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「イエスの語る旧約の福音(22)『いのちのごはん』 」友納靖史牧師 (2019/09/29)

[聖書]詩編78篇23~29節、ヨハネよる福音書6章26~35節
「わたしが(は)命のパンである(6:25・48)」と主イエスは語られます。これはヨハネ6章の冒頭にある「五つの大麦パンと二匹の魚」を主が祝福した時、五千人以上の人々を満す物語に続く章全体の中心メッセージです。驚くべき奇跡を目の当たりにした群衆はイエスを捜しますが、それは彼らが再び満腹になりたいためでした。それを見抜かれた主は、「朽ちる食べ物のためではなく、いつまでもなくならないで、永遠の命に至る食べ物のために働きなさい。これこそ、人の子があなたがたに与える食べ物である(6:27)」と語られます。人の生涯を本当に満す「いのちのごはん(糧)」を与えることを願っておらたからです。そこで人々は「神の業を行うためには、何をしたらよいでしょう」と尋ねます。すると主は「神がお遣わしになった者を信じること、それが神の業である(6:29)」と応答されました。そこで彼らは詩編『天からのパンを彼らに与えて食べさせた(78:24)』を引用し、先祖が出エジプトの際、モーセと共に荒れ野でマナを食べたような奇跡を見せて欲しいと願うのです。すると主は「神のパンは、天から降って来て、世に命を与える(ヨハ6:33)」と詩編が預言する真意を明らかにされ、「わたしが命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない(6:35)」と宣言されました。
 ヨハネ6章全体を読み進むと、主ご自身こそが命のパン(糧)であり、後に十字架に架けられ、肉を裂き、血を流し、私たち人間の罪を赦される救いの奥義(主の晩餐)を前もって語られます。残念ながら多くの弟子たちはこの意味が分からず、イエスから離れ去り、共に歩まなくなりました(6:66)。疑いつまずきながら、それでも主イエスと共に歩み続けた僅かな弟子たちは、時間をかけ十字架と復活の後にその意味を信じる者へと変えられたのです。
 詩編78篇12節以下には、出エジプトにおける数々の奇跡を見ても神を心底から信頼し、信じなかったイスラエルの民について言及されます。しかし「それでもなお、神は上から雲に命じ、天の扉を開き、彼らの上にマナを降らせ、食べさせてくださった…」と、神があの手この手を用い「神は彼らの欲望を満たし(78:29)」つつ、悔い改めを待っておられた姿は正にイエスの地上の歩みと重なります。
神は今も私たちに、天の扉を開いてマナ(いのちのごはん)を注いでくださいます。その目的は全て十字架と復活の主イエスと出会うためです。神の業(福音宣教)という「いのちのごはん」を分かち合う時、人々は人生の本当の喜びは主イエス御自身を食べる(信じる)ことだと知るのです。“♫食する暇も打ち忘れ(教団讃美121)”て神の業に励まれた主イエスのように「永遠の命に至る食べ物のために働く(ヨハネ6:27)」喜びを共に味わい歩みましょう。

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(c)日本聖書協会
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