礼拝
友納 靖史
常盤台バプテスト教会 2021.6.27 主日礼拝 「思い煩うな」福岡新生キリスト教会 竹田 耶子武 牧師 【フィリピの信徒への手紙4章6~7節(新共同訳 新約 P.366)】
- 音声メッセージ
礼拝終了後掲載いたします。通信料が心配な方はこちらからご視聴ください。- 礼拝プログラム
- 前奏 奏楽者
招詞 司式者
祈祷 司式者
賛美 1番 聖なる 聖なる 聖なるかな 1、3節
聖書 フィリピの信徒への手紙4章6~7節 Luke1:46-55
特別賛美演奏 "あなたは造り主" 奏楽者
宣教 「思い煩うな」 牧師 竹田耶子武
祈祷
賛美 437番 歌いつつ歩まん 1、2節
献金感謝 司式者
祝祷
後奏 - 宣教概要
- 「どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。」フィリピ書4章6節
思い煩う。これはギリシャ語でメリムナオーとい言います。これは「思いが分かれる」という意味です。主なる神に対する思い、そして現実を見る事から来る不安な思い。心が2つに分かれている。イエス様はこのような信仰の態度に妥協されませんでした。
マルコ伝9章を読みますと、イエス様が汚れた霊に取りつかれた子をお癒しになりました。この時子どもの父親がイエス様にお願いしました。「おできになるなら、わたしどもを憐れんでお助けください」と。おできになるなら…。もしかしたらイエス様でも無理かもと思ったのです。精一杯のお父さんの信仰告白でした。しかしイエス様は納得されませんでした。
イエス様は言われました。「『できれば』と言うか。信じる者には何でもできる」と。全知全能の神の御子が今この瞬間あなたの目の前に立っているのに何故できればと言うのか。できればじゃない。できるのだと迫られたのです。父親はイエス様の気迫に圧倒されたのか。イエス様のお言葉の権威を前にして自分の言動を恥じたか。直ぐに叫んで言いました。「信じます。信仰の無い私をお助け下さい」と。この信仰告白を聞いたイエス様は子どもの中にいる悪霊に向かって一喝しました。すると悪霊は出て行きました。
福音書を読みますとイエス様は所々で、信仰、主に対する信頼を問うておられます。そして信頼の仕方も、中途半端ではなく、全身全霊をもってイエス様に飛び込むようにと迫っておられるのです。我々は如何なる状況においてもイエス様の御愛、御真実、全知全能の御力を信じ抜く事です。
主だけに信頼して歩む時には全く問題ない。いつも幸福な事ばかりか?そうではありません。イエス様に信頼して歩んでいても、色々な厳しい現実に遭遇する事があります。これは確かです。しかしそれでは終わらない。色々な辛い現実があっても、「主よ」と熱心に祈り求め続ける時、聖霊が我々に臨んでくるのです。そして聖霊を通してイエス様の清い命に触れる時、イエス様の真の光に照らされる時、過去の辛い出来事を感謝を持って受け止める事が出来る。そして将来に対しても「大丈夫だ。イエス様が共に居て下さるから、明日は怖くない。私は頑張れる」と信じる事が出来ます。そしてイエス様に信頼して歩む時、全ての事は最善に導かれて行きます。全ての事柄が神の益、神の善に向かって進んで行くのです。パウロはローマ書8章で「神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。」と言っている通りです
私の罪、呪い、悲しみの現実を全て引き受けて十字架に架かって下さり、贖罪の死を遂げられた御方。そして三日目に死の力を打ち破って復活され、今も信じる者と共にいまし給う神の御子イエス様を見上げる事です。イエス様だけをみて、イエス様に背負われながら、あらゆる思い煩いから解放されて参りましょう。この一回きりの人生、主イエス様と共に歩み、勝利を受け取る皆様お一人お一人になられますように心よりお祈り致します。