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礼拝
友納靖史牧師

10.4主歴2020 ヨシュア記13章1節、32-33節  約束の地へ共に⑬『最後の務め』友納靖史牧師


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礼拝プログラム
前奏           奏楽者
招詞           司式者
祈祷           司式者
賛美  442番 この世のつとめ いとせわしく 1、3節 
聖書  ヨシュア記13章1、32~33  Joshua13:1、32-33
特別賛美演奏  "マラナタ"    奏楽者
宣教  「約束の地へ共に⑬『最後の務め』」 牧師 友納靖史
祈祷
賛美  344番 聖なる御霊よ 
献金感謝         司式者
祝祷
後奏
宣教概要
 主なる神はヨシュアに語られました。「あなたは年を重ねて、老人となったが、占領すべき土地はまだたくさん残っている」と。この箇所を文字通りに読むなら、ヨルダン川を挟み東西にある征服した土地以外も手に入れてイスラエルの人々に配分する務めを全うせよとの命令であったと思われがちです。確かに約束の地カナンの土地がイスラエル12部族それぞれに配分され、暮らすようになったのかが詳細に記録(13~21章)されますが、実はレビ族だけは違っていたことに注目したいのです。アブラハムの孫・ヤコブの12人の息子達から生じた部族の中で、レビ族(人)だけには土地の配分がされませんでした。それは、モーセによってレビ族のアロンの血筋を引く家は祭司の務めを、その他は幕屋(聖所)の奉仕、契約の箱の運搬などに仕える務めをはたすように定められたからです(民数1:48-53他)。こうして約束の地で彼らは、各部族の土地の中に、48の町と放牧地が与えられ、祭司として仕えました(ヨシ21章)。
 旧約の多くの掟は、救い主イエスの到来により、その真意が解き明かされました。ヘブライ人への手紙は、レビではなくユダ族の血を引くイエスが「永遠に完全な者とされておられる御子が大祭司とされた」(ヘブ7:28)と驚くことを証しします。更に、アブラハムを含む先達者が抱いた「信仰とは・・・自分たちが地上ではよそ者(旅人)であり、仮住まいの者であることを公に言い表し…、彼らは(出て来た土地より)更にまさった故郷、すなわち天の故郷を熱望していた (ヘブ11:1,13-16)」ことだったと告白しました。ここには、地上における神の民イスラエルやカナンの土地に目を注ぐのではなく、神と人間との仲介者となられた大祭司イエス・キリストによって備えられた天にある希望を宣言します。改めてヨシュア記を読み解く時、「モーセはレビ族に対しては嗣業の土地を与えず、主の約束された通り、彼らの嗣業はイスラエルの神、主御自身である」(ヨシ13:33)とあり、レビ人の存在意義が重要とされます。彼らはこの地上で「約束の地」の配分はありませんでしたが、主の業を担う祭司として、特別な務めが託されました。このことは、宗教改革の嗣業の一つ、『万人祭司』の教え“新しい神の民とされる・キリストを信じる者全てが、世界の部族(国民)の中に遣わされ、「祭司」として、人々の罪を神に執り成し、救いに導く務め”が託されているレビ族の使命と重なります。
 主イエスが「レビ人」に言及した箇所は『善きサマリア人の譬え』だけです。それも、神に最も近いはずの祭司(神殿の聖所に入れた)とレビ人(聖所には入れなかった)が、愛と憐れみに欠けた人物として描かれます。それに対し、当時ユダヤ人が差別し敵視したサマリア人が、傷ついたユダヤ人を助ける物語は当時、アブラハムの血を引く神の民として自負し傲慢となっていた信仰者への挑戦状でした。主イエスは「善きサマリア人の譬え」で、「行って、あなたも同じようにしなさい(ルカ10:37)」と語られ、主の弟子とされた者は、当時の祭司やレビ人のように自己保身に留まるのではなく、傷つき痛む人々の只中に出て行って関わることが問われているのです。
主はヨシュアに「占領<ヘブライ語訳:相続・継承>すべき土地<地上の課題>はまだたくさん残っている」と語られました。地上での最後の務めは一般には土地・財産の分与が大きな問題とされることがあります。しかし世の終わりの時を見つめて生きるキリスト者は、居心地の良い場所に安住するのではなく、罪の赦しを宣言する祭司として整えられ、遣わされる場所で主と隣人に仕え、天に備えられた永遠の住いを差し示す者として生かされています。「わたしを(父が)世にお遣わしになったように、わたしも彼らを世に遣わします(ヨハ福17:15-19)」と祈られた主イエスと共に、この混沌とした時代の中で、次の世代に真理と希望の福音(財産)を分与する務めが果たせますよう祈りましょう。