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3.29主歴2020家庭主日礼拝ビデオ『過越の時⑤』

出エジプト記17章1-16節

特別シリーズ 「過ぎ越しの時⑤」 2020年3月29日

人生の立ち位置を表現する御言葉の一つに、私たちは「地上では旅人(よそ者)であり寄留者です」(ヘブライ11:12口語訳)があります。エジプトを脱出したイスラエルの人々の共同体全体(一人残らず民全員を強調)は、シナイ半島の西南に位置する“シン(Sin)の荒れ野”から更に旅を続けました。ここで「旅程に従って進んだ」と訳される箇所が口語訳では「旅を重ねた」(ヘブ語の動詞と名詞が二度使用…杭を抜く・宿営をたたむ・旅立つ)とあり、同じ場所には戻らない(れない)人生の「神の国への旅」が続けられる姿が暗示されているかのようです。
イスラエルの民は、かつてエジプトでの都市生活とは違い、不自由で困難極まりない砂漠での旅路を続ける覚悟が未だ出来ていませんでした。苦難が生じると、民はまず指導者モーセをとがめ(争い)、前章に続き「我々に飲み水を与えよ」と、不平不満を繰り返しぶつけます(17:2,3)。責められるモーセは民から自分が石で打ち殺されるのではないかと恐れ、神に叫び声を上げ、助けを求めます。追い詰められ、疲れ果てていたモーセに、主は成すべき事を二つ彼に語りかけます。まず、イスラエルの長老(年長の・熟練した者)数名を伴い、民の前を進むこと。二つ目に、かつて数々の奇跡をエジプトで行った杖(王に主の力を示すため、ナイル川の水を杖で打つと、血に変わり、魚が死に、水が飲めなくなった<8:14-24>)を手に取ることを命じられました。こうしてまずモーセはその杖を持ち、水一滴ない灼熱の岩石に囲まれた地・ホレブにおいて、主に命じられた通り、一つの岩をその杖で打ちます。するとその岩から水が湧き溢れ、民全体の渇きが主によって癒されました。
次に、神がモーセになぜ長老たちを伴い、民の前を進めと語られたのかその意味が明らかにされます。砂漠に住むアマレクの民と<水場争い?>の戦いを強いられた時、モーセはあの偉大な奇跡を起こした杖を手に持ち、両軍の様子が一望できる丘の頂に立ちました。不思議とモーセが両手を上げている間は、ヨシュアを筆頭にイスラエルの民が優勢となるのですが、モーセが疲れて手を下すと、アマレクが優勢になったのです。その時、長老であったアロン(モーセの兄)とフル(高貴という意味の名)の二人が両側に立ち、日が沈んで戦いが終わる時までモーセの手を支え続け、遂に勝利を収めます。モーセ一人では担いきれない働きでしたが、主の命に従い、共に歩む人々に支えられ、勝利へと導かれたのです。神に備えられる奇跡とは、杖のような道具が不思議な力を宿すのではなく、主の御言葉に従い、互いに助け合う愛の関係性の中に与えられることが、共同体全体に主より語りかけられました。「実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ(ルカ17:21)」との主イエスの御言葉が心に響き渡ります。
これらの驚くべき主の御業を忘れないため、モーセは二つのことを行いました。まず、飲み水を与えられた神を繰り返し疑い続けた弱き心を覚え、その場所を「マサ(試し)とメリバ(争い)」と名付けます。更にアマレクとの戦いの後、モーセは祭壇を築き「ヤハウェ(アドナイ)・ニシ:主はわが旗」と名付けたのです。モーセの信仰告白として記される次の言葉を、私たちも心に刻みましょう。「彼ら<神の民>は主の御座<変わることのない恵み深い主の愛>に背いて手を上げた<疑い反抗した>が、主は代々、アマレク<人生の旅路に立ちはだかる課題>と戦われる(17:16)」と。そして長期戦とも思えるこの旅路を恐れず、共に助け合って前進しましょう。なぜなら私たちは、十字架と復活の主なるイエスを信じる「信仰こそ、旅路を導く杖」と喜び賛美する信仰共同体とされているからです。

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