礼拝
友納靖史
常盤台バプテスト教会 2025.8.10 平和祈念礼拝 ヨハネ福音書講解⑪「『信じる』ことから、平和は始まる」友納靖史牧師【ヨハネによる福音書 4章43~54節】(新共同訳 新約P.171)
- 音声メッセージ
礼拝終了後掲載いたします。通信料が心配な方はこちらからご視聴ください。- 礼拝プログラム
- 前奏
招詞 イザヤ書 32章15~18節 司式者
祈祷 司式者
賛美 新生81番「父なるわが神」
主の祈り
献金感謝
聖書 ヨハネによる福音書 4章43~54節
特別賛美 第一、第二礼拝 「平和の祈り」 聖歌隊女声
第二礼拝 久米小百合姉(三鷹教会員)
宣教 ヨハネ福音書講解⑪「『信じる』ことから、平和は始まる」 友納靖史牧師
祈祷
賛美 教団531番「心の御琴に」
頌栄 新生674番「父 み子 聖霊の」
祝祷
後奏 - 宣教概要
- 主イエスは故郷ガリラヤのカナで二度目の奇跡を行われました。これは百人隊長の部下の癒し(マタ8:5-13,ルカ7:1-10)の並行箇所とされますが、ヨハネ独自の記事です。イエスがカナを再訪された時、王の役人(家臣)がイエスの許にカファルナウムから訪ねて来たのです。彼の社会的地位からすると僕(しもべ)を遣わし、イエスに来るよう命じても良い立場でした。けれども息子が死にかけていて、人間の力の限界を知った彼は、神の力をイエスに求めたのです。対話の最後イエスは言われました。「帰りなさい。あなたの息子は“生きる(治っている〈預言的現在形〉)”」と。彼の願いは病気の息子にイエスが直接触れて癒されるイメージを持っていたはずです。それに反する応答でしたが、彼は「イエスの言われた言葉を信じて帰って行った(4:50)」のです。彼の主への信頼(信仰)の大きさに驚きます。普通、目に見える保証が何もない時、言葉だけを信じ息子の許へ帰って行くことが果たして出来るでしょうか。当時彼は王の権威を傘にその力を行使できましたが、神にある真の権威を主イエスに見て、主の言葉に従ったのです。自宅へ戻る途中、彼の僕たちが「息子さんのご病気がすっかり治りました」と報告し、息子の熱が下がった時刻が正に主が「あなたの息子は生きる(癒されている)」と語られた時であったと分かり驚きと感動に包まれ、息子たちと再会を果たします。そして、イエスこそ“本当に世の救い主” (4:42)であると、彼だけでなく「彼の家族もこぞって」信じた恵みの業をヨハネは証しするのです。
8月は特に平和を覚える月間です。今日の世界情勢を見渡す時、権力者が自国と自己の利益を優先し、理不尽な戦争と環境破壊が続き、癒しようのないこの世界に絶望してしまいそうです。正に今の世界や地球があの死にかけた息子の姿と重なります。しかし息子を救うため、自らの地位や名誉をかなぐり捨て、真の救い主イエスの言葉を信じ謙虚に従った信仰が、偉大な神の癒しと救いを実現したことに希望の光を見ます。イザヤ書はかつて南北王国が神に背き、外敵に滅ぼされていく絶望的な現状でもなお、「…力ある神、平和の君…(イザ9:5)」なる救い主到来の希望を繰り返し語りました。「…主が御自らしるしを与えられる。見よ、おとめが身ごもって、男の子を生み、その名をインマヌエル(神我らと共におられる)と呼ぶ(イザ7:14)」。ヨハネはその預言の成就を「言(ことば)は肉となって、わたしたちの間に宿られ(1:14)」共に歩まれ「言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には‟神の子“となる資格を与えた(1:12)」と宣言しました。これは主が「平和を実現する人々は、幸いである。その人たちは”神の子“と呼ばれる(マタ5:9)」とイエスを信じる者にこそ平和実現の使命を託されたことが暗示されているようです。
先の大戦中、捕虜となった外国人に非人道的虐待を行っていた時代、長崎香焼の外国人俘虜収容所所長であった調正路さん(後に牧師)が、捕虜に対して人道的な関りを持ち、特にミサや礼拝を守れるように配慮した事実が戦後随分経って元捕虜の証言から知られるようになりました。いかなる時代においても、国・民族・宗教、敵か味方など様々な違いを越えて、「平和の君」なるイエスを仰ぎ見て礼拝をすることが平和の原点だからです。軍事力と権威を傘に自らの正義を振りかざすこの世の力は絶大です。しかし、私たち人間の傲慢さと高ぶりを神の御前に置き、十字架の上で神の力を打ち捨てて救いを成就されたイエスを仰ぎ見て、すべての人々と共に祈り、礼拝する者とされましょう。何よりもこの救い主なるイエスの完全な愛と救いの力を遜って信じる者の集う場所から、真のシャローム<平和・平安>が広がっていくからです。