礼拝
友納靖史
常盤台バプテスト教会 2022.5.8 主日礼拝 悲嘆から希望の民へ㉖「真の解放宣言」友納靖史牧師 【エレミヤ書 34章12~17節】(新共同訳 旧約P.1243)
- 音声メッセージ
礼拝終了後掲載いたします。通信料が心配な方はこちらからご視聴ください。
- 礼拝プログラム
- 前奏
招詞 イザヤ書 61章1~4節 司式者
祈祷 司式者
賛美 新生1番「聖なる 聖なる 聖なるかな」1,3,4節
聖書 エレミヤ書 34章12~17節
特別賛美 一羽のすずめ
宣教 悲嘆から希望の民へ㉖「真の解放宣言」 友納靖史牧師
祈祷
賛美 教団510番「まぼろしの影を追いて」1,2,4節
献金感謝 司式者
祝祷
後奏 - 宣教概要
- 罪と死の奴隷である全人類への解放(救い)を、救い主キリスト・イエスによって神は成し遂げられました。「主がわたしを遣わされたのは、捕らわれている人に解放を、・・・圧迫されている人を自由にし、主の恵みの年を告げるためである」と、ナザレの会堂にてイザヤ書61章を主イエスが読まれた時、「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」と宣言されます(ルカ4:16-21)。そして、御自身の生涯、何よりも十字架においてご自身が神の小羊として人間の罪を贖われ(身代わりとして人類の罪の代価を支払われ)た時、救いは完了しました。
けれども私たちが地上で生きる間は、実に多くの課題と闘い続け、全ての苦悩から解放される天の御国に至る旅路の途中にあります(ペトロ一1:3-9)。使徒パウロは「わたしは自分のしていることが分かりません。自分が望むことは実行せず、かえって憎んでいることをする」と、救われた身でありながらなお、肉の弱さを持つ自らの姿を赤裸々に語ります。しかしイエスにあっては希望が与えられていると宣言します。「今や、キリスト・イエスに結ばれている者は、罪に定められることはありません。キリスト・イエスによって命をもたらす霊の法則が、罪と死との法則からあなたを解放したからです」(ロマ8:1-2)と。
エレミヤ書には正に罪と死の法則に支配され、救いようのない民と王のおぞましい姿を記します。滅亡間近の南ユダ王国の王ゼデキヤは、バビロンの軍隊にエルサレムが包囲され、窮地に陥った時、主なる神に一時的に悔い改め従ったかのようなそぶりを見せます。それが、ヘブライ人の奴隷を開放する宣言の布告です(エレ34:8-10)。ところがバビロン軍が劣勢となり、状況が一時好転したとたん、奴隷解放宣言を取り消します。この姿を見た神は完全に南ユダ王国が剣、疫病、飢饉によって滅びることを宣言されました(34:17)。このゼデキヤ王の姿は罪の奴隷であった私たちの中に内在する罪の姿、自分に都合の良いように生き振る舞う肉の姿と重なります。人種や社会的・性的な様々な違い、弱き者に対して見下し、支配しようとする欲望が今も私たちの肉の心に潜んでいるからです。
この課題多き世界に生きるキリスト者が、罪と死に勝利する人生を送るため、主イエスはご自身の生き方から答えを与えられます。ある日、弟子同士で誰が一番偉いかと議論していた時、こう言われました。「いちばん先になりたいものは、すべての人の後になり、すべての人に仕える者になりなさい」(マルコ9:33-37)。更に「あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、いちばん上になりたい者は、すべての人の僕になりなさい」と語られ(マル10:35-44)、主ご自身の命を与え、罪を贖う(解放する)ことを告げます。「人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来た」(マル10:45)と。つまり「人に仕える」ことこそが、自らの罪に地上で打ち勝つ秘訣だと主は教えられたのです。この主イエスの姿に、子どもを無条件の愛で愛し仕え、自らの思いを優先せず他者のために生きる多くの母親の姿を重ねることができます。昨日葬儀を行ったMさんは、様々な事情から礼拝でイエスを救い主と信じる告白をすることは叶いませんでした。しかし病床で、めぐみ卒園児であるお子さん方にその思いを告げて主に召されました。主イエスの衣にそっと触れた女性に主が「あなたの信仰があなたを救った」と宣言されたように(マル5:34)、主は心の叫びを聞いておられ、その方とご家族を主の愛と救いの希望で包んで下さいました。主イエスの愛に基づく真理の教えは、すべての人を死と全ての恐れから解放し、自由にするからです。