礼拝
矢野由美
常盤台バプテスト教会 2022.6.12 主日礼拝 「完全な愛」【マタイによる福音書 5章 43~48節】(新共同訳 新約P.8~9)
- 音声メッセージ
礼拝終了後掲載いたします。通信料が心配な方はこちらからご視聴ください。
- 礼拝プログラム
- 前奏
招詞 詩編 25篇1~5節 司式者
祈祷 司式者
賛美 新生24番「歌え 歌え キリストの愛を」1.2.3節
聖書 マタイによる福音書 5章 43~48節
特別賛美 常盤台バプテスト教会70周年記念讃美歌5番「神の教会」
宣教 「完全な愛」 矢野由美牧師(千葉バプテスト教会協力牧師)
祈祷
賛美 新生651番「イエスの愛にこたえ行く」1.2.4節
献金感謝 司式者
祝祷
後奏 - 宣教概要
- 本日は貴教会へお招きくださりありがとうございます。みなさまと共に礼拝に与ることができることを神さまに感謝いたします。
マタイ福音書5章の冒頭には、8つの「幸い」についての教えが書かれています。人はいつの時代も幸せな人生を過ごしたいと願うものですが、しかし、イエスさまが語る「幸い」は、世の価値観とは違ったものでした。イエスさまは集まってきた群衆を見て、山に登り、弟子たちが近くに寄って来たところで、口を開き、教えられました。「山上の説教」と言われるイエスの教えです。8つの幸いはこの世からくるものではなく、神の国を示しています。
イエスさまは、「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。」と言われました。なんと難しい教えでしょうか。また、こうも言っておられます。5章21節以下です。「あなたがたも聞いているとおり、昔の人は『殺すな、人を殺した者は裁きを受ける』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。兄弟に腹を立てる者は誰でも裁きを受ける。兄弟に『ばか』と言う者は、最高法院に引き渡され、『愚か者』と言う者は、火の地獄に投げ込まれる。」
言葉の暴力が人を死に追いやる現実があります。怒りや敵意、さげすみは、相手の「存在を否定すること」であり、殺すのと同じだとイエスさまは言われているのです。
私たちが一見平和な日常を過ごしていると思っていても、自分自身の心の中をつぶさに見つめた時、そこには、憎しみや怒り、敵意やさげすみが潜んでいることに気づくこともあるでしょう。あるいは、自分を被害者だと思い、他者を裁く思いに駆られてしまうことはないでしょうか。これが人間の持つ罪の姿であると示されます。しかし、イエスさまに目を向けたとき、そこには罪の中にある人々と出会い、救いへと導かれるお姿があり、イエスさまの十字架が見えてきます。
イエスさまは「隣人を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」と言われます。とても私には実行できないようなことを要求されています。その箇所には触れずに素通りしたくなります。しかし、十字架に架かられ御自身でそのことを実行してくださった、そのイエスさまが「わたしに倣いなさい」と言われます。神は罪人にも立ち返るチャンスを与え、救いの道を備えておられるのです。自分を傷つけ、攻撃してくる人を愛することが難しいということを、神は最初からご存知の上で、そのような人間の弱さをご存知の上で私たちに語っておられるのです。イエスさまは、「自分を愛するように隣人を愛しなさい」と教えてくださり、具体的に生きてお働きになって、弟子たちに神の国を示して下さいました。それは、イエスさまの生き方そのものでした。イエスさま自らそのことを表してくださり、私たちがその御足の跡をたどって歩む道を示してくださいました。
「あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。」このみ言葉も、そのまま受け取るには余りに高すぎるハードルです。しかし完全な愛の神、その愛のお方に従って歩む時、不完全な私を神が補ってくださる、完全な愛のお方が私たちと共に歩んでくださいます。私たちの傍らに寄り添い続け、完全な愛で私たちを導いて下さるイエスさまに従って、今日も明日も歩んでいきたいと願います。