(2019/12/8)

※本日のメッセージは説教概要のみです。
[聖書]イザヤ書9章5~6節
 皆様はどのようなあだ名で呼ばれるでしょうか。今日の箇所は私たちの救い主イエス様はこのような方だと預言された呼び名です。「驚くべき指導者」英語ではワンダフルカウンセラーと訳されています。優れたカウンセラーとはアドバイスが上手な人ではなく共感能力の高い人です。情報を共有することは簡単です。しかし感情の共有は難しい。悲しいことを共に悲しい、嬉しいことを共に嬉しいと感じることができる、それが私たちのイエス様です。次に「力ある神」と呼ぶに相応しい方です。「穴」という詩の抜粋です。「ある男が穴に落ち、這い上がることができませんでした。

「イエスの語る旧約の福音(29)『人生を変える”光”』」友納靖史牧師(2019/12/01)

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[聖書]イザヤ9章12~17節、マタイによる福音書4章12~17
「光」には二つの意味があると聖書は語ります。一つは、肉眼で見える、生命を育む力を持つ光。もう一つは、人の生き方に大きな変化を与える力を持つ、心と魂に注がれる眼には見えない「真理の光」「希望の光」です。
 預言者イザヤは神の言葉を王アハズに伝えますが、王は耳を貸さず、主なる神の御心に反した歩みを続けます。にもかかわらず神はイザヤに「闇の中を歩む民は、大いなる光を見、死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた(9:1)」と有名なインマヌエル預言(7章)の後に続いて語りかけます。

「 主に仕える働き」内藤淳一郎牧師(茗荷谷キリスト教会協力牧師)(2019/11/24)

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[聖書]ローマの信徒への手紙12章6~8節
 復活の主イエスは世界にご自分の体である教会を建て、2000年前の地上の働きを継続されます。教会は主が「神の国」の福音を宣教したようにイエス・キリストの言葉を語ります。教会は主イエスが「小さくされている人々」に寄り添い、「神の国」の到来を示す働きをされたように、「神の国」を証しする働きをします。