礼拝
友納 靖史
常盤台バプテスト教会 2021.7.11 主日礼拝 「豊かな命を得るために」 川井 信雄 牧師(百合丘キリスト教会 牧師) 【ヨハネによる福音書 10章7~11】
- 音声メッセージ
礼拝終了後掲載いたします。通信料が心配な方はこちらからご視聴ください。- 礼拝プログラム
- 前奏 奏楽者
招詞 司式者
祈祷 司式者
賛美 335番 小さき者のひとりに 1、2節
聖書 ヨハネによる福音書10章7~11節
特別賛美演奏 "一羽の雀" 奏楽者
宣教 「豊かな命を得るために」 牧師 川井信雄
祈祷
賛美 585番 救いの主よ 1、3節
献金感謝 司式者
祝祷
後奏 - 宣教概要
- 2021年7月11日 巻頭言(常盤台バプテスト教会)
私たちは皆、「豊かな命(人生)」を求めます。しかし、この世での所謂「豊かさ」とは何と果かないことでしょう。私たちは一生豊かさを探究しなければならないのでしょうか?豊かさは果かないという事実を受けとめて、諦めるだけなのでしょうか?「人生は短い!今日を楽しめばそれで良いよ!」と開き直るだけなのでしょうか?それとも…希望はあるのでしょうか?
2千年前、イエス様は人の命を破壊する盗人と、人に豊かな命を与える良い羊飼いの譬を教えました(ヨハネ10:7-11)。ファリサイ派の人々たちが、安息日に奇跡を行ったと言って、イエス様によって目が開かれた人を会堂の外へ追い出してしまったからです。
イエス様は当時の宗教指導者を「盗人」・「強盗」に譬えました(8)。強盗が自分の利益のために羊を盗み、羊の命を破壊するように、当時の宗教指導者たちは人々の人生を様々な形で制限し、破壊していたからです(10)。
イエス様はご自身を「羊の門」と「良い羊飼い」に譬えました(7、11)。羊たちが羊の門や羊飼いを通って牧草を得ることができるように、イエス様は人々に豊かな命を与えるためにこの世に来られたからです(10)。
それでは、イエス様が教えた「豊かな命」とは何でしょうか?9節には「豊かな命」が「救い」で表現されています。ヨハネによる福音書では、救いは、特に、罪の結果から、ここで「牧草」で譬えられている神の祝福へ回復されることを表します。
聖書は、全ての人は神の御前に罪人であると教えています(ローマ3:23)。罪は私たちに豊かな人生を与えるのではなく、私たちの人生を制限し、破壊します。イエス様は、そのような私たちに豊かな命を与えるために、この世に来られたのです。そして、「良い羊飼いは羊のために命を捨てる」とあるように(11)、私たちの罪の身代わりとして十字架で死に、また、三日目に甦ったのです。そして、このイエス様の内に神のすべての満ち満ちた徳が宿っていると聖書は教えています(コロサイ1:19:口語訳)。私たちは、イエス様にあって、罪の赦しを受け(エペソ1:7)、必要の備えを与えられ(マタイ6:33)、神の平安によって心守られ(ピリピ4:7)、永遠の命に与かることができるのです(ヨハネ3:16)。イエス様こそ豊かな命です!(ヨハネ14:6)
どうしたらこのような豊かな命を得ることができるのでしょうか?イエス様は9節で「私を通って入る者は、救われ、また出入りして牧草を見つける。」と強調しました。イエス様を自らの羊飼いとして信頼するならば、神の祝福である救いを得ることができるのです。真の豊かさはイエス様との交わりに生きることにあります!
私たちは誰に、何に、どこに豊かな人生を求めているでしょうか?成功も、お金も、名声も、真の豊かさを与えることはできません。イエス様こそ豊かな命であり、真の豊かさはイエス様との交わりに生きることにあります!羊が安心して門や羊飼いを通って囲いの中に入り、牧草にありつくように、イエス様を信頼して、神との関係に与かり、その交わりにある祝福に与かろうではありませんか!