VIDEO

教会のビデオコーナー

  1. HOME
  2. 教会ビデオ
  3. 常盤台バプテスト教会 2025.4.13 主日礼拝 「石の叫び、イエスの悲涙」森崇牧師【ルカによる福音書19章28~44節】(新共同訳 新約P.147~148)

礼拝
友納靖史

常盤台バプテスト教会 2025.4.13 主日礼拝 「石の叫び、イエスの悲涙」森崇牧師【ルカによる福音書19章28~44節】(新共同訳 新約P.147~148)


礼拝出席カード



音声メッセージ

礼拝終了後掲載いたします。通信料が心配な方はこちらからご視聴ください。
礼拝プログラム
前奏                  
招詞    詩編118編22~26節   司式者
祈祷                        司式者
賛美    新生229番「十字架のもとは」
主の祈り
献金感謝
特別賛美  「Via Dolorosa」
聖書    ルカによる福音書 19章28~44節
宣教    「石の叫び、イエスの悲涙」  友納靖史牧師
祈祷
賛美    新生227番「カルばりの丘へと」
頌栄    新生673番「救い主 み子と」 
祝祷
後奏
宣教概要
 受難週を迎え、明日から受難週早天祈祷会が始まります。礼拝堂とZoomの併用で共に主イエス・キリストの受難を想起しましょう。
キリスト教会はイースターの前は受難週、そしてその日曜日を棕櫚(しゅろ)の主日と呼びます。主イエスのエルサレム入場時に、人々が棕櫚の葉を道に敷いて迎えたことに由来します。
圧倒的熱狂の中、ルカ福音書では自分の上着を道に敷いて歓迎しました。人々にとって、イエスの入場は長く続いたローマ軍による圧政から解放してくれるリーダー、王の入場でした。紀元前400年頃は聖書のみ言葉も語られず、紡がれなかった暗黒の時代でした。この地方は様々な国の支配の元に置かれ、困難と絶望の時代でした。人々はこの間、神が約束された油注がれたダビデの子孫、自分たちを救い出す軍事的リーダーとしての『王』を待ち望んでいました。彼の弟子もまた「この方こそイスラエルを解放してくださると望みをかけて」(24:21)いました。
主イエスは子ろばを連れくるように二人の弟子を遣わします。主の言葉通り(19:32,22:13)、「主の御用です」(文語訳)との掛け言葉により、子ろばを得ました。イエスさまは人々が期待する『王』のイメージを退けたり、否定したりしません。しかしご自身がどのような救い主かを、子ろばに乗ることで明確に伝えられました。すなわち、武力を象徴する軍馬ではなく、人々の生活に寄り添い、優しく、ゆっくりとしたろばに乗り、平和を実現する主として、です。子ろばに乗ったイエスさまは柔和なお方であり、神との関係性、また人と人との関係性、被造物との間に平和といのちの栄えをもたらすお方です。
この主イエスが私たちのところに来られるとき、どのようにお迎えするでしょうか。弟子の群れは声高らかに賛美しました。それは主イエスがなされた「あらゆる奇跡」(聖書協会訳「自分の見たあらゆる御力」口語訳「すべての力ある御業」)を目撃したからです。奇跡・力・御業・助けが与えられたことによって賛美を持ってイエスを迎え入れました。「主の名によって来られる王に祝福があるように。天には平和、いと高き所には栄光があるように」この賛美を閉ざす力が働く時、主イエスは「言っておくが、もしこの人たちが黙れば、石が叫ぶだろう」と言われました。救い主イエスを喜ぶ賛美は、誰の力も止めることができないのです。この賛美はかつて羊飼いたちが主イエスの誕生の知らせを受けた時、天の軍勢によってもたらされた賛美です。「いと高き所には栄光、神にあれ。地には平和、御心に適う人にあれ」(2:14)神の栄光を目撃した人々の賛美(天使から羊飼い、弟子の群れへ)は歌い継がれ、世々絶えることはありません。
主イエスはオリーブ山から眼下に見えるエルサレムの為に涙を流されました。悲涙の理由は、十字架の苦しみの故ではありません。主イエスを受け入れなかった住民に対して、迫りくる都エルサレムの滅亡を嘆かれました。主イエスの目には、ご自分を受け入れようとしない人々の滅びが映っていました。主イエスの訪れに目を留めなかった、この神の訪れの時に対して、私たちは目を覚まして祈りつつ過ごす必要があります。
「神の訪れの時を知る」とは三つの時があります。それは過去、主イエスは聖霊によって宿り、人の姿を取ってこの世に来られたこと。現在、イエスが神の力と御業とによって私たちと共に歩み、十字架に至るまで世の罪を贖われたこと。そして近い未来、死んでよみがえらされた復活の主が、天にあげられ、来るべき神の時に世をすべ治めるために再臨されることです。 
イエスさまは十字架の前に、祈りのオリーブ山と受難と十字架のエルサレムとの間で人々に様々なことを教えましたが(19-21章)、その最後は神の訪れの時、すなわち主イエスが再臨される日に備えよとの最期のメッセージを託されました。「しかし、あなたがたは…人の子(イエス)の前に立つことができるように、いつも目を覚まして祈っていなさい」(21:36)主イエスの受難と復活の時は今、目前です。神の訪れの時に、目を覚まし祈りつつ、備えてまいりましょう。        (引用聖句は聖書協会共同訳です)