礼拝
友納靖史
2021.3.14 信仰だけは3密で⑥「『聖霊』によって日々新しく」友納靖史 牧師
- 音声メッセージ
礼拝終了後掲載いたします。通信料が心配な方はこちらからご視聴ください。- 礼拝プログラム
- 前奏 奏楽者
招詞 司式者
祈祷 司式者
賛美 8番 主の呼びかけに 3、4節
聖書 テトスの手紙3章3~8節
特別賛美演奏 "ひとりのひととき" 奏楽者
宣教 信仰だけは3密で⑥「『聖霊』によって日々新しく」 友納靖史牧師
祈祷
賛美 261番 み霊なる聖き神 1、2節
献金感謝 司式者
祝祷
後奏 - 宣教概要
- 使徒パウロが「信仰を共にするまことの子(1:4)」」と呼ぶテトスに宛てた手紙の中で、今日の箇所は当時の信仰の告白文が含まれます(3:3-7)。罪に支配された過去の生き方を悔い改め、救い主なるイエスが私たちのためにご自身を献げ(2:14)、神の愛と憐れみを現わされ、救いへと導かれた感謝の告白が前半(3:3-5a)に記されます。続いて「この救いは、聖霊によって新しく生まれさせ、新たに造りかえる洗いを通して実現したのです(5b)」と、聖霊こそが「新生と刷新の洗い」(新改訳2017&改定3)を与えられると告白します。「新生」とは、主イエスが「はっきり言っておく、だれでも水と霊とによって生まれなければ、神の国に入ることはできない(ヨハネ3:5)」と語られたように、バプテスマ<水>と信仰の告白<霊>は、聖霊なる神の介入であると宣言されます。
しかし後半の「刷新の洗い」とは二通りの解釈ができます。第一に新生と同時に、イエスを信じる者は罪が洗い清められた完了形として受け取る教え。もう一つは、キリスト者となった後にも、聖霊によって<日々>新たにされる継続した祝福であるとの解釈です。新約全体から読み解くと、双方共に正しい教えです。なぜなら、一度救いの中に導かれた者、即ち心から悔い改め、聖霊なる神の導きによってイエスを主と告白させて頂いた者に与えられた救いの約束は変わることはないからです。しかし、日々この世の戦いの中にさらされ続けるキリスト者は、着ている服が時間と共に擦り切れ汚れていくように、内面(魂の救いペトロ一1:9)は変わらなくても、必要に応じて服なる外装(心や感情)を洗濯し、新調しなければなりません。パウロはこう表現しました。「…古い人をその行いと共に脱ぎ捨て、 造り主の姿に倣う新しい人を身に着け、日々新たにされて、真の知識に達するのです」(コロサイ3:9-10)。私たちは「日々」いや、一日の中でも何回も、聖霊なる神に助けて頂き、新しい心に刷新して頂くことが必要です。
この聖霊による洗いには大きく二つのことがあります。第一に、「日々、御言葉を受け続ける」ことです。御言葉を受けるとは、毎週の礼拝を守り、日々の静思の時(ディボーション)や聖書通読、御言葉に基づく讃美歌を聴き歌うことが含まれます。もう一つは、「試練を受ける」ことです。聖霊の存在と働きを主イエスは「風」と表現しました。「風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くのかを知らない。霊から生まれた者も皆そのとおりである(ヨハネ3:8)」と。つまり、自然界の力を人間が支配できないように、神の力や計画を人間の思い通りにすることは赦されていません。聖書は聖霊の存在を「火」「油」とも表現し、神は様々な予想を超えた試練を通して、私たちを新しくされるお方です。
突然一年前より、新しい生活様式、新しい礼拝の守り方を求められる時代に突入しました。しかし、突風どころか長い大嵐のような苦難に置かれた私たちですが、神より「いついかなる場合にも対処する秘訣を授けられている(フィリピ4:12)」ことを信頼し、共にこの試練を乗り越えられることを信じます。なぜなら、神に愛され救われたキリスト者の使命とは、自らのみならずこの世界が日々新たにされ、この世に「神の国」が来るために、仕え整える働きへと導かれているからです。主に期待して歩みましょう。そのためにまず、父・子・聖霊なる主なる神を「霊とまこととをもって礼拝する」ことにより、日々新たにされる歩みを踏み出しましょう。
「…自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です。あなたがたはこの世に倣ってはなりません。むしろ、心を新たにして自分を変えていただき、何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえるようになりなさい」(ローマ12:1-2)。