礼拝
馬越 牧
常盤台バプテスト教会 2021.10.31 主日礼拝 「恐れるな」 馬越 牧 牧師 【イザヤ書43章1~4節】(新共同訳 旧約P.1130)
- 音声メッセージ
礼拝終了後掲載いたします。通信料が心配な方はこちらからご視聴ください。- 礼拝プログラム
- 前奏 奏楽者
招詞 詩編139篇1~6節 司式者
祈祷 司式者
賛美 大いなる方に 1、2節
聖書 イザヤ書43章1~4節
特別賛美演奏 "輝いて生きる"
宣教 「恐れるな」 馬越牧牧師
祈祷
賛美 たとえばわたしが
献金感謝 司式者
祝祷
後奏 - 宣教概要
- 私たちはいつもたくさんのものを恐れながら生きています。去年はコロナがあり、見えないウイルスという敵からくる恐れと闘っていた方もいるかと思います。私たちが恐れの中にある時に、神が私たちに求めておられることは何でしょうか。旧約聖書の大預言者であるイザヤは恐怖の時代に生きていました。アッシリヤという国がイスラエルを占領し、イザヤが住んでいたユダの国の人々は次は自分たちが襲われるかもしれないと恐れの中にいました。その背景で、主がこう語ります。「恐るな。私があなたを贖ったのだ。」
正義なる神は恐れられるべき存在
ここで神は何を恐るなと言っているのでしょうか?文脈をよく見ると、アッシリヤという敵国を恐るなと言っているわけではなく、これを語っている神ご自身を恐るなと言っていることがわかります。私たちがまず認識しないといけないことは、私が罪の中に生きている場合、神は正義な方であるから、この世界で最も恐れられるべき存在であるということです。
恐れの原因は神と関係が断絶されていること
神がここで神を恐るなと言っているのは、全ての恐れの根本にあるのが神と私たちの関係が崩れているからです。お金に困ることを恐れている人は、その恐れの根本的な原因として、全ての必要を満たしてくれる神を知らないことがあります。病気を恐れている人は、その恐れの原因に癒し主である神を知らないところにあリます。神との関係が断絶されている人々は恐れの中に歩まなければいけません。神は私たちをイエスキリストの十字架を通じて贖ってくださったが故に、私たちと神との関係が回復し、そのため、私たちは何も恐る必要がなくなります。
恐れの中で神を信頼し神と共に歩む
私たちが恐れの中にいる時、時に私たちは、神を求めず、生活が楽になることだけを求めてしまう。しかし、私たちが恐れの中にいる時に、神が望んでおられることは、私たちが神に信頼して、神と共に歩むこと。それができるように神は私たちにイエスキリストを与えてくださった。