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礼拝
友納 靖史

常盤台バプテスト教会 2021.10.3 主日礼拝 悲嘆から希望の民へ⑬「主を信頼する者は幸い」友納 靖史 牧師 【エレミヤ書17章5~14節(新共同訳 旧約P.1208,1209)】


礼拝出席カード



音声メッセージ

礼拝終了後掲載いたします。通信料が心配な方はこちらからご視聴ください。
礼拝プログラム
前奏            奏楽者
招詞  詩編37篇1~6節  司式者
祈祷            司式者
賛美  507番 主の手に委ねて 1、3節 
聖書  エレミヤ書17章5~14節
主の晩餐を覚えての黙想  "マラナタ"   奏楽者     
宣教  悲嘆から希望の民へ⑬「主を信頼する者は幸い」 牧師 友納靖史
祈祷
賛美  495番 主よ み手もて 1、2節
献金感謝         司式者
祝祷
後奏
宣教概要
主なる神はエレミヤを通し、祝福される人生と、呪われる人生の違いを語られました。それは全ての人が神から祝福される道を選ぶことを願われる神が、間違った選択をした人が行き着く末路を示し、人間が苦しまないようにとの神の愛に基づく教えなのです。人生の旅路において最後まで「私は幸いな人であった」と感謝できる者とされることを神が願われるからこそ、真逆な人生の道の末路を赤裸々に伝えるのです。主イエスが譬え話の中で「二人の息子のたとえ」「裁きの日に羊と山羊を分ける」等を語り、神の愛に立ち帰ることを語られたように。

 祝福される人の人生とは「水路のほとりに植えられた木」のようだと語られました(エレ17:8)。暑さや干ばつがあっても、そのような環境にある木々は、必要な水が側にあるので、その木の葉は青々と茂り、実を結び続ける健康な状態が約束されます。当時の人々の間に口伝暗唱された「詩編」の冒頭にある、幸いな人とは「流れのほとりに植えられた木」(1:3)との賛美とも重なります。主を信頼する人とは、主なる神がその人にとって水源のように人生の“よりどころ<全面的に頼れる存在・希望・自信>”となり、真の安心と平安(シャローム)を得ると約束がされます。そのような人が更に与えられる祝福は、自らが豊かに養われるだけでなく、豊かな実を結び、周りの人々と分かち合う幸いという副産物も与えられていくのです。(毎週の週報「証しリレー」参照)

 主を信頼する人のモデルは、行く先を知らずに故郷を離れ旅立ったアブラハムを筆頭に、偶像を拝むことを強要され燃え盛る炉や獅子の穴に投げ込まれても、救い出されたダニエルの姿等でも証言されます。「その身に何の害も受けていなかった。神を信頼していたからである(ダニエル書6:24)」と。しかし誰よりも、すべての人間の罪を贖う犠牲の小羊とされ、十字架刑に処せられる前、ゲッセマネの園にて父なる神に祈られた主イエスこそが真のモデルです。「アッバ、父よ、あなたは何でもおできになります。この杯をわたしからとりのけてください。しかし、わたしが願うことではなく、御心に適うことが行われますように(マルコ14:32)」。何が起きても主に従いますとの信仰と信頼の姿勢を、実はエレミヤが捕囚による苦難を前に、嘆き祈る言葉に見出すことができます。「主よ、あなたが癒してくださるなら、わたしは癒されます。あなたが救ってくださるなら、わたしは救われます。あなたをこそ、わたしはたたえます(17:14)」と。ここにエレミヤは、人間が願う通りにならなくても、主なる神が最善の道を備えて下さるとの信頼が凝縮しています。

 敬老感謝礼拝を今日主にお奉げしています。なぜ年を重ね老いていく方々を私たちは敬いお慕いするのか。それはその信仰の先輩方が単に長く生きて人生経験豊富であること以上に、神からの知恵と信仰に生きておられることを感謝し、私たちもその姿に習い人生に希望を得られるからです。罪を犯し、当時は石打の刑に処せられるに値する女性とされた人を前に石を握りしめた民衆に主イエスは語られました。「あなたたちの中で罪を犯したことのないものが、まず、この女に石を投げなさい(ヨハネ8:7)」。すると“年長者から始まって”一人また一人と立ち去り、誰もその人に石を向けず、その人は命守られ、新たな人生を歩むチャンスが与えられたと証言されます。主イエスに従う者は、自らも罪人である自覚し、自らの人生が神に赦されるだけでなく、隣人の人生も神が関わられることを信頼する幸いです。「これから私はどうなっていくのだろうか…」と老いていく我が身を憂う不安は尽きません。しかし私たちは日々、御言葉の泉(水路)から尽きることなく力を頂ける幸いな者とされていることを感謝しましょう。

 「あなたの道を主にまかせよ。信頼せよ。

      主が計らい(働いて)くださる」(詩37:5)。

                アーメン。