礼拝
ローラ・フーシー
常盤台バプテスト教会 2021.10.17 主日礼拝 『 力の限り神を礼拝しよう 』ローラ・フーシー宣教師 【サムエル記下6章12~19節 (新共同訳 旧約 P.489)】
- 音声メッセージ
礼拝終了後掲載いたします。通信料が心配な方はこちらからご視聴ください。- 礼拝プログラム
- 前奏 奏楽者
招詞 詩編24篇1~10節 司式者
祈祷 司式者
賛美 252番 喜べ 主を 1、3、4節
聖書 サムエル記下6章12~19節
特別賛美演奏 "すべての恵みの"
宣教 「力の限り神を礼拝しよう」ローラ・フーシー宣教師
祈祷
賛美 13番 ほめまつれ 主なる神 1、5、6節
献金感謝 司式者
祝祷
後奏 - 宣教概要
- 「力の限り神を礼拝しよう」
サムエル記下6章12−19節
巻頭言
今日の聖書の箇所は、サムエル記下の最初の部分で、ダビデはイスラエルの王になったばかりです。サムエル記下5章では、ダビデの言葉が記されておりませんが、主の御前で謙虚に王としての責任を受け入れたと書かれております。ところが、今日の次の6章では、ダビデの別の姿を見ます。このダビデ王は自分の信仰で思い切り踊ろうと思った人です。
新しい地位にあるリーダ-が誰でもするように、ダビデも、イスラエルのために大きな考えや計画を持っていました。その一つは、エルサレムというイスラエルの新しい都まで神の箱を運び上げることでした。この神の箱は、二つの重要な意味がありました。一番目は、「十戒」という戒めを記した石の板が箱の中に保管されていたことです。この石の板はユダヤ人にとっての神との約束と掟の基盤でした。二番目は、神の箱はより大切な印として考えられていたことです。それは、神が臨在する所ということです。神の箱は、「贖いの座」として、箱の蓋に一対の天使ケルビムの像がおかれ、その間に神様が座しておられました。大切な箱というだけではなく、神が臨在されておりますから、最も聖なるものでした。
今日の聖書の箇所では、神の箱がエルサレムに届き、喜び祝いながら神を礼拝するイメージが出てきます。街中の人々は神の箱の到着を告げ知らせるラッパの音を聞いたり、神の箱の前に跳ね上がって踊っているダビデ王の姿を見たり、焼き尽くす献げものの匂いを嗅いだり、群衆一人一人に与えられた輪形のパンと菓子を味わったりしています。長く大変な旅でしたが、やっと神の箱が着きました。
この神の箱をエルサレムに運び上げることは、イスラエルと主なる神との関係を強めるために、そしてダビデの王道のために大切な出来事です。お祝いすることは当然で、ダビデは神の箱のみ前で力いっぱい踊って祝いました。彼はエルサレムに向けて、神の箱に先立って喜び一杯踊って礼拝したのでした。
ダビデの模範を通して私は考えさせられました。私が聖なる神の存在に出会う時、私も「力の限り」応答するでしょうか。それとも、この出会いを認めず、この素晴らしい 時を普通のことのようにやり過ごすでしょうか。神さまに出会った後は、感謝の気持ちを適切に表せますか。神さまに自分の心を変えていただけるようにできますか。完全に悔い改めますか。 ダビデは自分を抑制することなく、なりふり構わず、全力でこの瞬間に生き、神の存在の中にいて喜び祝います。私たちも喜び、賛美し、感謝に溢れる心をもって、力の限り神を礼拝し応答していきましょう。