「イエスの語る旧約の福音(24)『 心配しなくていい理由』」友納靖史牧師(2019/10/13)
[聖書]箴言16章1~9節、ルカよる福音書12章4~12節
聖書は神が啓示された「信仰の書」と呼ばれ、また「知恵の書」とも呼ばれます。特に「箴言」は知恵の王ソロモンの格言(箴言)集として愛され、知恵も信仰と共に人生を支える両輪としてイスラエルの民を支えてきました。知恵(ヘブ語:ホクマー)とは「熟練によって悪を避ける」との意味で、「主を畏れ敬うこと、それが知恵。悪を遠ざけること、それが分別(ヨブ記28:28)」と告白される通りです。何よりも、知恵とは人間の能力のみに頼らず、神と人との前に謙虚に生きることが箴言全体で語られます。主イエスは箴言そのものを引用された記録は福音書にはありません。ですが、イエス御自身が「神の知恵」であることを、今日の箇所の直前(ルカ11:49)にもあるように「神の知恵もこう言っている『わたしは預言者や使徒たちを遣わすが、人々はその中にある者を殺し、ある者を迫害する』」と証しされました。
悪がはびこるいかなる時代においても「恐れるな・心配するな」と主イエスは語りかけられます。イエスをキリストと信じる者に対する迫害と殺害は残念ながら、その時代の権力者たちによって繰り返し行われ、またその後もそうなることをご存知でした。そこで、「体を殺しても、その後、それ以上何もできない<魂まで殺せない>者どもを恐れるな(12:4)」と語られます。更に、もし迫害によって権力者たちの前に引き出される時、「何をどう言おうかなどと心配してはならない」と言われました。その理由は、その人のそれまでの信仰、知恵や知識が助けるとは仰らず、「言うべきことは、聖霊がその時に教えてくださる」と宣言されたのです。ここに本当の知恵、そして信仰の神髄、信仰の成熟があります。「聖霊行伝」と言われる使徒行伝(現・使徒言行録)とこの福音書を著した医師ルカは、主イエスが弟子たちに与えると約束された聖霊こそ(使徒1:7-8)が主イエスを信じる者の求め続けるべきものである(ルカ11:13)と伝えようしたのです。当時の人々にもよく知られていた箴言「人間は心構え(先を見越して計画)をする。<しかし>主が舌に答えるべきことを教えてくださる(16:1)」を、主イエスは、その教えてくださる主とは「聖霊」のことであることを宣言されたのです。私たちは今、それを悟る知恵も信仰も、聖霊なる神が教えてくださることを、聖書に触れ、聖霊に導かれ知らされていることを感謝いたしましょう。
私たちは、知らないので不安になること、知っていているからこそ心配すること等‥・不安の種は尽きません。その私たちを忘れることなく全てを知っておられる神が、悪より救い出し、今も聖霊を私たちに送って支えられることを主イエスは約束されました。その信仰と知恵が私たちに与えられている。だからこそ、これから先のことを何も、心配しなくていい理由がここにあります。