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3.1主歴2020家庭主日礼拝ビデオ『過越の時①』

「特別シリーズ 『過ぎ越しの時①』」

牧師 友納靖史

今日の第一主日は、「主の晩餐式」を執り行う予定でした。しかし先月のこの日には想像さえしなかった不測の事態がこの地域、そして世界で生じることとなったのです。いつになったらこの状況から解き放たれるのかは誰にも答えられません。ですが、主なる全能の神が、この不安と恐れから必ず解放してくださることを信じ、この3月は出エジプト記より神の励ましの御言葉を共に分かち合います。

主イエスが弟子たちと共に行った最後の食事こそ、「過ぎ越しの食事」で、それを共にしながら主は「わたしの記念としてこのように行いなさい(コリント一11:24)」と命じられました。それは、かつてイスラエルの民がエジプトの奴隷生活から解放され、神によって約束の地へと向かうことになった前日の出来事を心に刻む「過ぎ越しの祭」をただ忠実に守るためではありませんでした。実は主はその時、これから主が担おうとされていた十字架の苦難と救いの意味を、弟子たちに、そして後に形成されるキリストの教会に対するメッセージとして行われたものだったのです。

出エジプト記10章までの記事は、モーセに対する神の召命と、それに従ったモーセが、エジプトの王(ファラオ)にイスラエルの民全員を奴隷から解放するよう訴える、数々の対話で埋め尽くされています。王は、主なる神こそ真の神であると分かる奇跡を九つも見させられたにもかかわらず、心を頑なにし続けます。そこで王とエジプトより、神の民を解放する最終手段として神がとられた最後の災いが11章に記されています。その災いとはエジプトの国中の初子の命が奪われるとの恐ろしい神の裁きでした。しかし神は、モーセより告げられた神の言葉に聞き従い、傷のない小羊の血を家の入口の二本の

柱と鴨居に塗った人々の家の門の前を過ぎ越し、救われたのです。ここで大切なことは、私たちキリスト者は今日、この記事を文字通りに読むのではなく、イエス・キリストこそ、全ての者の神の小羊として、その尊い血を注がれ、世界を救う道を開かれた福音の視点から読み解くのです。つまり、神を信じる私たちが神に守られるという短絡的解釈ではなく、主イエスの十字架における尊い犠牲によって、この世界が既に神の救いに置かれていることを信じ、その福音を掲げる者となることです。かつて映画「十戒」の中でこの場面が映像化されたものが私の心に今もはっきりと残っています。そこには神を恐れず反抗し続けた家の門に、神の言葉を信じる者(映画ではヨシュア)が小羊の血を塗ったために、命守られ、エジプトと共に様々な苦悩から解放されていく一人の女性が登場しました。

この世における災いや疫病、そして苦難について、他者や自分を責めようとする間違った罪責感から解放してくださった主イエスの愛と救いに、今こそ目を注ぎましょう。私たちにとって今、「エジプト」とは国でも王でもなく、神に与えられた本来の自由と真理を奪う悪の力です。イスラエルの民にとって過ぎ越しの夜、つまり解放が宣言される前夜は不安が伴います。私たちは暫し深い闇の夜を過ごすかもしれません。ですが、その先に主イエスを通して神が与えられる「来るべき朝」の光、癒しと救いの約束に目を注ぎましょう。そして、私たちは今こそ、不安な時を過ごす方々の家の門(心と魂の扉)にキリストにある希望の御言葉を届ける者とされるように祈り願います。

『主よ、どうかこの不安の中より全ての人々を導き出してください。そして「恵み深い主に感謝せよ。慈しみはとこしえに(詩編136:1,11)」と再び高らかに賛美し、礼拝できる日が来ますように。アーメン』

 

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(c)日本聖書協会
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